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三浦綾子

更新日:5月23日

2023/2/18


三浦綾子との出会いは「塩狩峠」だった。

私が出会った三浦綾子の作品。

  1. 1965年 氷点 上下

  2. 1968年 塩狩峠

  3. 1969年 道ありき

  4. 1970年 この土の器をも

  5. 1971年 続氷点 上下

 

日記に綴られた三浦綾子にまつわる思い。


1995年10月20日(金曜日)

 午後4時:昨日思ったとおりになった。ごみを出すのさえ忘れて眠り続けたようだ。今日も何だかへんな夢を見たがあまり覚えていない。新垣さんが出てきたのと、巨大な図書館と、IBMのコンピュ−タが出てきた。また蛇が沢山出てきた。三浦綾子の「塩狩峠」を読み始めた。


10月21日(土曜日)

 午前5時:涙と感動を共に三浦綾子の「塩狩峠」を読み終える。圧倒的な感動が僕を揺さぶった。もう今まで読んだどの小説も色あせてしまうような気がした。僕にはここまで書けない。感動と同時に敗北を、そして僕もこのような感動を秘めた作品を書きたいという気持ちを沸き上がらせた。そして生き様を新たにしたいという願いが沸き起こった。キリスト教を毛嫌いしていた少年の気持ちがよく分かる。その少年がしだいにキリスト教の信者となり、いつ死んでも悔いのない生き方をしていく様、病弱な少女を愛する気持ち、そして最後に身を呈して暴走する客車を止めたその行動への展開にはなんの無理もなく心にしみて来るものがあった。最後の十数ペ−ジは本当に涙が止らなかった。あまりに悲しい結末、なのに、胸に突き上げてくる言い様のない感動、止めようがない涙。本来の宗教の持つ力の偉大さを感ぜずにはいられない。そしてふとオウムの持ついかがわしさ、いまだにそのいかがわしさに惑わされている多くの信者達がかわいそうに思えた。奇跡や超能力に惑わされるな、もっと自分を見つめ自分の周りの人々を大切に、愛をもてと叫びたくなる。


 さてなぜ急に三浦綾子を読み始めたかと言うと。先日鷲尾が来たときに梯さんと話したときに三浦綾子を読んだことがあるかと聞かれたこと、ぜひ読むべきであると言われたこと等が記憶にあって、書店で見つけ読む気になったのだ。オーソン・スコット・カード「死者の代弁者」を読んだときも涙が流れるほどに感動をした。彼はモルモン教徒であるらしい。とすると、宗教的色合いの強いものに感動していることになる。と言うより、より所を持っている作家の作品に感動しているのだと思う。僕の作品が誰かの感動を呼ぶためには、僕自身がより所をもって自信を持って書くことだと痛感する。いずれにしろ今「塩狩峠」に出会ったのは素晴らしい出会いだったように思う。そしてベッドにもぐりながら、誰かにこの話を話そうと思い、頭の中でストーリーを振り返ってみた。(いつも本を読むとそうしているように)でも僕の感動を伝えることはとてもできそうになかった。僕は比較的話をすることがうまいと思っていた。でもだめだ、三浦綾子が語ったようにはできそうになかった。僕が正に小説に求めていた感動が「石狩峠」にあった。正にこのような物語を書きたいのだと思う。今や40万読者がいようと村上春樹がものたらなく思えた。彼の小説は確かに読みやすく取っ付きやすいけれども、三浦綾子のような感動は与えてくれない、中身がないように思えてくる。三浦綾子の文章は、センテンスで見るかぎり、三島由紀夫村上春樹のように共感を呼ばないし奇麗だというわけではない、全体が感動を招いている。逆に三島由紀夫村上春樹は、部分的に共感を得られるが、スト−リ−がどう言う内容だったかすぐ忘れてしまう。そういう意味ではどちらが優れているとはいえないかも知れない。できることなら美しく共感を呼ぶセンテンスを書き、全体で感動が起こさせられる物語が書きたいと欲深に思う。


