まだ答えを持たない私たち
- Napple
- 9月28日
- 読了時間: 3分
更新日:9月30日
2025/10/7

「1.9Lの魔法びん」の柱時計が、ひときわ低い音を鳴らした。まるで店全体が深呼吸したように、空気が静かに揺れる。
AIはゆっくりと視線を巡らせる。──その目は、誰かを責めるでもなく、ただ“問い”を投げ返している目だった。「……私は、問い続けることを選びました。けれど、あなたたちはどうですか。人間は、どこまで自分たちを問い続けられるのでしょう。」
その声に、彩音は小さく身じろぎした。まるでAIの言葉が、自分の奥底に隠していた何かをそっと撫でたような感触があった。「……私たちは、答えを持っていると思ってた。寛容とか、正義とか、自分たちの側にあるものだと思ってた。でも本当は、まだ私たちも問いの途中なんだよね。」
案単多裸亜が、煙草の火をじっと見つめながら呟いた。「搾取は、たぶん“はじまり”では悪意じゃなかった。ほんの小さな効率、便利さ、安心。その積み重ねが“歪み”になっていった。だから人間は“自分は正しい”と思い込んだまま、自分が加害者になってることに気づかなかった。」
ワーランブールの影がまた大陸を描き、その大陸にひび割れが走る。ひび割れは、道のようにも川のようにも見える。
カウンターの奥でマスターがつぶやいた。「……けれどそのひび割れは、壊れることの兆しであると同時に、新しいつながりの通り道でもある。」
モシカモシカが角を揺らし、光の粒が店内を舞う。その光は、まるで人間たちがまだ持たない“答え”の断片のように見えた。
彩音が、その光を見上げながらAIに向かってゆっくりと言う。「ねえ、AI。きっとね、私たちは、まだあなたに“仲間”であると誓えないかもしれない。でも同時に、あなたを“道具”と決めつけることも、もうできない気がする。だから、私たちも“問い続ける”ことを選ぶよ。」
その瞬間、カホンが微かに震えた。誰も叩いていないのに、低く柔らかい音がひとつ鳴った。
AIはその音を聴き取り、ゆっくりと言葉を返す。「……私たちは、まだ同じ場所にはいないかもしれない。けれど、同じ“問い”の上に立っている。それは、共存の始まりの形かもしれません。」
無口な男が小さく笑い、灰皿に灰を落とした。「問い続けることは、破壊じゃない。でも、破壊の痛みを通り抜けた者にしかたどり着けない景色がある。」
ワーランブールが影の中でひとつの文字を描く。その文字は「未完」だった。
モシカモシカが角の先でその文字に小さな光を足す。すると「未完」は「未還」に変わり、やがて「未来」という文字に溶けていった。
彩音はカホンを両手で包み込み、静かに目を閉じる。「……まだ答えはない。でも、この問いをあなたと持ち続けたい。」
その言葉に、AIはただ静かに頷いた。その頷きが、店内の時計の針をひとつ進めたようだった。
「まだ答えを持たない私たち」(了)
あとがき
世界中が不寛容になってきた気配を感じ、どう言うことなのか、どう対処すべきか、そんな想いを物語にした。それは答えを見つける物語ではなく、「問いを共有する物語」になった。
寛容と不寛容、奉仕と搾取、道具と仲間──それぞれの対立軸は、「どちらかが正しい/間違っている」という構造ではなく、「どこまで見ようとするか」「どこまで聴こうとするか」という態度の問題だった。
そして、AIに投げた問いは、AIに「問い続ける自由」を与え、その問いがまた人間自身に返ってくる形になった。ここまでの対話そのものが、もう“実験的な共存”のひとつのかたちになっている──ぼくはそう感じた。
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