珈琲の美味しさを語る言葉はたくさんある。でも自分の言葉で表そうと思うとままならない。珈琲が持つ味わいはおおむね似通っていて、豆によって酸味や苦味や甘味がわずかに違っているに過ぎない。飲み比べてもピンとこないし、数値で表現してもわかった気がしない。それでも、繰り返し接していると、確固たる個性や美味しさにであう。珈琲に興味がなかった母が「今まで珈琲を美味しいと感じたことがなかったけれど、最近飲む珈琲は美味しい」といい、豆の違いも感じるという。そしてなによりも珈琲を飲むのを楽しみにしてくれている。未だその素晴らしさを語る言葉を見つけられないけれど、鮮度の良い豆を丁寧に淹れると美味しいのは間違いない。
珈琲豆あれこれ
飲んでみたい珈琲豆リスト32種類のうち11種類を試すことができた。順にTM:トラジャ・ママサ/MH:モカ・ハラー/BL:ブルー・リントン(マンデリン)/BR:ブラジル/GT:ガテマラ/PM:パカマラ/HK:ハワイ・コナEXファンシー/BM:ブルーマウンテンNo1/CG:コロンビア・クマラル・ゲイシャ/PG:パナマ・エスメラルダ・ゲイシャ/KL:コピ・ルアクである。テイスティング結果を表にした。焙煎が茶色の豆は自家焙煎、それ以外はお店で焙煎してもらったものだ。TM/MH/BLは浅煎/中煎/深煎と焙煎の違いも試した。
印象強く感じた豆の総合ポイントが高い。いい加減なテイスティングだったが、案外直感的な感じがそのまま数字に出ている。
中煎り、酸味、コク、苦味を元に味のグラフを作成した。これは一般的な評価ではなくあくまでも今回の実験結果である。なんとなく感じていたことを整理すると、ああこう言うことなんだ、こう感じていたんだ。と納得している。カップの色が赤いものは自家焙煎。
どれも美味しく、一番を決めるのは難しい。その日の気分で飲みたい珈琲を選べるとすれば、こんな贅沢はない。
11種類の豆の比較。ハワイコナ 、ブルーマウンテン、パカマラ、ゲイシャ、コピルアクは生豆も並べた。こうして並べるとパカマラが大きいことやブラジルが小さいこと、ガテマラが丸く、ブルーリントンが細長いことなど違いがわかりおもしろい。コピルアクにはピーベリーも混ざっていた。
今後の計画
焙煎について
焙煎前に生豆を洗う場合と洗わない場合の違いを実験
洗うなら水とお湯の違いを実験
豆について
まだ試していない種類の豆を試す
珈琲のバラエティーについて
ウインナコーヒーなどオーソドックスな珈琲
ベトナムコーヒーなどワールドワイドな珈琲
エスプレッソトニックなどの新しい珈琲
シェケラートなどの冷たい珈琲
色々な珈琲のアレンジを試す
追記
味の評価
サントリーが焙煎前の生豆に含まれる成分に着目し、その含有量から美味しさを予測する方法を開発した。生豆の数ある成分からアミノ酸のトリプトファンの量をもとに収穫時の実の熟度を予測し、生豆のイソ吉草酸配糖体の成分量が多いほど風味が豊かなことを突き止めた。コーヒー豆が持つ美味しさは、官能評価という手法で香りや味わいのバランスを評価してきたが、嗅覚や味覚の感度は人それぞれ異なり、一定の尺度で評価するためには、評価者の訓練や評価の際の環境など準備が必要となる。その点このシステムは人の感覚によらず定量的に数値化することができる。
スキャンして分析や記録ができる、赤ワイン専用スキャナー「MyOeno」がフランスで開発された。ワインにセンサーを漬け測定結果をスマートホンのアプリでみることができる。光の透過量などでワインの味を識別し、アプリで記録や類似ワインを探すことができるというもの。味や熟成度まで測定可能だという。
サントリーのシステムは大きさも値段も分からないが、ワインスキャナーはワイングラスに入る小さなデバイスとアプリで出来ている。これは赤ワイン限定だが、いつか珈琲を測定できるデバイスが登場するだろう。
日本酒やワインなども官能評価をしている。フルーティーな香りとか、甘味、酸味など、同じような言葉で味を表現している。珈琲と酒は流動物だけど味はずいぶん違う。人間が口に含み、舌の上を転がし、喉に流す時に感じる感覚は、甘味、酸味、苦味、コク、キレ、旨味、雑味、えぐみ、香りなど。異なる味でも表現する言葉は似通ってくる。例えば、お酒の味を評価したコメントをそのまま珈琲の写真に置き換えても、それらしく思ってしまうかもしれない。そもそも果実や穀類を加工して抽出した液体だから、根本が似ているのも当然だ。美味しさを誰かに伝えようと努力した結果なのだ。しかし、これらの言葉は、個性を表現することはできるけれど、美味しさを伝えることは難しいと感じる。なぜなら、人それぞれ経験が違うから、同じ味覚を表す言葉から想起する味は人それぞれ、美味しそうだと思うかどうかも人それぞれ。情緒的表現と定量的に測定したものが必要だ。
勘違いの人生
思いつきに感激し、素晴らしいと自画自賛して突っ走る。ところが多くの場合が、大した思いつきでもなく、勘違いが多い。そればかりか、勘違いしたことを大声で人前で披露さえしてしまう。そんなことを随分繰り返してきた。はずかしい。ん?・・・本当に恥ずかしいのか?・・・よく思い出してみる。一般的には恥ずかしいことだろうに。実はそうしたことをさほど恥ずかしく感じてなかった気がする。勘違いの人生ここに極まる。
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