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栗本薫

更新日:5月23日

2023/2/16


栗本薫との出会いは「グインサーガ」だった。

私が出会った栗本薫の作品。

  1. グインサーガ本伝

    1. 1979年9月30日 豹頭の仮面

    2. 1979年10月15日 荒野の戦士

    3. 1980年3月15日 ノスフェラスの戦い

    4. 1980年6月30日 ラゴンの虜囚

    5. 1980年10月15日 辺境の王者

    6. 1981年5月31日 アルゴスの黒太子

    7. 1981年7月31日 望郷の聖双生児

    8. 1981年10月15日 クリスタルの陰謀

    9. 1981年12月31日 紅蓮の島

    10. 1982年5月15日 死の婚礼

    11. 1982年9月15日 草原の風雲児

    12. 1982年11月30日 紅の密使

    13. 1983年3月31日 クリスタルの反乱

    14. 1983年6月15日 復讐の女神

    15. 1983年7月31日 トーラスの戦い

    16. 1983年9月30日 パロへの帰還

    17. 1984年2月29日 三人の放浪者

    18. 1984年5月31日 サイロンの悪霊

    19. 1984年10月31日 ノスフェラスの嵐

    20. 1985年2月15日 サリアの娘

    21. 1985年5月15日 黒曜宮の陰謀

    22. 1985年9月30日 運命の一日

    23. 1985年12月15日 風のゆくえ

    24. 1986年5月31日 赤い街道の盗賊

    25. 1986年10月31日 パロのワルツ

    26. 1987年2月28日 白虹

    27. 1987年8月15日 光の公女

    28. 1988年5月15日 アルセイスの秘密

    29. 1988年10月15日 闇の司祭

    30. 1989年7月15日 サイロンの豹頭将軍

    31. 1989年12月15日 ヤーンの日

    32. 1990年4月30日 ヤヌスの戦い

    33. 1990年7月31日 モンゴールの復活

    34. 1990年10月31日 愛の嵐

    35. 1991年4月30日 神の手

    36. 1991年10月31日 剣の誓い

    37. 1992年2月15日 クリスタルの婚礼

    38. 1992年3月31日 虹の道

    39. 1992年4月30日 黒い炎

    40. 1992年9月30日 アムネリアの罠

    41. 1992年12月31日 獅子の星座

    42. 1993年10月31日 カレーヌの邂逅

    43. 1994年3月31日 エルザイムの戦い

    44. 1994年6月30日 炎のアルセイス

    45. 1994年9月30日 ユラニアの少年

    46. 1994年12月31日 闇の中の怨霊

    47. 1995年4月15日 アムネリスの婚約

    48. 1995年6月15日 美しき虜囚

    49. 1995年9月15日 緋の陥穽

    50. 1995年11月15日 闇の微笑

    51. 1996年4月30日 ドールの時代

    52. 1996年6月15日 異形の明日

    53. 1996年9月30日 ガルムの標的

    54. 1996年12月15日 紅玉宮の惨劇

    55. 1997年2月28日 ゴーラの一番長い日

  2. グインサーガ外伝

    1. 1981年2月15日 七人の魔道師

    2. 1982年3月31日 イリスの石

    3. 1983年2月28日 幽霊船

    4. 1983年12月31日 氷雪の女王

    5. 1984年12月15日 時の封土

    6. 1986年2月15日 ヴァラキアの少年

    7. 1986年12月15日 十六歳の肖像

    8. 1990年3月15日 星の船、風の翼

    9. 1990年12月31日 マグノリアの海賊

  3. グインサーガ・ガイドブック

  4. 1983年 カローンの蜘蛛

  5. 1986年 カナンの試練

 

日記に綴られた栗本薫の作品にまつわる思い。


1999年3月18日(木)

