コーヒーが冷めないうちに (2018年)
とある喫茶店に時間を遡ることができる席がある。それは、珈琲をカップに注いでから冷めてしまうまでの間なのだが、どんな事をしても現実は変わらない。現実は変わらなくても、誤解が溶ければ人の気持ちは変わる。一杯の珈琲が冷めるまでの、ほんの短い時間でも、人生は変わる。ほっこりとするいい映画だった。
卒業 (1967年)
ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの可笑しくも切ない青春映画。アン・バンクラフトの怪演と、サイモンとガーファンクルの歌が忘れがたい。若者という者は、後先考えず突っ走るものだった。実はこの映画に珈琲を飲むシーンは出てこない。珈琲を飲みながら見たい映画なのである。音楽と印象的なシーンの数々、そして、ファッション。高校時代メンズクラブを定期購読するという友人の気が知れないと言いつつ、いつの間にか学生服のズボンをパイプドステムにし、リーガルのスリッポンを履くようになる。ダスティン・ホフマンが着ていたコートが気になり、オフホワイトのボートパーカーの代わりにVANのカメラマンコートを手に入れたり、キャメル色のコーデュロイ・ジャケットや、シアサッカーのジャケットを好んで着たのは、卒業で見たイメージが深く記憶に刻まれたからだと思う。
フォレストガンプ (1994年)
この映画も、珈琲に関わるシーンはないけれど、珈琲を飲んでくつろいでいる時、ふっと見たくなる映画。歴史的な映像の中に、トムハンクスがとぼけ顔で溶け込んでいる。愚直な生き方っていいなと素直に思わせてくれる。そして愚直な生き方こそ、強い生き方なのだと感じる。
パンデミックの発生で世界が変貌し始めた。戦争が始まったわけでも、地震や台風が直撃したわけでもないけれど、刻々と悪化する世界が報じられ、恐ろしいことが身近に迫っている事を告げている。そんな同じテレビから、何事もなかったようにドラマやお笑い番組も流れてくる。世界がどんなに変わっても、いつも通りに朝になると起きて、犬の散歩をして、ご飯を食べて、珈琲を飲み、絵を描く。これでいいのだろうかという奇妙なストレスを抱えながら、自分に出来ることは、人との接触を絶つこと。医療や食料・インフラの維持に携わる人々、舵取りを委ねられた行政に携わる人々、苦難を共に耐えている全ての人々に感謝。
2021年10月10日
「珈琲時光」を見た。「珈琲を味わうときのように、気持ちを落ち着け、心をリセットし、これからのことを見つめるためのひととき」というテーマを、小津安二郎の生誕100年を記念し『東京物語』のオマージュという形で製作された映画で、神田神保町や鬼子母神等の古き日本の街角や路地、また山手線、京浜東北線、高崎線、都電荒川線の車窓風景の映像美が評価された。
小津安二郎のオマージュと聞いて、気になるのだが小津安二郎の映画を見たことがない。本編のカメラ回しに小津ぽさがあるのだろうかと思いながら見ている。固定したアングルの部屋を登場人物が画角に入ったり出たりしながら会話だけが聞こえたり、延々と流れる車窓の風景が小津ぽさなの?
お茶の水駅の3路線の立体交差を電車が行き来するのを眺めながら一青窈が歌う主題歌「一思案」が流れて映画は終わる。タイトルバックに、Appleが美術協力をしていたり、主題歌の作曲が井上陽水で編曲が星勝だったりと結構最後まで目が離せない。あれ?コーヒーはどこに出てきたろう?。そうなのだコーヒーは映画の中で主要な小道具ではなく、タイトルから期待したような珈琲に拘る何かは出てこない。どこにでもありそうな喫茶店が数軒登場するだけでコーヒーを淹れる場面もなく、飲む姿も記憶に残らない。でもどこにでもありそうな風景に喫茶店のこだわりがある。オーナーはきっとなにがしらの思い入れを持って店を構えているはずだ。そんなものをふと思う。
映画の舞台、神田神保町の近隣に所在する明治大学が刊行した雑誌『思索の樹海』(2005)において「珈琲時光的生活、或いは航海」というエッセーが掲載され、映画に見る神保町の一様が紹介されている(執筆者は意匠家の山下祐樹と中国人歌手のカリーナ・ラム)。同時期、同大の中国文化論の研究者を中心に台湾大学において、本作と侯孝賢、江文也に関する講座が開かれた。また、江文也作曲のピアノ曲のコンサートが開催され、コンサートの合間には主演の一青窈、監督の侯孝賢のトークショーも行われた。と言うことだそうだ。Wikipediaより
2020年11月30日
「函館珈琲」を見た。函館に小洒落たアパートがある。そこに集まった一癖ありそうな若者たち。今日もまた作品が書けなくなった若き作家がやってきた。古本を売ったり、バイクの手入れをしたり、気が向くと珈琲を淹れる。他愛のない日常が過ぎてゆき若者は再生してゆく。ゆるくて穏やかな雰囲気のある映像、残念なのは珈琲が美味しそうに見えないこと。珈琲の淹れ方に決まりはないけれど、ネルドリップにドバッと湯を注ぐ淹れ方は、せっかくの映画の雰囲気を台無しにしてしまった。
2020年11月28日
「A Film About Coffee 」を見た。欧米日のバリスタやカフェのオーナーと、ルワンダやホンジュラスの生産者とを行ったり来たりしながら、ブルーボトルコーヒーの創始者ジェームス・フリーマンらが「味の違いに気が付く人は少数である」と語りかけてくる。珈琲の本当の美味しさを知る人は少なかったと。それがどう言うことかをなんとなく昨年実験を通して体感した。美味しい珈琲は本当に美味しいのだけれど、コモディティー珈琲とどこが違うか、ぼんやり飲んでしまうとわからない。そうしたほんのちょっとした違いを、遥か遠く彼方の土地で栽培された珈琲の美味しさを、手繰り寄せるのは並大抵のことではないのだ。農園の風景はのどかで美しい。でも精製風景はお世辞にも美しいとは言えないし衛生的でもない。生産者たちは足で踏みつけて熟し具合を探っている。複雑な気持ちになる。2014年製作の作品は、サードウエーブや浅煎りがもてはやされた頃だ。珈琲の美味しさを語る言葉にもすでに古さを感じ始める。パンデミックに襲われた今、現地は大きく様変わりしているかもしれない。様々なことを感じつつ、大坊珈琲店のネルドリップシーンは一見の価値があった。
ご紹介、ありがとうございます。朝食後、その1に行こうと思っていたところでした。「かもめ食堂」は思いだしました。
こんなにたくさんあるんですね。いま書きとめました。探してみます。
去年の冬、ノルウエーに行った友人が、朝立ち寄った喫茶店の光景のなかで、上からハンドルのようなものを手際よく順番におろしていく女性の横顔が美しかったとかたってくれました。それは映画にワンシーンだなと感想を言ったことあります。
珈琲に関わる映画にこんなのがありました。
美味しいコヒーの真実
コーヒー&シガレッツ
レナードの朝
珈琲時光
コーヒーをめぐる冒険
函館珈琲
A film about coffee
いつか見て見たいと思っています。
昨年(2019年)放送されたドラマで
俺の話は長い
まだ結婚できない男
は珈琲についての蘊蓄が面白かったです。
ご覧のこととは思いますが「珈琲と映画 その1」と言うのもあります。
追伸:
仲間割れしている場合じゃ無いですね。