 そして大江健三郎「われらの時代」を読み始めた。すると突然わけもなく12年前に別れた彼女との最後を思い出した。それは5月の連休で、彼女が浜松へ遊びに来たときのことだった。その後別れることになったからどうなったか分からないが、もしかしたら彼女は妊娠したかも知れない。もしかすると僕には10歳なんか月かの子供がいるかも知れない、突然そんなことを思ったのだ。もし妊娠したとしても彼女は子供を降ろしただろう、だからそんなことはありえない、でももしかしたらということもありうるような気がしたのだ。別れ話を出したのは彼女だったから、妊娠したことを僕に告げることができないまま生んでいるかも知れない。それを僕は呑気にも10数年間知らずにいると考えるとたまらない気がした。僕に子供がいるかもしれないという考えは、恐ろしい考えであると同時に、得体の知れない感動があった。阪神大震災を彼女は無事生き延びたのだろうか。それすら僕は知る手立てがないというのに。


 午前11時30分:シ−ツや枕カバーを洗濯し、蒲団を干した。今日は気持ちの良い天気だ。家中の窓を全開にした。名も知らぬ花を見て心ときめかす心を忘れないでいたい。ほんの些細なことにでも感動できる自分でありたい。できれば人のために自分を生かしたい。


 午後6時30分:ちょうどお昼から硲さんの家でカレーをおよばれして、いろんなゲームをして帰ってきた。今日は津露君と宮本君(BOSS初対面)が来ていた。7時から流星群を見るとのことだったが、広瀬さんからの連絡があるといけないので断念した。家に戻ると「中村元気かまた来るミスターX」という置き手紙があった。筆跡が森田みたいだったのでさっそく電話すると「今日は行っとらんよ」という返事だった。一体誰だったのだろう。ミスタ−Xと言う言葉を使うとすれば先日″スコットランドヤード″をやった、森田・山本・小山の3人ぐらいだと思うが、山本の字じゃなさそうだし。森田でもなかったし、小山かな、誰が来たんだろう?せっかく来てくれたのに悪いことをした、すぐ隣の家にいたのに残念だと思う。しばらくすると広瀬さんから電話があった「明日5時30分浜松駅新幹線改札前に来てください」ということになった。


 午後7時30分:ミスターXは小山であった。あいつ電話でしらんぷりを初めしやがって。バイクで岡崎に来たついでに、姫街道を通ってここまで足を延ばしたそうだ。「俺があれ以来一番できたと思ったのに、もう山も森田も来たのか、あいつらへらへらしてるけどいいやつだな」なんて言って、「これはお前の人徳だぞ」なんて言って本当に照れくさいったらありゃしない。あいつは真面目に人のことを心配するから、本当にいいやつなんだと思う、でも何ともこっぱずかしい気もするのだ。またの再会を約して電話を切った。俺は本当にいい友達を持ったと思う。天よ、神よ本当にありがとう。


 午後9時:かれこれ10年本当に良くこのMacを使ったものだと思う。反応が遅く、漢字変換も御粗末で、書体もサイズも変えられないけれど、とにかくこれまでずっとこいつを使ってきた。ご苦労だった。これから新型を買ってもたまに使ってやろうと思う。コンピュ−タを10年同じものを使い続けるというのも滅多にできないことだろうな。なんか大事なものを忘れているような気がする、何だろう。



10月27日(金曜日)

 午前1時30分:昨日は丸々寝てしまった。いつねたのか覚えていないが目が覚めたのが午後9時だった。煙草を吸い、パンをかじり、そう麺とサラダを食べた。LDの具合が悪かったので修理をして確認のつもりで、コナンを見始めたが大津波から大団円まで10話続けて見てしまった。そして気がつくと今日の1時半になっていたというわけだ。本当は昨日は、会に呼ばれていたのだが、出席しなかった。何となく行く気がしなかったのは確かだ。それにしてもよく寝たものだ、17時間ほど寝たことになるだろうか、色々な夢を見たようだけど覚えているものは少ない、気にしている女性が誰かに追われているシ−ンがあった。僕は助けることもできなかった。昔学生時代の下宿が出てきた。何だか色々なことがどうでもいいような気がしてくる。いけないいけない、もっと一日を有効に生きなければ。とは言うもののこのあときっと眠ることはできなくて、また今日の昼間に寝ることになりそうだ。


