2023/2/19
ジム・カールトンとの出会いは「アップル」だった。
私が出会ったジム・カールトンの作品は。
1999年 アップル 上下
日記に綴られたジム・カールトンにまつわる思い。
1999年2月11日
ジム・カールトンの「アップル」上下巻を読むのは苦痛だった。大好きだったアップルという会社の、どうしようもないグロテスクな部分ばかりが取材してあったからだ。何だかアップルに嫌気が差してしまいそうな内容だった。
スティーブ・ジョブズが興したアップルは、ジョブズが招いたジョン・スカリーに取って変わられた。そのスカリーもジャン・ルイ・ガセーにとって変わられ、ガセーもマイケル・スピンドラーに変わられた。そしてスピンドラーもギル・アメリオに変わった。かつてビッグ・ブルーとあだ名してIBMに敵対したアップルは、IBMと共同でパワー・PCを開発し、パワー・PCマックを作った。そのパワー・PCチップも今やG3チップとして生まれ変わった。その動作速度は、ウインテルマシンを遥かにしのぐ驚異のマシーンだ。何よりもの変化はアップルのロだ。レインボーカラーからモノトーンのアップルマークへ変貌した。スタイルも目を疑いたくなるようなスケルトンモデルへと変身した。今やアップルは、僕の知っているアップルではないのかも知れない。
アップルは魅力的な製品を出し続けていたけれども。その背後では、幾度もIBMや幾多の企業に身売りをすべく交渉をしていた。あるいは、自社を二分する計画を立て。OS専門の会社はサンと協力してハイエンドからローエンドのマシーンを提供し。ハード部門はマックマシーンとウインテルマシーンを生産する事まで計画していた。僕がこの本を読んでいていたたまれないのは、アップルの魅力はカケラも読みとることができず、裏切られたような気分になるからだろうか・・・。
1999年2月15日
アップルを読み終える。正直言って驚いている。アップルには今ジョブズがいるんだ。iMacはジョブズが作ったんだ。ヤッホー・・・。一種の興奮状態だな。新しいアップルの製品に何となく今までと違う何かを感じていたのは間違いなかった。何となくジョブズが戻ってきた気配も感じていた。もしかするとあのモノトーンのスケルトンがジョブズのものなんじゃーないかなと初めは思ったものだった。でも本書アップルを読み進むうちに、その歴史がつまびらかになるにしたがい、幻滅し、もう僕の知っているアップルではないアップルになってしまったのだと思ってしまった。でもその最後の最後に、ジョブズは劇的に復帰してきたのだった。そして本書の本文ではなく、また著者のものでもない、訳者あとがきを持ってようやく僕の溜飲は収まった。ジョブズとゲイツがまさに今日のパソコンを築き上げた立役者だった。またあのビル・アトキンソンが作ったハイパーカードが今日のブラウザーの原型だとは言明していないが、重要な位置を示しているとほのめかしているあたり、僕が目を付けた人々(というか大勢いる中でほんのわずか知っている人々と言うべきなのだけれども)正にその人々こそが、今日を創った立役者だった。つまりは僕の目に狂いはなかったという、ちょっとした自尊心を満足させたわけだ。また、ジョブズやゲイツは、ほぼ僕と同年代の人間であることも何か因縁めいていて、今の僕は彼らには比べるべくもない状況ではあるけれども、決してこのままではないゾというものを湧き上がらせてくれた。
結局昨晩はこの本を読みながら3時にようやく寝る決意をしたのだけれども、4時には目覚めてしまった。それも夢の中でアップルの悪夢がうごめき、ついには全ての過去を断ち切る再生劇を果たしたアップルが、あろう事か超弩級の戦闘マシーンを作り上げていて。その戦艦のようなマシーンの砲塔がまるで戦艦大和のように列ぶ姿を見ているうちに、背筋が痛くなり寝ていられなくなったのだ。そして5時半本書を読み終えたと言うわけだ。読み終えてようやく、全てのいらいらが吹き飛んですっきりした。今日はもうこれから全開で行っちゃうもんね。へへへ・・・。
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