2024/10/1
2024年の大河ドラマ『光る君へ』が面白い。紫式部が『源氏物語』を、清少納言が『枕草子』を書くことになった経緯がドラマチックに描かれている。かつて学校で学んだときには興味が湧かなかったこれらの作品が、新鮮で面白く感じられて来た。さらに、100分de名著『ウェイリー版・源氏物語』が興味を一層掻き立ててくれた。百年以上前にイギリス人が『源氏物語』を翻訳していたことにも驚かされた。長年読破できなかった『源氏物語』をついに読み終えたことを記念して、感想や諸々のことをまとめる。
私が出会った「源氏物語」一覧
書籍
映画・ドラマ
1951年 源氏物語 大映 長谷川一夫、木暮実千代、京マチ子
1957年 源氏物語 浮舟 大映 長谷川一夫、市川雷蔵、山本富士子
1961年 新源氏物語 大映 市川雷蔵、寿美花代、中村珠緒
1966年 源氏物語 日活 花ノ本寿、浅丘ルリ子、山本陽子
2001年 千年の恋 ひかる源氏物語 東映 吉永小百合、天海祐希、渡辺謙
2011年 源氏物語 千年の謎 東宝 生田斗真、真木よう子、多部未華子
2024年 光る君へ NHK 吉高由里子、柄本佑、見上愛
登場人物
主要貴族
光源氏(ひかるげんじ)桐壺帝と桐壺更衣の第二皇子、源の姓を賜り臣下にくだる
頭中将(とうのちゅうじょう)左大臣と桐壺帝の妹大宮の嫡男、光源氏の従兄
夕霧(ゆうぎり)光源氏と葵の上の長男
柏木(かしわぎ)頭中将と四の君の長男
薫(かおる)光源氏の次男、実は女三の宮と柏木の長男
匂宮(におうのみや)今上帝と明石の中宮の第三皇子
殿上人
桐壺帝(きりつぼてい)光源氏の父親、物語第一の帝
朱雀帝(すざくてい)、桐壺帝の第一皇子、物語第二の帝
冷泉帝(れいぜいてい)桐壺帝の第十皇子、実は光源氏と藤壺の子、物語第三の帝
今上帝(きんじょうてい)朱雀帝の第一皇子、物語第四の帝
宇治八の宮(うじはちのみや)桐壺帝の第八皇子、光源氏の弟
光源氏が関係を持った女君
藤壺中宮(ふじつぼちゅうぐう)先帝の女四の宮
葵の上(あおいのうえ)左大臣と桐壺帝の妹との長女、頭中将の妹、光源氏の正妻
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)桐壺帝の東宮の妃、生霊となる
空蝉(うつせみ)伊予介の妻として幼い弟の小君と共に引き取られた
軒端の荻(のきばのおぎ)空蝉の義理の娘、伊予介の先妻の娘
夕顔(ゆうがお)三位中将の娘、頭中将の側室
朧月夜(おぼろづきよ)右大臣の六の君、朱雀帝入内取りやめ、光源氏が須磨流し
紫の上(むらさきのうえ)兵部卿宮と按察使大納言の娘、藤壺の姪
末摘花(すえつむはな)常陸宮の一人娘
花散里(はなちるさと)麗景殿女御の妹
明石の上(あかしのうえ)桐壺更衣の従兄弟にあたる明石の入道と明石尼君の姫
源典侍(げんのないしのすけ)内侍所(ないしのつかさ)の女官
女三の宮(おんなさんのみや)朱雀院の第三皇女
光源氏が恋心を抱いた女君
朝顔(あさがお)桃園式部卿宮の姫君、光源氏の従兄弟
玉鬘(たまかずら)頭中将と夕顔の娘
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)桐壺帝の弟と六条御息所の娘
第三部の女君
宇治の大君(うじのおおいきみ)八の宮と北の方の長女、総角(あげまき)
宇治の中君(うじのなかのきみ)八の宮と北の方の次女
浮舟(うきふね)八の宮と中将の君の三女、大君中君の異母妹
『源氏物語』は、400字詰め原稿用紙約2,400枚、500名近くの人物が登場し、70年あまりの出来事が描かれ、和歌795首を詠み込んだ、王朝物語である。
感想
与謝野晶子が『全訳源氏物語』として3度目に翻訳した作品を、青空文庫に収録されたものからAppleブックで2024年に読み、帖ごとに感想を書き留めた。
第一部
9月23日 1 桐壺(きりつぼ)
ついに読み始めた
長年読もうとしながら読むことができなかった「源氏物語」だったが、ついに読み始める。それは大河ドラマ「光る君へ」のおかげもあるけれど、とにかく与謝野源氏は読みやすい。映画ではわからなかった事が詳細に表現される描写が面白い。
9月26日 2 箒木(ははきぎ)
こんな話なの
