2023/1/20
宮崎さんとの出会いは雑誌に掲載された「風の谷のナウシカ」を見た時だった。1982年の「アニメージュ」だった。大学7回生だった。ワンダーフォーゲル部はOBになり山にゆく機会は減り、スナックのバイトに明け暮れながら、なんとか卒業しようとしていた頃で、本屋での立ち読みだった。偶然手に取った雑誌に、今まで見たことのない、不思議なタッチの漫画が載っていた。それはざらついた紙面にセピア色のインクで印刷され、フリーハンドの微妙に揺らぐ線とハッチングを多用したどこか温かみのある絵だった。一目で絵の魅力に惹きつけられた。しかし本屋での立ち読みというわずかな機会では、誰のどんな作品なのか分からないまま。深く記憶に焼きつけられながらも時は過ぎていった。社会人になり少し余裕ができて再び書店に入り浸りになる頃、彼の作品がワイド版となっているのを見つけた。時を同じくして同僚の部屋で映画「風の谷のナウシカ」を見たのだった。不思議な映像と心地よい音楽にどっぷりと浸かり、ついに宮崎駿という人を認識し好きになった。その後「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」と次々に素敵な作品が発表されて行くのだが、仕事が忙しかったことや、ビデオを手に入れれば何度でも繰り返し見れるから、映画館に見に行くことがないまま、初めて彼の作品を映画館で見たのは「ハウルの動く城」だった。なんだか申し訳ない。こうして彼の作品に出会い、登場する人物や、奇妙な機械、不思議な世界や言葉にワクワクして、カタルシスを味わった。幾度も模写をした。そうすることで素敵な何かを自分の中に取り込もうとした。
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1971年 ルパン三世
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テレビシリーズの「ルパン三世」がはじまると欠かさず見た。そこに登場した車が気になり車の好みがこの時決定されたようだ。まさか高畑勲さんと宮崎駿さんが演出に関わっていたなんて知らなかった。根っこの部分で宮崎さんの影響を受けて育ってきたのだ。1979年宮崎さん初監督の「カリオストロの城」が上映されたが、リアルタイムで見ることはできなかった。後日レーザーディスクで鑑賞して病みつきになるのだが、若造は知ったかぶりをしてルパンが乗る車をMINIだと言い切ってしまい赤面した。
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1974年 アルプスの少女ハイジ
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放送が始まった頃、高校生だった私は、オープニングしか見なかった。子供っぽいと思ったのだ。のちに宮崎さんが関わった作品であることを知り興味を持ったが、いまだに作品を見たことがない。
1978年 「未来少年コナン」
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大学生になっていた私は、テレビを見なくなった。下宿にテレビがなかったからだ。そんな訳で存在も知らなかった。社会人になって、寮の友人の部屋で見せてもらった。胸を熱くさせすっかり虜になってしまった。
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忘れ難いシーンはこれ。叛逆したダイスがラナをうばってインダストリアルを脱出。追いかけるコナン。ついに助け出したコナンとラナのボートに砲弾が当たる。沈没したボートにコナンの手枷が絡まってしまった。コナンを助けようと泳ぎ寄るラナ。ぐったりするコナンに息をおくるラナも気を失って・・・。ああー絶対絶命。って言うシーン。
1982年 「風の谷のナウシカ」
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閃光と虫笛でオ−ムを静め、テトと打ち解け、オ−ムの暴走を静め、しょう気を吸った兵士を助け、単騎でドルク兵をけ散らし、敵だった皇帝を昇天させと、胸をしめあげ涙無くしては読めない。ところが、腐海は地球を汚染してしまった先人達によって作られた生態系で、毒のある生態系に人類すら改良が加えられていた。「青き衣をまとい金色の野に降り立ち、蒼き清浄の地に導く」という伝承は何だったのか。それでも生きてゆくのだと・・・虚しく悲しい結末を迎える。映画は原作の漫画の冒頭に過ぎず、壮大な物語だった。
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ユパ最期のシーンに圧倒される。「トルメキアの豚!!」 クシャナの盾になるユパ「ユパさまが…いってしまわれる」「すすめいとしい風よ」「血はむしろそなたを清めた…」一言一言に締め付けられ読み返すたびに目頭が熱くなる。宮崎さんの物語は読み始めると一瞬でその世界へ連れ去られる。セピア色のインクも一役買っているのだろう。
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ようやく描けたナウシカ。宮崎さんの絵にはとても敵わないなりに、輪郭線を黒や所によってグレーにしたり消してみた。コントラストがはっきりしているところがいい。
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映画「風の谷のナウシカ」で巨神兵のシーンを受け持った庵野さんは、東京都現代美術館で開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」で再び巨神兵を登場させた。巨神兵が東京に現れ街を破壊する特撮短編映画を制作し「メイキングを作るための本編を撮った」という。9分3秒の超大作。
