豆太郎
mametarou
第1章
初夏の夕方、役所から帰って玄関に入るやいなや、奥から子供が飛び出してきた。「お帰りなさい、お父さん、僕ね、雀の子を捕まえてきたから飼ってもいいでしょう。僕ね、学校の帰りに役所のそばをちょんちょんと飛んでいた雀をうまいこと捕まえたの、だからねえ、僕飼ってもいいでしょう。」しきりに同意を求めようとして、まつわりついてはなれない。お勝手から出てきた妻は「籠もないし、どうせすぐ死んでしまうから逃がしてやったほうがいいのじゃない。」子供と反対の意見である。部屋に上がってみれば勉強机の上に新聞紙を敷き小さな薄汚い籠に雀が入れられている。外へ出たいのであろう、籠の中を飛び回り籠の隙間にくちばしがすれて赤くなっている。なんとも可哀想な図である。人の話によれば、雀は人間になかなかなつかず2、3日も飼うと死んでしまうということである。妻と子供にどちらかの判定を下さなければならぬ私もこんな思いがふと心の中にかすめると鳥籠の中で短い命を燃やして死なすのがかわいそうな気がするのである。「お母さんの言う通りだよ、籠の中で早く死なすよりは、広い外で飛び回ってから自然に死ぬほうがよいのではないかなぁ、可哀想だから逃がしてやりなさいよ。」こんな風に言って妻に同意したのである。ところが子供の表情は突然崩れ、涙声と共に大粒の涙がぼろぼろと頬を伝いだした。「せっかく僕が一生懸命になって捕まえたのに、僕飼いたいもの、ねえ、飼ってもいいでしょう、死んだらお墓を作ってやるしさあ、」子供は真剣な顔をして熱心に私の意思を撤回させようとする。自分が捕まえてきたことが得意であったらしい。むしろ捕まえてきたことを褒めてもらいたい気持ちであった。それが逆に、家に持ち帰って母に叱られ、今また父に飼うことを反対された子供は、とりつく島もなく情けない顔である。そのためにたのみこむ態度もまた真剣である。そんな姿を見ているとついに負けざるをえなくなってしまう。「そのかわり、僕がちゃんと世話をするんだよ。」これだけの条件をつけ前言を撤回した。子供は現金なものである、表情はたちまち喜びにほころび、涙はぱったりと止まってしまったのである。そして捕まえてきたときから現在までの雀の状況を目を輝かせて説明しだした。「お父さん、籠はね、Kちゃんのところのを借りたの、そしてAさんのおばさんも見にきたの、もしかすると、これは雀ではなく、雲雀の子かもしれないと言ってたよ。だからね、もし雲雀の子だったら、人間に懐くでしょう、そうだったらいいがなぁ、それでね、僕これから世話して育てるんだ。」「お父さん、チュン、チュン鳴き詰めで喧しいのよ、餌もないでしょう、すぐに死んでしまうかもしれないし、家の中で死なすのは嫌だわ、今日は何もないから米を金槌で割って入れてあるけれども、どうかしら。それにかごの側へ手を持ってゆくと嘴でつついてくるんですよ。」妻はいまだ不承知らしくいいながらも、やはり子供に負けてしまったのである。
第2章
雀の世話は僕がすると約束したにも関わらず子どもは、その日から少しもそれを守ろうとしない。一つには、籠の近くまで手を持ってゆくと雀は、なんと思ってか、盛んに攻撃をするのである。それが子供には怖く、手に負えないのであろう。それでも、妻は飼う以上は生き物であるからと言うので、毎朝水を変え米粒を割って入れてやっていた。1日、2日は水を入れたりするたびに扉を開くと嘴でつつきに来たがそれでも3日ほど過ぎるとそれもしなくなり、籠の隅のほうへ寄って待っているようになってきた。3日目には隣のKさんが見に来て、雀と雲雀の鑑別について、図鑑まで持ち出してあーでもない、こーでもないと判断のつかぬままに話し込んでいったとか、そんな他愛のない話題が役所から帰ると真っ先に報告されるのであった。その鳴き声や、頭の形や、しっぽの形から判断してやはり雀だろうということになった。いく日かが過ぎて、妻には大分慣れてきたらしい。