 グインサーガは、どんどん、思いもかけぬ展開を見せ拡がっている。よくここまで書いたものだと感心する。作家を志すものなら誰でも、おのが筆一本で紡ぎ出す世界を、一つの小宇宙を創り出したいと思うものだ。アシモフの銀河帝国もしかり。ニーブンのノウンスペース、田中の銀河英雄伝説しかり、ルーカスのスターウオーズ世界しかりだ。栗本薫のグインサーガもご多分に漏れず、地理から、距離の測り方、時間の測り方、暦、食品飲み物に至るまで、ありとあらゆるものを作り上げている。書き始める前から100巻を目指して物語は始まり、16巻を終えたときにようやく序章が終わったと豪語するあたりもすごいが、すでに50巻を越えギネスブックに、個人としての小説の最長記録として登録されたらしい。大学時代にその存在を知り、すでに10巻近く刊行されていたので、追いつけ追い越せとばかりに読み進み、社会人になる頃序章たる16巻を迎えた。すでに付き合い初めて15~6年だろうか。途中で読むのが嫌になったときもあった。つい最近も嫌になって止まっていたのだが、先頃買い貯めてあったものを読み始めた。やはりおもしろい。かなりえげつない悪徳の臭いを放ちながら、快調にグイン世界が展開している。少々作家側も傲慢になってきているのを感じる。とはいえ、つい読み進んでしまう。ここ数日でたまっていた4巻を読んでしまった。



1999年3月20日(土)

 今日も雨が降っている。昨日は、随分遅くまで本を読んでしまった。結局寝たのは4時過ぎだったろうか。と言うわけで相変わらず今日もお昼に目覚めた。ついにグインサーガも買い置きを全部読んでしまった。5冊読んだことになる。あっけなかった。まあ作者も100巻書くと豪語しただけあって、一つ一つを細かく書いているから、まるで終わりのない連続テレビ小説でも見ている感じだ。そういう意味では終わりがないと言う今の感じは、読者にとっては本当に素晴らしいことだ。それをこそ作者の栗本薫氏も目指しているのだろうけど。よく書き続けられると言うか、それを目指しているからこそ、書きたい事が山のようにあって、今や絶好調なのかも知れない。そんなわけでここ一週間ほどはグインサーガを読み続けてしまったので、図書館で借りたマイクロソフト帝国裁かれる闇下巻はまだ読み終えぬまま、返却期日が来てしまった。ましてやビルゲイツ未来を語るは、かったるくて途中で止まってしまった。


 とまあこんな感じで最近の生活リズムは決まってきた。9時~12時頃までの昼頃起き、カーテンを開け、トースト1枚とコーヒーを飲む。コンピューターの電源をいれ、今日の予定を確認。2~3回フリーセルをやって。うんこをする。2時から3時頃そろそろ本格的に腹が減り出すので、御飯を炊き、ラーメンか、カレーか、ハンバーグそしてサラダ等で食事をする。最近は焼きそばもちょくちょく作る。この食事時間にちょっとだけレーザーかビデオを見る。その後しばらく本を読み、気が付くと暗くなっているので、カーテンを閉め、また本を読む、この間うたた寝をするときがある。そのうち7時~8時頃になるとお腹が減ってくるので、昼に炊いた御飯の残りとおかずのバリエーションを変えて食事をする。この時もレーザーかビデオの続きを見る。食事を終えタバコを吸い終えたあとは、リビングの電気を消し、ワークルームに行きしばらくコンピューターに向かう。今日の一日の出来事や、感じた事などを日記に付ける。これは思いついたときに書き込んでいるから時間は一定していない。9時頃寝室に行きテレビをしばらく見る。映画をやっているときは映画を見ている。そしてまた本を読み、たまにフリーセルなんかをして、気が付くとだいたい2時頃だ。寝ることにする。こんな感じだ。


 今日は、図書館へ返却の日だから、マイクロソフト帝国裁かれる闇を持って図書館へ行った。雨のせいで咲いたばかりの木蓮の花が無惨に散り始めている。玄関を出ると、いい香りがした。いまだにどの植物の香りか分からないがいい香りだ。郵便物が来ていた。暮らすと言うだけで随分税金がかかるものだ。固定資産税と、放浪社の県税の請求が来ていた。図書館へ行き、グインサーガの続巻を確認すると56巻・57巻があったのでそれと、マイクロソフトとSF大百科事典を借りる。ジャンボエンチョーに寄るが特に必要なものは何もない。タバコもまだ買うのをよすことにした。角の薬屋でゴキブリ駆除について相談した。春先にバルサンをまず焚いて、もし卵から孵った奴がいたらもう一度焚きなさいと言われ、家全体を燻すために3個購入した。2362円。食器、衣類、布団などにかからないようにして焚くよう注意を受けた。帰宅して、そろそろ腹が減ったので御飯を炊き、久しぶりに焼きそばを作った。かつて東京で、カップ焼きそばをよく食べた。あれと違い、野菜や、ウインナー、卵がたっぷり入った自家製の焼きそばはうまい。食事をする度に幸せを感じる。それにしても、ここ最近本当に、ちらりちらりと、目の端で何かを見ているような気がしてならない。それはただ、天井からつるされているモビールの影なのかも知れないし、ゴキブリなのかも知れない。でもグレムリンではないと断言もできないのだ。


