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執筆者の写真Yukihiro Nakamura

ブルマン幻想

更新日:2023年11月10日

2023/8/11


 ブルーマウンテンを飲むたびにモヤモヤした気持ちがした。どうしてだろう。最近出版された。堀口俊英著「新しい珈琲の基礎知識」を読んでそれが何であったかわかった気がする。

 まずおうちカフェ計画を発動してから出会ったブルーマウンテンを振り返る。

 

その1

 憧れのブルーマウンテンも生豆を入手できることを知り自家焙煎することにした。改めてブルーマウンテンについて調べると「香りが高く繊細な味」だという。ワクワクしながら飲んだ感想は「全体にバランスよく、甘味酸味がありながら、苦味とコクがしっかりくる。」という捉えどころのないものだった。

 

その2

 次に飲んだのはMiCafetoのPremier Cru Cfe’からBLUE MOUNTAIN JUNIPER PEAKだった。「1年前、焙煎を始めた頃、焙煎技術も抽出技術も未熟であったが、甘味・酸味・苦味・コクなど全体のバランスが良く美味しいと感じた。ただ、確かにバランスも良く美味しいのだが、当時の記録を読んで思い出すことがある、特徴が掴めなかったのだ。これがブルーマウンテンなのか?と。そして今回珈琲ハンター川島さんお墨付きのブルーマウンテンを期待を持って味わった。「ああ、美味しい」ここには何もかもがある。甘味も酸味も苦味もコクもそれらが複雑に織りなすハーモニーがある。そしてその複雑さゆえにか、特徴がつかめない。これがブルーマウンテンなのだ。」と美味さを讃えながら、またしても捉えどころのない感想となった。

 

その3

 次に飲んだのはCOFFEE HUNTERSのBlue Mountain Signature Blendである。「ブルーマウンテンを置いている喫茶店は少ない。置いていても高いから飲む人が限られている。結果的に新鮮で飲み頃のブルーマウンテンに出会える確率は低いだろう。ミカフェートのおかげで美味しいブルーマウンテンを手頃な価格で飲むことができる。甘さの中に全てがバランスよく整っていて、フルーティーで、後味がすっきりしている。」と感想を綴った。美味しかったことは確かに記憶にある。しかしどんな珈琲だったか判然としなかった。

 

 いずれもまことしやかな感想だが、ブルーマウンテンはこういう珈琲だという特徴をつかめなかったのが正直なところだ。結局3年越しで確かめ、ついにはここ2年ブルーマウンテンをあえて飲もうとしなくなっていた。このモヤモヤとした気持ちに、堀口俊英著 新しい珈琲の基礎知識 知りたいことが初歩から学べるハンドブックのP162「現在は、世界的に風味のある豆がより求められるようになり、穏やかなブルーマウンテンの風味と高級品というイメージのみでは高価格を維持できなくなり、昔からブルーマウンテンを多く輸入していた日本の輸入量は低下傾向にある」という一文が回答を与えてくれた。

 

 つまりこういうことだ、ブルーマウンテンは美味しい珈琲だがクセの少ないおとなしい珈琲で、最近の華やかな珈琲と比べるとそのおとなしさが個性のなさに感じてしまう。しかもかつて高額だった神話が本来の珈琲の味を邪魔していたかもしれない。もう一度おうちカフェ計画を発動して珈琲豆のことを調べ始めたころのことを振り返ってみる。

 最初に飲み比べた5種類は全て焙煎珈琲店で、焙煎したての豆で、豆によってどんなふうに味が違うのか、焙煎具合でどんなふうに味が変わるかを試すことができた。浅煎りの爽やかな酸味はかつて学生時代には知らなかったものだった。まだ珈琲に対する味覚は十分ではなかったけれど、少しずつ違いが分かり始めていた。

 次に憧れのハワイ・コナ、ブルーマウンテン、コピ・ルアクと新しく知ったパカマラとゲイシャを自家焙煎する。実際に飲んでみて、パカマラとゲイシャがあまりに鮮烈だったから、えっ?これがコナ?ブルマン?うんち珈琲?と戸惑うことになった。美味しいけれど、特徴がつかめなかった。

 それは、自分で焙煎したからかもしれないという思いもあった。専門家が焙煎したブルーマウンテン、本物のブルーマウンテンはこんなではないに違いないと。そうして、ミカフェートのブルーマウンテンを見つけて、これならきっと、期待に応えてくれるだろうと飲んでみた。その結果、確かに美味しいのだけれど、自分で焙煎したときに感じたものと同質のモヤモヤとしたものを溜め込むことになった。

 

 喫茶店に入り浸りだった青春時代。ブルーマウンテンは高いからきっとすごくいい珈琲なんだろうと機会がある毎に飲んだのだが味を思い出せない。マグカップ一杯に注がれたアメリカンコーヒーがもてはやされていた時代。ブルーマウンテンは香り高き珈琲だったに違いない。しかしあの頃は珈琲の違いがわかる味覚を持っていなかった。暴論を吐けば何を飲んでも同じだった。ただブルーマウンテンはすごい珈琲なんだという思い込みだけが刻み込まれた。あれから半世紀、時代は変わった。ゲイシャやパカマラ、SLなどの新しくて鮮烈な珈琲が登場した。そんな時代にブルーマウンテンと比べてしまった。その結果具体的な味に関する記憶はないが、高級品というイメージによって不当に期待が膨れ上がった幻の味と実際の飲み心地に隔たりが起きた。単なる知識というのは実は何もわかっていないのと変わらない。実際に体験すると、ああこういうことかと少しわかった気になるが、知識としてえたときに思ったことと違ったりする。それは勝手に作り上げていた幻影だった。


 もしブルーマウンテンのことを何も知らずに飲んだなら、どんなふうに感じただろう。もっと素直にその優しい味わいを楽しめただろうか。半世紀の間沸々と醸造してしまった不純な幻想がブルーマウンテンという珈琲を歪めていたとおもう。


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