鳥の人
The bird man
第2部 ある空を飛ぼうとしている若者の手記
プロローグ
まだ巣立ちもしない若鳥が、故郷へ便りも送らず、ひたすら翼のない体をばたつかせていた。
しかし、限りない野望と夢を秘めた青春は翼を持たない鳥を飛ばすには十分なものだった。
第1章 目覚め
その若者が、このようなことを考え始めたのはいつのことだろう。ずっと昔の幼い頃のような気もするし、つい最近のような気もする。いつから始まったかわからないが、その気持ちが最近になって、特に強くなってきた。
空を飛ぼうとした人たちの記録映画を見た微かな記憶がある。木で骨組みを作り、布か紙を貼った翼を担いで、高いところから飛び降りるもの。地面を走って、舞い上がろうとするもの。様々な方法で空を飛ぼうとする忙しない動きの中で、エッフェル塔から真っ逆さまに墜落して死んでしまう人がいた。その映像は、ぼやけ切った記憶の中で、妙に鮮明に焼き付けられていた。若者は、幾度も、その人の一部始終を思い返した。その人は、塔から墜落するときどんな気持ちだったろう。なぜか、満足して死んだように若者には思えた。その人は、きっと空を飛びたくて仕方なかったに違いない。死ぬと分かり切ったことも、その人には意味をなさなかったのだろう。若者は、自分の考えに酔った。塔から落ちて死ぬ人のことは、夢に見た空想の産物にすぎなかったかもしれないが、そこから芽生えた思いを少しずつ育てていた。空を飛ぼう。自分の考えた方法で。失敗しても悔いはないと。
若者は、二十歳を迎えるころ、しきりに「空を飛びたい」と言っていた。若者は、空を飛びたいと言いふらすのは、周りに印象付けるためだったり、気を引きたいために、そんなたわごとを言っているようで不安になることがあった。そうした側面もきっとあっただろうが、空を飛ぶことは若者にとって夢であり、他人の考えたことのない、自分だけのアイデアを思いつきたいと思っていた。でも、どうすればよいか分からない。若者は、口にすることへの責任と、何もできない自分にじれったさ、苛立ちを感じていた。はじめのうちは興味深そうに若者の言葉を聞いていた友人たちも、じきに、茶化し半分に若者の夢を笑うようになっていた。
第2章 重力
鳥や昆虫を見て、人は、自分も飛べるのではないかといろいろな翼を考え出したに違いない。記録映画には涙ぐましくも滑稽な人々の姿がある。それは、重力に縛り付けられた己れを、大地から解放するための悪戦苦闘の姿であり、そこに登場するのは浮力・揚力・作用反作用で重力に対向する姿だった。
重力とは何なのだろう。若者は、図書館へ飛んで行く。重力に関する書物を探した。重力を取り扱った書物が少ないのに驚く。ようやくモダンサイエンスシリーズの中に「重力と地球」という本を見つけた。序論を紐解く「物質の基本的粒子についての引力の性質が、粒子の持つ他の性質のどれと関係しあっているかは明らかではない。」と記されている。ということは、重力に関する事実や現象は知られているけれど、重力の本質は、何らわかっていないということだろうか。
自然界には圧力、浮力、張力、摩擦力、磁力など多様な力が存在しているが、自然界には基本となる「強い相互作用」「電磁相互作用」「弱い相互作用」「重力相互作用」の4つの力しかないらしい。その力の性質は積に比例し距離に反比例する。つまり引力は、大きな質量ほど強く、離れるほど弱くなる。電磁気の場合はプラスとマイナスの電荷があるため、引力と斥力が存在する。これに対して質量に正負の極性はなく引力のみが知られている。ということは反質量が存在すれば斥力(反重力)を得ることができるということかもしれない。我々の周りに反物質が見当たらないのは、反物質は物質との斥力のために、ビッグバン以降、どんどん離れて行ってしまい、我々の周辺には見出せないのだろう。驚いたことに粒子加速器を使って反粒子を生成することができるそうだ、ただ発生の次の瞬間に対消滅してしまうらしい。
一般相対性理論では重力は時空の幾何学的なゆがみだという。ゆがみのない時空は重力が存在しない時空で、重力の存在は時空が修練している事を示している。これに対して数学的に時空が膨張するモデルが反重力だ。物事を数式で表現することで、相反する性質のものの存在がたとえ発見されていなくても、想定する事が可能になる。そうした数学の力が空間の膨張は時間を加速させるらしいことを教えてくれる。
世の中にはすごい人がいて、カナダの発明家ジョン・ハチソンは1979年にハチソン効果なる反重力による浮遊現象を発見した。それはテスラコイルなどの電子コイル類やヴァン・デ・グラフ起電機と呼ばれるハチソンが独自に開発した実験設備を用いていて、当人がビデオ撮影し発表したことで世界中で話題となった。今は実験機械が破壊され再現できないという。
少年雑誌に地球上の物質を光速回転させると引力を振り切ることができるという記事を見つけたこともある。しかし物質は光速回転に耐えられないのだという。光速に達した時点で質量が無限大になってしまうため、回転運動することはあり得ないわけだ。光速で動くことのできるタキオン粒子ならば可能かもしれない。地球から6000万光年の距離にあるブラックホールは、ほぼ光速で回転していることが観測されたらしい。ここにタキオンがあるのかもしれない。
第3章 驚き
人と人とを分ける力、絶対不可侵領域を相殺することで、全ての人の区別がなくなり一つに融合する。そんな物語がある。これはまさしく分子間力を失った世界に他ならない。その時、重力による束縛は存在し得なくなり、全てが、自由に飛ぶこともできる。
飛びたいという思いは、断ち切りたいという思いから生じていたのかもしれない。実は、物が物として存在する所以は、他を排斥する事で、排斥することをやめた時、全てを受け入れた時、飛ぶこともできるのかもしれない。物理的なことと哲学的なことの境界線があやふやになる。
「人は鳥の飛行を見て飛ぶ気になったが、鳥は何を見て飛ぶ気になったのだろう」
「昆虫や鳥がいつ頃から飛び始めたかは古代生物学で分かっている。ところが、彼らがなぜ飛ぶ気になったかということになると、とても難しい問題になる」・・・
「鳥の人」未完
この後若者は、飛行機械を作る事で飛ぶことを果たす。
第3部で第1部の彼と彼女が第2部の若者と邂逅する。それはまた別の物語。