1983年 「シュナの旅」
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「シュナの旅」は宮崎さん手書きの絵物語。小国の王子と少女が助あいながら旅をして神人の種子を持ち帰る。とにかく宮崎さん独特な世界がスンバラしい。どこかナウシカの雰囲気。アニメージュ文庫で出版され、NHKのラジオドラマになった。
1986年 「天空の城ラピュタ」
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スタジオジブリ設立のきっかけとなった映画だそうである。ヒュンヒュンという飛行船の飛行音、そこへフラプターに乗った空賊がやってくる。飛行船から落ちるシータ。そしてパズーが受け止める。オープニングから没入感があり何度でも見てしまう。忘れがたい映画であった。「りーて・らとばりーた・うるす・ありあろす・ばる・ねとりーる」この呪文、気がつくと口ずさんでいることがある。
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ロボット兵のデザイン感覚に驚く。「さらば愛しきルパン」にも同様のロボットとナウシカによく似た少女が登場した。
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これは三鷹の森にあるロボット兵をもとに描いた。当時使っていたアプリはペンや筆のように線の太さに強弱がつけられないから、ロットリングペンで、少しずつ線を引いて太い細いを描いた。陰影に水彩を使った。
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ネットで見つけたロボット兵、素敵だったので模写する。ラフで素敵な絵を描く人は、ちゃんと書ける腕を持っている。この人の絵は宮崎さんとは違う魅力がある。
1988年 「となりのトトロ」
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舗装されていない道、大人用の自転車を漕ぐ男の子、田んぼを渡る風、ため池、農家の裏庭、どれも見たことがあるような子供時代に過ごした景色を思い出させてくれる映像。ジブリの絵職人 男鹿和雄が描いていた。気になっていることがある。メイがトトロと初めて出会って名前を聞いた時、「トトロね」と聞き取るあたり、あまり自然なので聞き流してしまうが、何度聞いても濁音の混ざった吠え声は「トトロ」とは聞こえない。
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宮崎さんの絵の感じを出したくて。線に強弱を持たせ、輪郭を全て描かず、動きのあるポーズをとり、ラフに彩色。
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真似れば真似るほど違う気がする。着色が濃くなると茶色の輪郭線が合わない。
1989年 「魔女の宅急便」
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初の他者原作の宮崎駿監督作品。異国の風景はどこかにありそうだが、スウェーデン、アイルランド、サンフランシスコ、リスボン、パリ、ナポリと様々な風景を織り交ぜた世界だった。トトロの3倍以上というジブリ初のヒット作となったが、実はトトロを配給した東映が興行的失敗でジブリ作品の配給を打ち切ったことで危機感を抱いた鈴木さんが日本テレビのバックアップと徳間書店、ヤマト運輸をスポンサーに抱き込み、テレビCMを打つことで成功に漕ぎ着けたのであった。
1991年 「思い出ぽろぽろ」
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高畑さんの監督作品。スタジオジブリがスタッフを社員にして作った初めての映画。物語の中で紅花を摘むシーンがある。そんなに長いシーンではないのだが、徹底的に調査研究したという高畑さんらしいエピソードを聞いたことがある。
1992年 「紅の豚」
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宮崎さんの物語には素敵な女の子とか、素敵な大人の女性が登場する。このジーンも素敵だ。「宮崎駿の雑草ノート」に連載された「飛行艇時代」がベースで、「誰かお金を出してくれたらこんな感じの映画を作ってやるわい」的なことを言っていたものが本当になってしまった。そして魔女宅に続くアニメ映画の興行成績日本記録を更新した。この作品以降宮崎さん監督作品は東宝系での公開となる。東映にとって逃した魚は大きかった。
宮崎さんの絵はどこか懐かしい。模写するだけで楽しくなる。ずいぶん描いたつもりだが、こうして模写をすると、1本1本の線がどうしても違う、線にその人の味わいが出る。僕の味わいを探しながら線を引く。
母は話が大好きだ。父と暮らしていた頃は父とたくさん話をしていたのだろう。父が亡くなりしばらく一人で岡崎で暮らした時は、話し相手がいなくてきっと寂しかったに違いない。毎日テレビで見た出来事や物語を話してくれる。僕はテレビを見る必要がなくなりそう。僕はそんな母との会話の合間にくるみの散歩をして絵を描く。
ハッチングは難しい。単純な線に雰囲気がいっぱい詰まってる。ひたすら丁寧に等質な線を引くのがなかなか辛い。最初は同じ間隔で丁寧に斜線を引くけれども、線が少ないうちは、画面が荒れて汚い。早く馴染ませようと線を引く速度が早くなりその分丁寧さが欠けて行く。ハッチングを極めたら絵がもっと生きてくるだろう。