水を取り替えてもらうと待っていたように早速一口飲んで妻の顔ちょこんと見るようになったとか、小雀には硬いであろうひとつぶの割り米をしきりに嘴で噛み砕いている姿をじっと見つめていると可愛らしい目つきをしているの発見して可愛い顔だ、可愛い顔だと言うようになった。そればかりか、子供と妻はいつのまにか「豆太郎」と言う名前までつけて豆太郎、豆太郎と呼んでいる。なるほど、じっと見つめていると1つ1つの所作に大変愛嬌があり、しばし見惚れることがある。特にひとつぶの割り米を嘴でかむしぐさは誠にかわいいものである。コロコロところがすように嘴で噛みながらどうかするとパチンと飛ばしてしまう、それを追ってまた咥える、転がして噛む、そんな所作を飽くことなく続けてだんだん割り米は小さくなり、ついには口の奥に消える。この頃になって初めて不承知を唱え、世話をすることを文句言っていた妻は飼うことの楽しみを知って一生懸命になってきた。子供は時折手助けをする程度で積極性がない。やがて私にも「チュン チュン」と言う鳴き声が耳障りにならず夢うつつに朝方この声を聞いて楽しい気分で朝を迎えるようになった。出勤前には鳥籠の前に一時座り込んで豆太郎のエサを食う姿をしばらく見てから出かける。帰って家に入ると服を脱ぎながら豆太郎を見る。夜になって鳴かなくなると豆太郎お休みとだれともなく言って夜の挨拶をするのである。
第3章
鳥はふんをところかまわずするので、籠の下を時々替えてやらなければならない。借りたかごの悪口を言うのではないが、作りが粗末であるからそのたびに豆太郎を捕まえていなければならぬのである。ある日そのかごの始末をしているとき、豆太郎を手から逃してしまった、ところが部屋の中を飛び回っただけで簡単にとらえることができたのである。それからは、いつとはなしに時々運動させるのだといって、暑いのに部屋を締め切って籠の中から出してやるようになった。飼うときはこんなに長く生きているとは想像もできなかったのに、こうして慣れてくると初めに逃せといったことなどは忘れてしまうものである。そして、子供とともに新しい鳥籠を買いに出かけることになってしまった。妻も籠の代金は家計から捻出すると言う。鳥屋で雀を入れるのだといったら変な顔をしていた。それでも慣れれば飼えるでしょうと言いながら、粟の殻をむいた餌を売ってくれたのである。新しい籠に入れられた豆太郎は、しばらく馴染まない様であったが、やがて元気になり平常の様になった。それから3日ほどして夕方、例の通り役所から帰ってきた私に子供は何か良いことがあるといつも目を大きく見開いて輝かせ弾んだ声で話しかける例の調子で
「お父さん、豆太郎ね、手の上に乗って餌をくようになったよ、そして触っても逃げないでじっとしているよ。」妻も今日の出来事を待ち構えていて報告するのである。いつものように、運動させるためかごの戸を開いたら妻の肩の上に乗って逃げようとしない、また餌を手に乗せて持っていくと食べることも知ったのである。そっと背中を撫でてやると、じっとしているともいう。「珍しいことでしょう。」妻と子供の言うことをすぐには信じることができないほど私は驚いた、またそれほどに懐くとも知らなかったのである。私はこの目で確かめないと納得ができない、早速やってみせようというのでのでかご開いたのである。かごから飛び出した豆太郎は、すーっと飛び立ち妻の胸に泊まり背中をなぜられじっとしている。次に子供が捕まえて自分の胸に抱き同じように背中を撫でている、私もそっと手を出してやってみた。事実だ、今までの雀に対する私の認識を完全に覆されてしまった。目を細めてじっとしているその姿には、野生的なものは少しも感じさせられない。愛玩用の可愛らしい小鳥そのものの姿である。それからは、豆太郎は部屋の中を飛び回り妻や子どもや私の胸に、肩に、そして手に飛び渡って可愛がられたのである。