 知らない間にグインサーガの表紙絵作家が変わっていた。初代は加藤直之氏だった。そして56巻までの2代目は天野喜孝氏だ。今回57巻から末弥純氏に変わった。末弥氏のタッチは加藤氏のタッチによく似ている。


 久しぶりに映画「メジャーリーグ」を見た。いい映画だった。途中で流れるセンチメンタルな曲もいいんだなー。次週は「メジャーリーグ2」と続けて放映されるようだ。昨日は「ベイブ」が新作に先駆けて放映され、テレビ局もなかなかいい采配をしていると思う。


1999年3月24日(水)

 昨晩は12時半には寝たのだ、でも今日目覚めたのは昼の11時だった。朝の7時頃一度目覚めたのだ。でもどうにも眠くてそのまま昼まで寝てしまった。そして夢を見た。夢を見ながら、これも小説ネタになると思いながら見ているのが我ながらおかしい。今日の夢は突拍子もないもので。アイデンティティー識別をオナらでするというものだった。事にオナラは、衆人環視の元でするものではないから、盗まれにくく、オナラは一人一人異なっているため、識別しやすいと言うのだ。目が覚めてしまえばばかばかしいようなことだけれども、夢の中では少しもばからしくもなければ、不真面目でもない、真剣そのものだった。オナラによる特定か。おもしろいよね。特定するために一所懸命一のオナラの音を聞いたり臭いをかいだり。中にはオナラをまんまと真似する奴が出てきたり。オナラが出ないために家には入れないことがあったり。女性は人前でオナラなどしたくないだろうし、こっちだってかわいい女の子のオナラなんて聞きたくない。かわいい女の子でなくたって人のオナラほど、聞いたり臭いを嗅いだりしたくないものはないものな。変な夢であった。


 さて、今日は風もないし天気もいい。昼まで寝てしまったとはいうものの、まだ十分に時間はある。早速御飯を大急ぎで食べて。布団と枕そしてクッション類をベランダに干した。大井さんへ送る衣類と手紙を袋に詰め、食器類、衣類にナイロン袋をかぶせた。そしてバルサンを午後1時に焚き始めた。もう3時間ほど家にはいられない。まずタバコを買い、ローソンで大井さん当ての宅急便を頼んだ。そのあと銀行で、固定資産税と、放浪社の県民税を支払った。まだ4万円あると思っていたが残金は8000円ほどになってしまった。仕方があるまい。郵便局に行き佐奈ちゃん宛の手紙を出し、遠信の残高を確認した。28000円ほどまだあることを確認した。これならまだガス水道代を支払っても食費は残るだろう。とにかく必要でできることは全部してしまった感じですっきりとして気分がよい。


 町の櫻はふっくらとつぼみを膨らませ、今にも咲き始めそうだ。つい先日まで、枯れたようにひっそりとしていた櫻の木々が、うっすらと紅を差したように美しい。初めて通る道を天竜川に向かってどんどんいく。どこまで行っても、家がある。天竜川の堤防に出て海に向かって車を走らせた。風を受けると少しだけ冷たいけど気持ちがいい。河原も様相が異なっていた。まるで全てが枯れたように藁のような色ですすけた景色だったのに。そこら中の木々が新芽を出して若い緑の色合いが生き生きと拡がっていた。海辺の近くの中州にはかもめが大群を作って群がっていた。ほんの少し行くとそこは太平洋だ。行船がゆらゆらともやわれているその向こうで、かもめ独特のミュウ、ミュウーという鳴き声が聞こえる。別の中州には川鵜らしい鳥が群れている。白鷺や、渡り鳥らしき鳥も沢山群れていて何だか映画のワンシーンのようだ。しばらく車を止めて見とれていた。一機の飛行機が上空に飛来した。かもめたちはざわざわっと一斉に飛び立った。その勢いに驚いてそのほかの鳥たちが飛び立った。素敵なショーを見ているようだ。双眼鏡を持ってくればよかった。明日もう一度天気が良ければ、双眼鏡を持って来ようかと思った。しばらく見とれてタバコを一服した後、海辺へ出た。波はほとんどない穏やかな海だ。でも春霞がかかってあまりくっきりした感じではない。とはいえ、海は広くどこまでも続いていた。遠く沖合いを3隻船が航行している。そういえば昨日は、日本海沖で不審な船二艘が、日本の警備船の勧告を無視して逃走し威嚇射撃が成されたと言うニュースが流れていた。遠くオーストラリアではゴンドウイルカ数十匹が浜に打ち上げられ身動きできずにいるのが見つかり、ボランティアたちの活躍で海に返されたという。そんなことを思いながら海辺に車を停め本を読んで過ごした。