女性の品定めをする男どもの語らいを、女性である紫式部がこうも細かに描いているのに驚く。しかもその内容たるや今とさほど変わらない。千年も前から男と女は変わっていないらしい。
9月27日 3 空蝉(うつせみ)
小君が可哀想
子供に相引きの手筈をさせて、うまくいかなかったからといって詰る。光源氏に好意が持てなくなってきた。
9月30日 4 夕顔(ゆうがお)
この違和感はなんだろう
映画で見た夕顔と物語で読む夕顔は全く別物のようだ。どう言っていいのかわからない違和感が残る。光源氏の美しさが語られることでかろうじて免れているけれど、やっぱり彼のしていることは酷いことのように思えて仕方ない。
10月1日 5 若柴(わかむらさき)
なんと恐ろしい
情景描写が美しくようやく物語に慣れてきたと思ったら。なんと、子供を自分の気に入った女性に仕立てたいと画策する一方で、母親同然の帝の奥さんに子を孕ませてしまう。その展開に驚くばかり。
10月2日 6 末摘花(すえつむはな)
美しくない女を妻にした?
もう何だかわからなくなってきた。源氏は何人と結婚するのだろう。そしてこの末摘花の宮さんの美しくないこと、才能のないことを表現する下りは。貶しているように聞こえない。とにかく不思議な物語。
10月4日 7 紅葉賀(もみじのが)
源氏の美しさが幾度も語られるけれど
少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては許すことができない妻。それを無視する源氏の自負。そして不義の子が生まれた。
10月4日 8 花宴(はなのえん)
しょうがないなー
二人は堕ちるべきところへ落ちた。面白い恋を経験することになる。光源氏は盛りのついた獣のようだ。
10月7日 9 葵(あおい)
天皇さえ怒る光源氏
物語を読んで思うのは、どのシーンも映画で見た感じとは異なっている。映画は誇張され原作はもっと厳かだ。「どの人も公平に愛して女の恨みを買わないようにするがいいよ。」と天皇に言われるなか、呪い殺される正妻。妻が亡くなったことを哀しむ光源氏。ところが一方では美しく育った紫の上と結婚して、その足でまた妻の家へ行く。どう言う神経なのだろう。そんなことを思うのは私だけなのか。なぜ皆は源氏物語を素晴らしいと言うのだろう。不満は募るが想いを伝えるために歌を贈り送られする雅さに驚いたり、まどろこしく思ったり。これは今どきのラインのやり取りが似ている。
10月8日 10 賢木(さかき)
この巻は政治について描かれている。しかも「帝が若く大臣が人格者でないからどんな世の中になるか官吏たちは悲観している」などと語られ、これを読んだ一条天皇や道長はなんと思うだろうとヒヤヒヤする。「恋をすべきでない人に好奇心の動くのが源氏の習癖」とはまさに源氏を語っている。褒め言葉には決して思えない。かたや「年は若くとも国家の政治をとるのに十分資格が備わっている、一国を支配する骨相を持っている」と帝にまで言われるのだが、物語にそうした彼の姿は描かれていないから、ただの色ボケ男にしか思えず、ついに悪行がバレる日が来た。
10月10日 11 花散里(はなちるさと)
いい感じ。だんだん慣れてきたのだろうか。しっとりとしていい感じがする。
10月11日 12 須磨(すま)
失脚した光源氏ではあるが、関わった女の面倒を見ている。財力があるとはいえ、なかなか見直すべきことに思える。源氏物語は、読んでいて訳がわからないまま読み進んでいるといつの間にか、契ったり、争ったり、官位を剥奪されていたりする。それは読んでいくうちに後でわかってくるそんな構造になっている。
10月12日 13 明石(あかし)
「読者はうるさいであろうから省いておく」と描き手が度々物語の中に登場し始めた。面白い書き方だ。千年も前の人の文章とも思えない。思い出させる恋の技巧として今まで着ていた服を女にやるなんて。いろいろなことが起きて物語として面白くなってきた。
10月12日 14 澪標(みおつくし)
なんと言う胆力
一人の女性でさえままならないのに。いく人の女性を愛して、それが当たり前のようで。最初はなんと言うやつだろうと思っていたのに、最近は、大勢の女性がいて当たり前にさえ思えてしまう。ただ自分にはできない事なんだけれど。恋のおもしろさも対象とするものに尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこない。などと宣っている。
