スーパーマンになっちゃった
I became Superman
ある朝、目が覚めると、彼はスーパーマンになっていた。「これはすごい、何でもできるぞ」彼は、自分に与えられた力を人のために使い、名も告げずに颯爽と立ち去るヒーローになろうと決心した。
だけど、困ってる人が現れたら、どこで上着を脱いだらいいだろう。
着替えができる所が無かったらどうしよう。
着替えのできる都合のいい場所で事件が起こってくれる、というわけにもいかないし。
脱いだ服はどうしたら良いのだろう。
犬がくわえて行ったり、誰かが持って行ったりしないだろうか。
映画のスーパーマンはどうしていただろう。
そうか、ザックに入れて担いで行けば良いか。
そんなことを心配するのだった。
「玉よりも速く、機関車よりも強く、ビルディングもひとっ飛びする力」を求めてる人はそうはいない。そんな力を必要としている人がいるとしても、車を溝に落として困っている人や、風船を飛ばして泣いている子供ぐらいのものだった。
彼も始めのうちは目を輝かせて助けに行った。しかし彼の特殊な力を使うほどのことではなかった。ヒーローになろうと思っている彼にとって、助ける内容の大小が問題だった。結局小さな人助けは誰でも出来るからと人に任せて、大きな人助けばかりを探して、何もできずにいる。スーパーマンの力を持つようになる前だって、小さな人助けをできなかったことなんか、もうすっかり忘れている。
事件や、助けを求める人を探してうろうろしながら、日が暮れるそんな日々が続いた。
よく考えてみると、私たちの周りで彼が探している様な事件がそこらじゅうで頻繁に起こっているだろうか。助けを求める人がいるだろうか。どうも違うようだ。ほとんどの人が、事件に巻き込まれることもなく、無事に過ごしている。きっとこの世の中は平和なんだろう。スーパーマンなんて必要のない世界なんだ。
いや、ホントにそうだろうか。確かに、大方の人が、何事もなく過ごしているけれど、新聞やテレビでは毎日のように事件が報道されている。一体この世の中は、平和なのだろうか平和ではないのだろうか。彼は、新聞やテレビのニュースにかじりついて、事件となるや飛んでいく。先日も火山の爆発ニュースを見て駆けつけた、着いた時には彼の出番はもうなかった。火山の爆発なんて滅多にないことなのに。彼は思う、なんで映画みたいなどぎつい悪者がいないんだろう。確かにこの世には、映画に出てくる様な悪者はいないらしい。かといって悪者がいないわけではない、映画のようにはいかない。
終わり