 そろそろ4時になる、バルサンも3時間ほどでOKと言うことだったから、帰ることにした。それに日も陰ってきたから、布団も取り込まなくっちゃいけない。家に着いたのは4時ちょっと過ぎだった。海までの往復は60キロほど。岡崎の家に帰るのとあまり変わらない。楽しみに家に入るとまだ煙が漂っていた。仕方がないから、もうしばらく家にはいるのを諦め、お腹も減ってきたので、パンとペプシを買って、都田総合公園へ向かった。ペプシにはペプシマンのフィギャーが付いたボトルキャップが付いていた。そこでパンとペプシをかぶりつきながら本を読んで小一時間。家に帰った。早速窓を開け放って空気の入れ換えを行い。布団を取り込んだ。目に見える死んでいるゴキブリは7、8匹だった。と言うことは目に見えないところで随分死んでいるのだろう。しょうがない。今日はもう暗くなり始めたから、仕方がないとして、明日はちょっと本腰を入れて、家の大掃除をしよう。これでもって何だか家がすっきり爽やかになると思うと嬉しくなる。


 「マイクロソフト帝国裁かれる闇」下巻を読み終えた。その分で言うと、全くウインドウズの環境下で、MSオフィスを使い、インターネット・エクスプローラーを使うのは、マイクロソフトの策略であると言うことになる。ご多分に漏れず、僕も98はウインドウズにMSオフィスとインターネット・エクスプローラーを見事に利用している。それ以外はほとんど利用していないと言っても過言ではない。でもエクセルとワードは、他のものを使うよりあえてこれを使いたいソフトだ。インターネット・エクスプローラーはたち上げが遅くて重いからあまり好きではないが、実際ネットスケープナビゲーターは使っていない。この本はウインディ・ゴールドマン・ロームはかなり癖のあるジャーナリストという感じがする。一方的にマイクロソフトを非難している感じがする。大筋は知らないことばかりだから信じてしまうしかないが、アップルとのやり取りは先日読んだばかりの「アップル」上下巻に書かれていたことと若干違う感じがする。つまり、他のことも、著者の独断で決めつけられている面が大いにあるだろうと予想された。文章も自分だけが分かっているような書き方が方々に見られて意味が不明だったり、結局誰が誰に対してどうだったか分かりづらい所が随所に見られた。そんな風だから途中で読むのを中断してしまって、グインサーガを読み始めたのも無理はないかも知れない。マイクロソフトの一面、現在のコンピューター業界の一面を知ることはで来たが、気分のいいものではなかったし、今読み終わっても、やっと読み終えることがで来た。よかった。読み終えないことには何だかすっきりしないもの、でも読むのは苦痛だと言った本だった。「アップル」も読むのが苦痛だった。でも「アップル」は読み終えたあとはすっきりしたものだった。


 さて何もかもが終わったと思ったのだが、夜になると、ゴキブリたちがまたもや出始めた。なんと生命力の強いことだろうか。一度の燻しだけではダメだったのか。それともゴキブリたちの最後のあがきか。困ったものだ。



1999年3月30日(火)