 午前6時:空は白み始めた。ごみを出しに行く。僕は今ひたすら待っている自分を認識する。11月になって借金が清算されいくら残るかを待っている。東京行を待っている。Macが手に入るのを待っている。大阪行を待っている。変わる自分を待っている。これらが実現した後に僕の執筆活動が本格化することを確信して待っている。


 午前7時30分:大江健三郎「われらの時代」を読み終える。苦しい小説だった、読むのを辞めようかと思う小説だった。後書きを読むと、大江自信がこの作品のためにずいぶん消耗し、不眠症になったことが分かった。それでも彼はこの小説を愛し、書いた意義があったと語っている。「すなわち、僕自身、小説を書きながら、危機の感覚を持っていたいし、読者にも危機の感覚を喚起したいというわけだ」と言うことであり、「反・牧歌的な現実生活の研究を行なうことである」となる。確かに伝わってくる波動がある、ネガティブでダークなパワーを持って描くことによってのみ達せられる真実、僕もそのようなことを考えたことがある。でもやはり読んでみて、そのアンチテーゼによる技法よりも、ただダークな力が読者の心をむしばむことに耐えられない、そこには希望の光を見いだせない。彼が描いた姿は、現代に当てはまる所が多々ある、しかしそうだからと言って彼の描いた時代を、そんなものさと受け入れたくない。僕が書きたいものとは違うものだと思う。


 午前11時:洗濯をしながら、三浦綾子「氷点(上)」を読んでいる。152ペ−ジである、ちょうどルリ子を殺した犯人の子供をもらってきたところである。三浦綾子はなんて悲しい物語を書いたのだろうと思わずにはいられない。残酷だ。午後5時30分三浦綾子「氷点(上)」を読み終える。段々つらくなっていくストーリーに心を重くしながら読んで行くと。最後に主人公の啓造が青函連絡船の事故に合いきゅう死に一生を得、新たな人間になった。少し希望が沸いた。


 午後6時30分:大塚さんから電話がある。明日は10時30分に僕の家に集合ということになったようだ。法来寺山へ行って、その後は宴会ということになった。池田さんが日曜にようがあるということで日曜早くに帰ることになっているそうだった。「あんたこんなに何回も送迎会をしてもらえるのは人徳だよ」とまた言われた。



10月30日(月曜日)

 午前12時:昨日は何時に寝ただろう覚えがない。先程大和銀行から電話があって起きたところだ。返済すべき残金が分かった。18,224,212円である。二月返済したがいっこうに減った感じではなかった。軽くお菓子を食べて本を読み1時半に出かける。今日のカウンセリングでは、僕の幼年期の出来事、感じていたことなどを話した。カウンセリングを終えて帰る途中、38年間の人生を振り返り、話ができたこと、なんのやましい思いも抱かず話ができたことに、不思議な感謝の念がわいてきた。今まで生かされていたことを感じたと行ってもよいかも知れない。


 三浦綾子「氷点」を読み終える。悲しい物語だった。陽子の純粋さ、素直さ、気高さを感じる。と同時に、人の弱さ、悲しさ、はかなさを感じる。原罪がテ−マの物語だと作者は語っていたが、作品発表当時、その言葉になじみのなかった一般大衆は、その言葉に触れ、その重さに感じこの作品が大いに読まれたのだという。三浦綾子の作品はこれで2作目だが、いずれも、表現的にはどこが優れているという感じではなかった。しかし読み終えたあとの読後感は一種独特のものがあり、感動と、得体の知れない興奮を呼び起こす。


