2023/2/19
京極夏彦との出会いは「狂骨の夢」だった。
私が出会った京極夏彦の作品。
1995年 狂骨の夢
日記に綴られた京極夏彦にまつわる思い。
1999年3月27日
今日は、京極夏彦の「狂骨の夢」という本を借りてきた。なんと彼は「妖怪小説」と言うジャンルを開発したのだそうだ。以前丹波だったかが、読んでいておもしろいと言っていたのを思い出して、図書館で探してみたら、京極夏彦の本が二冊あったのである。そこでどちらを借りようかと見比べていると、正にその時、図書館員らしき人がやってきて、一冊を持って行ってしまったのである。誰かが予約をしたのだろう。と言うわけで僕は悩む必要がなくなり、残った方を借りてきたと言うわけだ。彼の本はどれも分厚いのが特徴だ。まずは一冊読んでみよう。どれお手並み拝見と言ったところだ。京極氏は昭和38年生まれだから、僕よりも若いのだ。ちょっと嫉妬してしまう。
1999年3月30日
昨日はただただ「狂骨の夢」を読む一日だった。風呂に入ってさえ読んでいた、身体も洗わず。読みふけった。人は何らかの神秘体験が、人生を大きく左右すると言うこと。宗教を信仰する人の多くは、神秘体験に裏付けられていること。そしてほとんどの人が神秘体験を望んでいること。まあそんなことなんかを感じながら読んでいた。狂骨の夢は、結局妖怪は出て来なかったし、神秘体験すら、実は神秘的でもなんでもなかったという説明がちゃんとなされ、その分荒唐無稽な感じではなくまとめられていた。でも謎は謎を呼び、これはどうなるんだと、どんどん風呂敷を広げて行き、収拾なんかつきそうにない状態で、見事に様々な事件が一つに収束されて、すっきりさせてしまうあたりなかなかなものだった。最近は名探偵コナンとか、金田一少年の事件簿とかいった感じで、少年向けのマンガの中でも推理ものが好まれている感じだ。昔から推理ものは好まれていたけど・・・。とにかくどうなるんだろうと言うことで、次が読みたくなってしまう。でもあんまり目に涙をにじませて感動するというものではない。ここ最近沢山本を読んだけど、感動する本にはなかなか出会わなかった。藤沢周平の「風の果て」も感動はしなかった。そうだなあ、本当に今まで読んだ本で感動したものは、オーソン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」「使者の代弁者」とか三浦綾子の「塩狩峠」だろうか。胸の奥から突き上げてくるような感動があったな。なかなかそう言う作品には出会えない。そしてやっぱり思うことは、感動を与えてくれた作家は信仰を持っていたという事。何か動かし難い拠り所を持って描く作家の物語には、魂を揺さぶる何かがあるという事だろうか。そう言ったものを持たない作家の物語は、確かにおもしろいのだが、おもしろいで終わってしまう。栗本薫の「グイン・サーが」などはよくここまで書くと思うけれど、つい続きが見たくなる連続ドラマであって、随分長く付き合ってきたけれども、感動の経験はなかったように思う。エンターテイメントとはそうしたものかも知れない。とにかくおもしろいことが第一だ。エンターテイメントと感動の大作は、なかなか相いれないものらしい。
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