 昨日はただただ「狂骨の夢」を読む一日だった。風呂に入ってさえ読んでいた、身体も洗わず。読みふけった。人は何らかの神秘体験が、人生を大きく左右すると言うこと。宗教を信仰する人の多くは、神秘体験に裏付けられていること。そしてほとんどの人が神秘体験を望んでいること。まあそんなことなんかを感じながら読んでいた。狂骨の夢は、結局妖怪は出て来なかったし、神秘体験すら、実は神秘的でもなんでもなかったという説明がちゃんとなされ、その分荒唐無稽な感じではなくまとめられていた。でも謎は謎を呼び、これはどうなるんだと、どんどん風呂敷を広げて行き、収拾なんかつきそうにない状態で、見事に様々な事件が一つに収束されて、すっきりさせてしまうあたりなかなかなものだった。最近は名探偵コナンとか、金田一少年の事件簿とかいった感じで、少年向けのマンガの中でも推理ものが好まれている感じだ。昔から推理ものは好まれていたけど・・・。とにかくどうなるんだろうと言うことで、次が読みたくなってしまう。でもあんまり目に涙をにじませて感動するというものではない。ここ最近沢山本を読んだけど、感動する本にはなかなか出会わなかった。藤沢周平の「風の果て」も感動はしなかった。そうだなあ、本当に今まで読んだ本で感動したものは、オーソン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」「使者の代弁者」とか三浦綾子の「塩狩峠」だろうか。胸の奥から突き上げてくるような感動があったな。なかなかそう言う作品には出会えない。そしてやっぱり思うことは、感動を与えてくれた作家は信仰を持っていたという事。何か動かし難い拠り所を持って描く作家の物語には、魂を揺さぶる何かがあるという事だろうか。そう言ったものを持たない作家の物語は、確かにおもしろいのだが、おもしろいで終わってしまう。栗本薫の「グイン・サーが」などはよくここまで書くと思うけれど、つい続きが見たくなる連続ドラマであって、随分長く付き合ってきたけれども、感動の経験はなかったように思う。エンターテイメントとはそうしたものかも知れない。とにかくおもしろいことが第一だ。エンターテイメントと感動の大作は、なかなか相いれないものらしい。


 そんなわけで昨日は、何だか変則的な(毎日が変則的なんだけど、事に昨日は変則的な)一日になってしまって。本を読みふけり、眠くなると昼でも寝て、夢の中で続きを見ながら目覚めると又読み、風呂に入ろうとしながらなかなか入れず、夜中の2時頃ようやく湯船につかったのだが、ちょうど物語は佳境に入っていたので、結局風呂の中でも本を読み続け、暖まっただけで身体も洗わず出てきたのだった。そのまま読み終えるまで起きていたものだから、朝の6時になってしまった。少し曇り空だったけど、夜が白々と明けるのを気持ちよく感じた。燃えるゴミを出して、カーテンを開けて。そしてベッドに潜り込んで寝た。起きたのは2時頃、コーヒーとトーストを食べて、一服して図書館へ本を返し、予約してあった本を借りに行った。途中櫻の見れる通りを選んで車を走らせた。もう、櫻はしっかり咲いていて、見頃だった。このまま雨など降らなければいいのになと思ったのだが、本を借りて帰ってくること、小雨が降り出していた。


1999年3月31日(水)

 今日は思いの外良い天気となった。早速、櫻の写真を撮りに出かけた。窓から見える空に雲は少なかったけれども、実際には雲は思った以上に多く、雲の合間から太陽が照っているのだった。でも天気がいいことには違いない。白昭の櫻通りをまず写真に収めた。そのあと、台地を東に降りた川沿いの櫻を写真に収めた。河原にはたんぽぽやすみれが咲いていた。櫻より濃厚なピンクの桃の花も咲いていた。いや梅かな。よく分からない。河原では釣り人が数人いた。のどかですがすがしい一日。今日で3月も終わる。