なるほどそうか、宮崎さんは空中にゴミを書き加えることで空気感を出している。毎日絵を描くことは、楽しみだ。たまにめんどくさくなるときもあるけれど、やっぱり書きたい気持ちが勝って、何かしらの絵を描く。
宮崎作品、飛ぶこととみたり。さて、会社を起こしたのは、生きるために必要だった。それはうまく言えないけれど、生活をするために必要だったというわけではなかった。絵を描くのも似ている。何を描いても構わない、とにかく描くという行為が必要なのだ。
1993年 「もののけ姫」
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ひたむきで一生懸命なもののけと、健気で一途な姫の愛の物語。
1994年 「オンユアマーク」
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CHAGE and ASKAのPVを宮崎さんが手掛け、世紀末未来SF風、新興宗教と警官と翼の生えた少女の物語と、何もかもが異色の組み合わせが新鮮だった。辻褄があっているのかわからない不思議な作りで、もう少し見たいというところで終わっている。行き詰まっていた「もののけ姫」制作中に企画が持ち込まれ気分転換に作られたというから驚いてしまう。
1995年 「耳をすませば」
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脚本こそ宮崎さんだが、監督は近藤喜文の作品。でも作品的にはほとんど宮崎さんの作品という感じ。後に原作を通して読んだ宮崎さんが「ストーリーが違う」と怒ったと言うから面白い。「猫の恩返し」に登場するバロンが登場し、古楽器の演奏やプロポーズなど印象的なシーンが多い。
1997年 「もののけ姫」
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タイトルを初めてみたのは書店だった。数年後発表された映画は、書店で見たものとは全く違うものになっていた。宮崎さんは最初に発表した「もののけ姫」とは全く違う物語を作り「アシタカ聶記」にするつもりだったのだ。それを鈴木さんが興行的な成功にはこのタイトルだと「もののけ姫」を押し通したことによるらしい。シシ神、タタリ神、ダイダラボッチ、コダマ、猩猩、タタラ場など古の香りがする言葉が物語のイメージを深くする。
2001年 「千と千尋の神隠し」
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今までの宮崎作品とはちょっと雰囲気が違う。主人公が美少女ではなくなった。強烈な「湯バーバ」。おかしな神様達。最後まで何者なのかわからない「顔なし」という存在。何もかもが不思議な物語は、一番宮崎さんらしいかもしれない。そして一番好きな作品になった。
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混沌とした風景と色合いを描いてみたくて模写したが、細かい描写を描く気力が欠けて今日はここまでってところ。
2004年 「ハウルの動く城」
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倍賞さんの主人公がおばあさんになったり若くなったりして、でもちゃんと主人公だってわかる。キムタクのハウル。三輪さんが荒地の魔女。最後のシーンは宮崎映画に登場する幾つかのキスシーンの中の一つ。
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ハウルの動く城のデザインは最高だ。
2008年 「崖の上のポニョ」
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宮崎さんらしい物語。おおらかで、温かい。いつもより絵が子供っぽい。溢れた海で泳ぐのは古生物達というあたりはなんとも見事で素敵だ。どうしてこんな物語が紡げるんだろう。感心してしまう。
2013年 「風立ちぬ」
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宮崎さんが本作を最後に長編アニメ製作からの引退を表明した。実はまだまだ引退じゃなかったけれど、最後の作品だと思って意気込んで見たせいか、期待外れだった映画でもある。本当に作りたかったのがこれなの?これが最後の作品なの?今までの宮さんの映画で得られたカタルシスがなかった。でも素敵なシーンはいくつもあった。このシーンもその一つ。強い風の中でそっと口付ける二人。
追記
子供時代に見た漫画から受けた影響は計り知れない。作者のことを意識して見た漫画は手塚治虫、石森章太郎、横山光輝、桑田次郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、川崎のぼる、ちばてつや、永井豪、大友克洋、鳥山明、江口寿史、高橋留美子等々数え上げたらキリがない。でも、その中に宮崎駿や押井守の名前はなかった。気が付かなかった。ところがこの二人の影響をとても受けていたことを後になって知り、彼らの作品を求め、探すようになった。いいことも悪いことも含めて本当に影響を受けた人の一人が宮崎さんだったと思う。
作家がたくさん登場するからか名前を覚えることができぬままに、怒涛のように通り過ぎてゆき、名前も知らぬまま大勢の人から影響を受けている。時には立ち止まり、どんな人なのか噛み締めてみようと思う今日この頃。
宮崎さんに関わる展覧会
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