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音の在りか

執筆者の写真: NappleNapple

2025/2/21



記号にならない音


 少年は、音楽が好きだった。でも、楽譜は読めなかった。音符を目で追い、「ド」から数え、やっとのことで「ソ」とか「ラ」とかを導き出す。そして、その音がギターのどのフレットに対応するかを確認し、指を置く。音を出しながら、少しずつ運指を覚えていく。けれど、いつまで経っても、楽譜を見てすぐにメロディが思い浮かぶことはなかった。楽譜の中の音楽が、自分の中で鳴らないのだ。


「楽譜が読めたら、どんなに素敵だろう」


 少年は何度もそう思った。だが、どれほど楽譜に向き合っても、音楽と譜面がひとつにならなかった。ある日、少年はふと気づく。


「絵を描くことは、できる」

「物語を書くことも、できる」


 なのに、なぜ音楽は思うように扱えないのだろう。



遠回りの先で


 少年は、自分の周りにある楽器を見つめた。そこには、不思議なことに「音階を持たない楽器」が多かった。カホンタンクドラムディジュリドゥリケンべ——。


「どれも調律された音階を持っているわけじゃない。でも、それぞれの音に表情がある」


 試しにカホンを叩く。


“トン、タン”


 小さなリズムが生まれた。まるで風が吹き抜けるような音だった。

 タンクドラムに触れると、涼やかな音が響いた。


“コーン……”


 その音は、夜の湖のように静かだった。ディジュリドゥを吹けば、低いうねるような音が生まれる。リケンべを爪弾けば、星の瞬くような音が鳴った。


「記号になんかならない。言葉にもできない、そのまま鳴らせばいいんだ」


 少年は、音を奏でることで、ようやく「思いを音にする」感覚をつかみ始めた。



父のバイオリン


 そのとき、少年はふと父のことを思い出す。父もまた、音楽を愛していた。クラシックが好きで、ドボルザークやベートーヴェンをよく聴いていた。バイオリンを弾こうとしたこともあった。だが、母は父がバイオリンを弾く姿を見たことがなかった。少年も、一度もその音を聞いたことがない。


「思うように弾けなかったのかもしれない」


 それでも父は、バイオリンを大切にしていた。台風で壊れてしまったときも、専門家に修理を頼んだという。弾くことはなくても、そこにあるだけで大事なものだったのだろう。父は音楽だけでなく、文章や絵も愛していた。シェイクスピアを愛読し、画集を集め、水彩や油絵、版画まで手を伸ばした。「思いを表現したい」という気持ちがあふれる人だった。そして——唯一、父が思い通りに奏でることができた楽器があった。ハーモニカ。指で押さえることも、楽譜を読むことも難しいバイオリンとは違い、ハーモニカは息を吹き込めばすぐに音が出る。そこに、父の思いが乗る。


「思いを表現する手段は、一つじゃない」


少年はそう思った。



音で描く


 少年はスケッチブックを開いた。ペンを走らせ、線や点を自由に並べていく。それは、何かを正確に描こうとしたわけではなく、心に浮かんだままのものを形にする作業だった。


音楽も、そうなのではないか?


 カホンを叩く。タンクドラムを鳴らす。ディジュリドゥの音を響かせる。リケンべを爪弾く。それは、まるで音で絵を描いているようだった。まるで音で物語を紡いでいるようだった。楽譜はなくてもいい。記号にしなくてもいい。


「思いを音にする」


それが、自分の音楽なのだと、少年は知った。



「音の在りか」了

 

あとがき


 思いを記号化することについて考えていた。自分がいままで思ってきたことやってきたこと、さらには父がやってきたこと、思ったであろうことが一つにつながった気がした。そうして生まれた物語。


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