 まあしかしなんだね、栗本薫の小説は、いちいち大げさで、回りくどくて。修飾語が多いから読んでいていらいらしてくるところがあるね。出来の言い作品というのは、そこはかとない表現に、色々なことを感じさせるものだろうなんて、彼女の作品を読めば読むほどに思ったりする。ならばもう読むのを止せばいいのに、まだ読んでいる、不思議なもんだ。現在58巻まで読み進めてきたから、とにかく100巻全てが終わるまでなんとか読むだけは読み切ってみようと思って取り合えず読んでいる。あれ以来実は読む気がなくなって、買い置きが増える一方ちっとも読まなかったんだよな。3年前頃だったか。50巻ちょうどの頃だ。今どこまで進んでいるのか知らないけど、約三年の間にもう60巻を越え、外伝も僕が読んでいないものが5巻ほどあるようだ。10数巻から20巻近くたまっていることになる。20巻として3年だから1年の間に6巻ほど出していることになる。つまり2月に1巻は出していることになる勘定だ。確かによく書くことだけは書いていると思う。でも、段々又膿んできたね。いつもそうなんだ。読み進むうちに膿んで来るんだ。彼女の作品は。それでも読ませてしまうんだから、これも一つの力だろうけど、言ってみれば腐れ縁のようなもので、しょうことなしに読んでいるというか。変なものだ。


 そういえば昨日、感動する作品は、作家が何らかの宗教家であるようなことを書いたけれど、宮崎峻は何か信仰しているのだろうか。どうもそう言った感じは受けない。でも彼の作品は、正に魂がふるえるような感動があった。「風の谷のナウシカ」は幾たびか感動の山場が襲ってきた。最後の終わり方はだいぶ物足りない感じだったが、よくあれだけの世界を紡ぎだしたと思う。そして本当に幾たびか、お腹のそこからこみ上げてくる感動を味あわせてくれた。彼も不思議なストーリーテラーだ。


 もう一度感動した本だけを読み返してみようか。ここ数日、随分本を読み漁ったけれど(約38冊/3ヶ月間)、本当に感動する本には出会っていないのだもの。買い置きの本16冊(スター・ウオーズ8冊、グイン・サーガ5冊、リングワールド、ブレードランナー、新電子立国)借りた本が19冊(アップル上下巻、マイクロソフト上下巻、マッキントッシュ伝説、マッキントッシュ物語、Java、ループ、マンガと戦争、グイン・サーガ2冊、風の果て上下巻、狂骨の夢、図鑑・辞典5冊)漫画が3冊(藤子不二夫SF短編集3冊カンビュセスの籤、緑の守護神、征地球論)この中で本当に読んでよかったと思えるのは新電子立国1冊だけだ。なんともはや。でもかつてうつ病だった頃、藤子不二夫のSF短編集は、何か暗い気分を引き起こしてちゃんと読めなかったものだが、今回は非常に楽しく読むことがで来た。


 ひょんな事からなつかしの卒業論文を見た。CP/Mが僕の卒論テーマだった。今思うと、なかなかいい出会いだったかも知れない。パーソナルコンピューターのオペレーティングシステムの先駆者となったCP/M。当時学生だった僕は、電子工学の学生であったこともそうだけど、コンピューターにあこがれていた。でも手が届くものではなかった。毎日のように訪れていた、梅田阪急の紀伊国屋書店でCP/Mと言う言葉を初めて見た。耳慣れなかったけれど、やけにそこら中で見かけたので、これは何かある、なんだろうと興味を持った。そして、卒論では偶然にもCP/Mがテーマとなった。ちょうどその頃、両親に頼み込んでようやくアップル2の中古品を手に入れたところだった。アップル2ではCP/Mは走らなかったが、BASICを自宅で試すことはで来た。そういえばあの頃は、ようやくパーソナルコンピューターがちまたに出回り始めていて、これも毎日のように、コンピューターショップを訪れていた。そんな中でもアップル2は魅力的だった。ソフトウエアーも国産のものを遥かにしのいで優れたものがあった。でもいずれもほとんどが英語のソフトで、国産のコンピューターは、カタカナではあっても日本語が使えた。そしてアップルは高かった。NECのPC−8000シリーズ、8800シリーズ。富士通のFM8、FM7シリーズ。シャープのMZシリーズ。そんな中にはソードやパナソニック、東芝のパソピアなんてのもあったけど。アップル2とコモドールのペットが何だかかっこよかった。そしてシンクレアというイギリス製の随分安いコンピューターがあった。Z80をCPUに使ったコンピューターが主流だった中で、一番安かったし、BASICも走っていた。そのうちASCIIらが提唱した、安いコンピューター郡としてMSXが登場し、NECからはPC−6000シリーズが出てきた。だいぶ安いものが出てきたわけだ。毎晩のように、あれがいいかこれがいいか、スペックを見てカタログとにらめっこをしていた。


