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地震のあとで

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 4月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月29日

2025/4/27



副題「NHK”地震のあとで”を見て感じたこと。僕の村上春樹考」



1.「地震のあとで1」


 原作が村上春樹ということもあり、気になる物語だった。マッキントッシュが並ぶオーディオショップが登場する。この店が舞台になるだけで、どこか心を惹かれる。


 物語の始まりは、やはり重要だ。でも、「これから何が始まるのか」がわからない物語は少なくない。何分我慢できるかという話ではないが、ある程度の時間を見て、「これは好きだな」とか「うーん、違うかな」と無意識に判断してしまう。それでも、「もういいか」と思いながらも、「この先、面白くなるかも」と期待して見続けてしまうこともある。物語の導入というのは、やっぱり大切だ。この物語もそういう入り込みにくいものを感じさせた。


 ただ地震のニュースに魅入る女性と同居する男が延々続いても・・・


 そんな中、「あなたの中に私に与えるものが何ひとつない。でもそれはあなたひとりの責任ではありません。」そんな感じの置き手紙を残して、女性はふいに姿を消してしまう。唐突にいなくなった女性。物語が、ようやく動き出した。なぜ彼女がいなくなったのかわからないという男に、代理人は「わからないのはあなた一人だ」と言う。


 オーディオ機器を丁寧に手入れする男の姿に、どこか自分を重ねた。こんな経験をした男は、多いのだろうか。


 この物語は、いったい何を語ろうとしているのだろう。不思議な感覚、村上春樹らしい空気感。何がどうなっているのか、いつまで経ってもわからない。そして、わからないまま、第一話は終わった。



2.「地震のあとで2」「地震のあとで3」


 2話目を、1話目の続きだと思って見始めた、淡々と焚き火をする中年の男と、家出少女が現れる。共通しているのは「地震」というキーワード。全く別の物語だった。物語は静かに進んでいく。どこか空々しく、他人事のような光景が延々と続く。ただ、もし原作が村上春樹だと知らずに、しかも1話目を見ていなければ、違った見え方をしたかもしれない。


 村上春樹の作品は、映像化すると、彼の物語にかかっていた魔法が失われてしまう。


 それはもはや「村上春樹作品」とは呼べない。つまり、彼の作品に期待していたものが、そこにはない。ただ「原作者・村上春樹」という名前に惹かれて観てしまい、そしていつも落胆することになる。その理由は何だろう。もっとも顕著なのは、登場人物との「不一致」だろうか。


 どんなにいい役者をキャスティングしても、村上春樹が紡いだ物語の登場人物とは、どこか乖離してしまう。映像にすると、生々しすぎるのだ。村上春樹の物語の中の登場人物たちは、どこか生々しさに欠けていた。だからこそ、読者は自分自身を重ねることができたのかもしれない。小説を読むと、いつの間にか物語が「自分ごと」として進行していく。だが、映像では、最後まで他人の物語のままだった。


 さらに、「地震のあとで3」では、物語の混沌がさらに極まった。セリフの端々に村上春樹らしさは感じた。けれど映像化された世界は、ただただわけのわからない混沌に見えた。もし文字で読んでいたなら、そこまで混乱しなかったかもしれない。映像にしたことで、これは「誰かが見た村上春樹」になってしまった。それは僕が読む村上春樹とは違う。


 それほどに、村上春樹の物語は観念的だ。とても個人的で、読む人それぞれが、別々の世界を心に作り上げていく。だからこそ、読者は自分の物語として感じられる。その一方で、他者の解釈が介在すると、途端に違和感を覚える。



3.村上春樹に関する「公式」の発見


この体験から、ひとつの公式にたどり着いた。


僕の読んだ村上春樹 = 僕の村上春樹

誰かが読んだ村上春樹 = 誰かの村上春樹


つまり、

僕の村上春樹 ≠ 誰かの村上春樹


村上春樹の物語は、

読者一人ひとりの中で、まったく別のものになる。



4.「地震のあとで4」での変化と新たな発見


 ところが、最終話「地震のあとで4」を見たとき、この「公式」がすべてに当てはまるわけではないと気づいた。「カエルくん」という異形の存在が登場したことで、かえってすっぱりと物語に引き込まれた。登場人物たちに自分を重ねる感覚も、自然に生まれた。


 これまでの3つの物語とは明らかに違っていた。


 最初から期待していなかったから──その「期待のなさ」が良かったのかもしれない。でも、それ以上に、「誰のものでもない村上春樹」そんな感覚を受け取った。



5.全体を振り返って


「地震のあとで」というドラマを通して、僕は村上春樹という作家の特殊性を改めて感じた。村上春樹の物語は、ただ読むだけではない。読者がそれぞれ、自分自身の世界を内側に生み出す。


 そのため、誰かが作った映像や解釈と、必ずしも一致することはない。


 だけれど、「カエルくん、東京を救う」において、その垣根を越えて、物語に没入する経験もした。だからこそ思う。村上春樹の物語は、「一人ひとりの心の中で育つもの」であり、「たったひとつに定まらないもの」だと。そしてそれこそが、彼の物語がこれほど多くの人に深く共感される理由なのだろう。



NHK「地震のあとで」を見て感じたこと。僕の村上春樹考(完)


補足


【NHK公式】ー阪神・淡路大震災 あれから30年。村上春樹の珠玉の連作短編を原作にした“地震のあと”の4つの物語ー

岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市を各4話の主人公に、豪華俳優陣が集結。

映画『ドライブ・マイ・カー』の大江崇允が脚本、山本晃久がプロデュース、ドラマ『その街のこども』『あまちゃん』で震災を描いてきた井上剛が演出する。震災の影響を、現地ではなく遠い場所で受けた人間たちの、喪失を伴う奇妙で美しき世界。

【原作】村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』より、『UFOが釧路に降りる』『アイロンのある風景』『神の子どもたちはみな踊る』『かえるくん、東京を救う』

【脚本】大江崇允

【音楽】大友良英

【出演】岡田将生 橋本愛 唐田えりか 北香那 泉澤祐希 吹越満 / 鳴海唯 黒崎煌代 堤真一 /渡辺大知 渋川清彦 黒川想矢 木竜麻生 井川遥 / 佐藤浩市 錦戸亮 津田寛治 のん(声) ほか

【制作統括】山本晃久 樋口俊一 京田光広

【プロデューサー】訓覇圭 中川聡子

【演出】井上剛

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