鳥である以上糞は外へ出したときでもところ嫌わず落とすのであるが、妻はそれほど嫌な顔もしないで始末してやるのである。「豆太郎おいで、」言葉を解するのではなかろう、声で聞き分け目で妻の姿を追っていくのであろう、豆太郎は私たちの手元にいても遠くの妻のもとへ飛んでいってしまうのである。世話するものの情が通じるのであろうか。こうして、妻は1日の中に幾度と無くカゴから出してだいたり、愛撫するようになった。またときには、かごに入れたまま戸外に出してることがある。とても喜んでいるようだという。近所の人々も、この話を聞き、また事実を見せられて珍しいことだ、情が通じるのだと言う。以前に、これも子供が友達に貰ってきたと言う亀を1年近く飼ったことがある。大きなどんぶりに入れ、妻が時折水を取り替えて家の中で飼ったのであるがその亀は少しもなつかなかった。手を出せば首を引っ込める、追えば逃げる、愛嬌もない。それでも妻が陽の当たる外へ出したり、運動だと言って庭を散歩させたりしたが、ちょうど1年目ごろ、子供と話し合って足羽川へ逃がしてやることになった。私と子供は、川辺まで行って、「元気で暮らし、長生きせよ」と言いながら水の中へ還してやったことがある。その亀に比べ豆太郎は、本当に可愛い、自然に情が芽生えるのも当然である。
第4章
豆太郎を飼いだして1ヶ月と20日ほど過ぎたころである。子供がまた雀のヒナを拾ってきた、うらの物置小屋の下に落ちていたという。今度のは、産毛がかすかに生え、羽も満足に形を作っていない、立つこともできない、目はつぶったままである、首も座っていない、この世に生を受けて間もない姿である。それだけにまたグロテスクな姿である。そんなヒナも、今度は妻は反対しないばかりか、布切れに包み、箱のフタに入れて、2時間毎に水を飲ませ、餌を口へ運んでやっている、子供は早速ちび太郎と名前をつけていた。これも予想に外れ1週間も生きていた。目を開き、首も少しずつ座わってきた、相変わらず2時間毎に水と餌をやっている。うまく育ってくれるかもしれないという期待は、妻にも私にもこの頃深まってきたのである。しかし、おりからの真夏の暑さは、人間すらも、ぐったりさせる35度36度の毎日である。夜間も蒸し暑くてなかなか眠られぬ。こんな日々が続いたので人工での保育は難しかったのであろう。ついに1週間目の朝起きてみたときに死んでいた。一方豆太郎も暑さに弱ったのか、2、3日前から糞の量が少なくなり、動作がやや緩慢になってきたので私たちは心を曇らせていた。雀に対する専門的知識もないのでどうして手当をしてやったら良いかもわからないのである。そしてちび太郎の死んだ夕方ついに豆太郎も冷たくなってしまった。妹が名古屋からきて、豆太郎のなつき振りを珍しく眺め不思議がっていたのに、ついに私たちの手元から永久に去ってしまったのである。その日、役所から汗を拭きながら帰って、例の通り豆太郎の前に立った私は、あるべき鳥かごのないのに、はっと思い当たるものがあった。「お母さん、豆太郎もやはりだめだったのかね、暑かったからなあ」「3時ごろとうとう死んでしまったわ、本当に惜しいことをしたと思うのですけれど、この暑さではね、豆太郎もついに負けてしまったのでしょう。」「で、鳥かごは、豆太郎はどうした。」「豆太郎はちび太郎の隣に埋めたわ、そして鳥籠は見えると豆太郎思い出し、胸が痛むので早々と洗って押し入れにしまってしまいましたの。」妻の思いがわかる。私は黙って履物を履いて裏庭へ出た。無花果の木の下に木片に子供がクレヨンで書いた「ちびたろうのはか まめたろうのはか」の墓標が建っていた。その前に立ってじっと墓標を見つめていると、豆太郎のいなくなった寂しさが、ひしひしと迫ってくるのである。妻も私の後に、また同じ想いであろう、黙って立っていた。そして、2人は申し合わせたように瞑目し静かに合掌しているのであった。
終わり(父の作品)