 ある日、難波のショップでアップル2の中古品が出ていた。25万円位したと思う。当時中古でなければ倍近くしたから、これは掘り出し物だと毎日通って眺めた。どれほど通っただろうか、ついに決心して両親に頼み込んだ。父は随分怒ったが、なんとか出してくれた。そして僕は念願のアップル2を手にしたのだ。中古品だから、ちゃんとした箱もないし、マニュアルも少々破れていたが、僕の宝物となった。アップルフリークの誕生だ。毎日マニュアルを持ち歩き、読み漁り、家に帰ると、いじり回した。BASICで、色々なプログラミングをした。それより2年ほど前だろうか、この時も随分悩んでようやく電卓を買ったのだった。カシオのFX−502Pプログラミング電卓だった。早速、マニュアルを読み漁りプログラミングをして遊んだ。これは持ち運びができるから電車の中でもプログラミングがで来た。ハノイの塔やトロン、ポーカーなど色々作った。どんどん深みに入っていった。電卓は友人が買い換えるというので、翌年だったか僕のFX−502Pを友人に売り、別の友人からFX−602Pに買い換えたのもこのころだった。602Pは大文字小文字にカタカナ表示がで来た。そして手に入れたアップルだったから、大変だ。カラー表示もできる。コンピューターショップへ行くと、決まって、店頭においてあるコンピューターに、簡単な作図プログラムをして、動かしたりしたものだった。


 大学にはIBMの360があったが、これはパンチカードを使ってフォートランでプログラムして、何だか訳の分からない解析プログラムばかりやらされたからちっともおもしろくなかった。でも研究室には、日立のベーシックマスターと、タロス2が置いてあった。タロスはCP/Mマシーンだ。毎日自由にいじることがで来た。同じ研究室の友人たちと、絶えず入り浸りでCP/Mと格闘した。アセンブラ言語でのプログラムはあまりうまくなれなかったけれど、とにかく少しは分かる程度になっていた。


 その後どういう風の吹き回しか、8年も学校に行ったというのにローランドに就職することができ、DGに配属が決まり、プログラミングをすることが仕事となった。マシーンはPC−8800とタロス2によるCP/Mマシーンだった。気が付くと、ばしばしソフトを開発し始めた。PC−9800が導入され、MS−DOSに移行していったのは自然な流れだった。そしてしばらくMS−DOSを使った後、UNIXへシステムは変わっていった。信じられないことだけど、当初UNIXの管理者は僕だった。ASRというUNIXマシーンの会社に数日の研修に行き、その後メンテナンスからバックアップを受け持っていた。メールを使うようになり、インターネットの前身となるメーリングにも参加して、Eメールは当たり前の感じだった。こうして思い出すとき、大学時代卒業論文にCP/Mをやらせてもらったおかげだと思う。当時色々かっこいいテーマが幾つかあったように思うのだが、当時としてはまだあまり脚光を浴びていなかったパソコンのOS、今や時代の花形だ。


 会社に入ってすぐ、アップル2はもちろん使っていたけれども、ようやくマッキントッシュという、素敵なコンピューターがアップルから発表された。初めはリサのことばかりを耳にしていたけれども、リサはあまりに高価だった。そして時代はマッキントシュに移り変わっていった。どこで知り合ったのか分からない。大学時代のアップル仲間の紹介かも知れない。一度もあったことのない人から、結構値打ちにマックを買うことがで来た。そして僕はマックユーザーになった。当時マックを持っている人は少なかった。でもしばらくすると、僕の持っているマックは時代遅れになり、マックプラスを持つ友人たちが増えていった。なんとか漢字トークが走って、日本語処理が出きるマックだ。僕のマックはダイナマックだった。512Kバイトのメモリーと、漢字ROM、EGブリッジと言うソフトのおかげでなんとか漢字が表示できたけれど、マック本来の、各種ポイントでフォントを使う環境にはほど遠かった。相変わらずアップル2の時と同じ英語マシーンだった。でも早くからマックOSのアイコンとマウスを使った素晴らしい環境は堪能することがで来た。又アップル2時代同様質のいいゲームにも恵まれた。こうして、不思議と時代の波を捕らえて、最新テクノロジーを我がものとすることがで来ていたのだと思う。