 さて10月も終りだ、ほとんど10月は送別会で終わった感じがする。11月は一週間ほど家に帰り、その後東京の平田部長のところへ行きたい。ついでにコンピュ−タを手配して、その後、丹波が福知山で走るのを応援して、そのまま大阪へ行き、坂井さんのところへ行きたい。11月は両親の誕生日と結婚記念日がある月だ、今お金に余裕のない僕はかえってプレゼントなんかするとしかられそうだが、何かで祝ってあげたい。


 作家活動に必要と思われる、擬音語・擬態語読本、同音意義熟語読本などを購入した。

 オウムに対して解散命令が出された。

 40年に及ぶ水俣病の問題が事実上決着した。


 午後9時45分:後藤が金曜日に静岡の美術館に行かないかと連絡してくれる。残念なことに水曜から約一週間実家に帰る予定だったので今回はいけないことになった。それにしても誘ってくれて有り難いと思った。後藤ありがとう。


1997年8月23日


 物を食べ、物を欲しがる人間。その生理的欲求を抱えながら、天と一体となることができるのだろうか。


 かつて、大学生時代、街角を歩いていて、キリスト教の集会に誘われたことがあった。何気なく出向いてそこでの話しや、最後に請求された献金という所作に対する生理的な嫌悪を思い出す。そんな僕が、同じ下宿に住んでいた一人の学生に教えられた、ヨハネの黙示録の話しには大いに興味を示し、事の重大さを過大評価してあわてたことも思い出す。その話しを彼女に話すと、彼女はあきれかえり、僕の直情さを非難した。しかしそれこそが僕のうちなる天が感じたことだったのかも知れない。今こうして人生40年を生きる中で様々なことを経験し、世の中で囁かれる全てのことを鵜呑みにすることはなくなったが。反面実体験として培ってきた諸々の事柄から、この世の中は常識では計り知れない普遍の法則が支配していることを体感し、それは多くが宗教的示唆によって示されてきたことと重複すると言うことが分かる。


 だから信仰したいという気は更々ない。なぜなら信仰の中身は多くの場合、他に救いを求めることだからだ。必ずしもそうであると断言することは多くの信仰する者たちにとって遺憾なことだろうが、結果的に信仰そのものではなく、信仰する側の姿勢がそう言う風に流されているという事だろう。つまり願い、求め、すがった姿だ。


 現実に信仰する人の姿は願い求めすがる姿であっても、信仰の教える姿はそうではない。その結果信仰熱き人は一つの確たる信念のような物を感じることができる。それは拠り所を持った人の強さという物だろうか。その具体例は個人の姿ではなく多くの場合著作の中に感じることができる。僕が感銘を受けた小説の多くは、作者が信仰心を持つ人だったという事がそれを示している。信仰心を持たない作者の作品はおもしろくはあっても、そこに内在する深み、確固たる信念、人生のうまみという物が希薄だ。表面的にはとてもおもしろいのだがしばらくすると忘れてしまうと言うことだろうか。方や拠り所を持った作者の作品は、細かいプロットは忘れても、その根底に流れていた観いという物がドッカリと肚の中に根を下ろすようだ。例えるならオースンスコットカード「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」や三浦綾子「塩狩峠」など。


 さて、ところがおもしろいぐらいに僕の父は宗教を毛嫌いしている。必ずしも信仰を否定しているわけではないのだが、宗教という一つのあり方を嫌悪しているとでも言うのだろうか。それは現代日本人の多くが抱いている感情であり、かくいう自分自身が抱いている感情でもある。その根元的理由は、不誠実なまでに、営利化した宗教集団のあり方にあるのだろう。何をするにもお金という構図が嫌悪感を掻き立て、不信感をあおるのだ。しかし、信仰という物については必ずしも嫌悪感を抱いていると言うわけではないらしい。ここに現代人の陥る落とし穴があるような気がする。



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