1999年4月2日(金)

 今日は曇り空だったが、4時頃から小雨が降り出した。今日は、ようやく書籍データベースの入力を開始した。今日は永田さんたちが来て、硲さん夫妻が来て、廣瀬さんたちが来た。なんと大にぎわいな事だろう。書籍のデータベースを作り始めた。グイン・サーガと海外SFはだいたいがとこ入った。150件ほどだろうか。


1999年4月13日(火)

 夜のうちは雨が降っていた。僕はどうもおまけに弱い体質らしい。小さい頃からお菓子のおまけが好きだった。大人になってもタバコのおまけとか、お酒のおまけとか、何やかやとおまけに付いているグッズにどうも引かれてしまう。おまけはだいたいオリジナルなものが多く、ものによってはそのおまけになる賞品のロゴの入ったものとかが多い。また独特なチープさがあって、妙に引かれるのだ。今回はペプシのおまけに付いている、ボトルキャップのペプシマン人形が気に入ってしまった。ついつい望みのフィギャーが欲しくて、袋の上からさわって選んでしまう。今回はホットドッグ・ハンバーガー・ピッツア・フライドチキン・フレンチフライ・ペプシカン・それからP・E・S・Iの形をしたペプシマンの10種類のフィギャーがある。これらのプレミアムグッズは通常は付いていないものだが、期間限定で、今だけ500mmボトルに1個付いて来る。通常付いていないものが同じ値段で付いてくると言うのだからお得だ。徳だと言うこともさることながら、このフィギャーたち中国製なのだが、造形もしっかりしていて、着色もメリハリがあってなかなかの出来映えである。ホットドッグ・ハンバーガー・ピッツア・フライドチキン・フレンチフライ・ペプシカンはいずれもいい出来である。ついコレクションしてしまう。わずかな費用で随分楽しませてくれた。

 今日は銀行へ行き、放浪社の返済や、大和銀行の返済、電話代、車の保険の支払い。それから弥生ちゃんへの返済を済ませ。図書館に行って借りていた4冊(スターウオーズの新反乱軍上下巻・グインサーガの58巻59巻)を返却し。永田さんに借りた本があったのだが、つい「パーソナルコンピューターを創造した人々」「世界の民族」「日本の防衛平成10年版防衛庁出版」の3冊を借りてしまった。そのあと生協へ出かけて、食料を久しぶりに買い出しした。帰ってくると永田さんから今日来ませんかとの留守番電話が入っていた。明日ぐらいに行こうと思っていたので。今日出かけることにした。永田さんの事務所は鴨江にあって、結構スペースが広い立派なところだった。今日詳しく説明を聞き、先日まで自分で色々勉強したことを会わせて、だいたいのことは分かった気がする。17日に事行説明会があるという事で、出席することになった。一通り仕事の話しが済むと、馬刺と、今日取ってきたばかりという竹の子、葺きなどを料理して、焼酎を飲みながらよた話をした。気が付くと12時だった。6時におじゃましたから6時間もおじゃましたことになる。社長の大石さんが先日僕の家へ来たときに、僕が化石にも興味があることを知り、魚類の化石の本をくれた。分厚い本でドイツ語で書かれているから、読むことはできないが、カラフルな写真がきれいでとても嬉しかった。


 

 彼女の作品は六十数冊も読んでいるがほとんどグイン・サーガ。栗本薫が他界してすでにずいぶん経つがいまだに追いつけない。正伝55/130(148)、外伝9/22(27)で止まっている。括弧の数字は彼女が他界してのちに別人が書いた続編で、今も増殖している。

 さて彼女が描き始める前から百冊を超えると豪語していた作品で、私が知った時にはすでに10冊以上出ていた。知った時点でもう尻込みしていたが、その頃知り合った友人が、あまりに面白いというので、読み始めたのだ。それは大学をもう直ぐ卒業して社会人になろうとしていた頃だった。その後順調に読み進んでいたようだが、いろいろなことが起きて、再び読み始めた頃の記録が日記に綴られている。グイン・サーガに関係ないことも多いが、なんだかとっても面白い。


 同じように長く続いている作品で「宇宙英雄ペリー・ローダン」があるが、あまりにも長いのでいまだに手をつけていない。


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