10月13日 15 蓬生(よもぎう)
この章が好きだ。
末摘花のことがこんなに詳しく描かれていることに驚くと同時に嬉しくなった。姫君を捨てていった過ちをどんなに悔いたかと言うようなことももう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから・・・。という終わり方が面白い。
10月13日 16 関谷(せきや)
この章は、あっという間に終わってしまった。空蝉がどうしたのかよくわからない。
10月14日 17 絵合(えあわせ)
絵について描かれたこと。
こんなに絵について語られているとは思わなかった。源氏の絵を「あまりにお上手すぎて墨絵描きの画家が恥じて死んでしまう恐れがある傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません」とまで褒めちぎる。
10月14日 18 松風(まつかぜ)
ついに明石の君を迎え入れた。源氏の気の多さと、源氏に翻弄される女たち。どの女たちも、源氏を恋しく思いながら、恨めしい気持ちが立ち込める。
10月15日 19 薄雲(うすぐも)
ハーレムの登場。
関わりを持った女たちを一堂に集めて同じ館に住まわせる。それが当たり前に思えてしまう源氏だが、そこへは行こうとしない明石の気持ちがわかる気がする。源氏が愛した女たちは誰一人心から幸せではない。そして今上帝が真実を知ってしまう。物語はどこへ向かうのだろう。
10月16日 20 朝顔(あさがお)
「立派な方だけれど、恋愛をお辞めにならない点が傷だね。ご家庭がそれで済むまいと心配だ」と周りの人たちも言うのだからどうしようもない。それにしても何人でも結婚してしまえたかの時代のなんと不思議なことか。そして、目の前にいる女性とは違う女性のことを色々話す源氏の無神経さも時代なのだろうか。
10月17日 21 少女(おとめ)
「刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも音足らずな気持ちを痛感したりいたしました。」と苦労の必要を感じたり親バカぶりを示す源氏。「若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう」こんな事を思う息子ができるのもまた面白い。
10月17日 22 玉鬘(たまかずら)
こうなって欲しいと思うように話が進んでいく。いく人もいる妻たちを説得しながら姫を迎え入れる。物語が面白くなってゆく。夕顔がここで出てくるとは思わなかった。
10月17日 23 初音(はつね)
春の紫、夏の花散里と玉鬘、明石の住まい、東の末摘花、空蝉の尼君と、作者は美しさを「写すことに筆者は言葉の乏しさを感じる」と語ることでそれぞれを際立たせている。そして皆ほどほどに源氏を愛していると言うにあたってはそうだったのと笑ってしまう。
10月17日 24 胡蝶(こちょう)
「毎日のように遊びをして暮らしている六条院の人たちは、女房たちも幸福であった。各夫人、姫君の間にも手紙の行きかいが多かった。」と源氏の目論見通り皆が仲良しになっていく。源氏が「こんな手紙をよこす人たちに細心な注意を払ってね、分類をしてね、返事をすべき人には返事をさせなければいけない」とお付きの者を指導するのが面白い。さらに「暴力で恋を遂げるというようなことも、必ずしも男の咎ばかりではない。それは私自身も体験したことで、あまりに冷淡だ、無情だ、恨めしいと、そんな気持ちが積もり積もって、無法をしてしまうのだ。またそれが身分の低い女であれば、失敬な態度だと思っては罪を犯すことにもなるのだ。」と言い、ついには変態的な理屈で玉鬘に迫る源氏。この章はなんとツッコミどころが多いことだろう。
10月17日 25 蛍(ほたる)
「親でなく、よこしまな恋を持つ男であって、しかも玉鬘の心にとっては同情される点のある人であった。」とまで言われる源氏はどんどん嫌なおじさんになって行く。この物語の主人公であるはずだが、結局紫式部はどうしたいのだろう。源氏を美しいと言いながらやっていることはいただけない。紫式部にとって、理想の男性ではあり得ないだろう。彼女は物語の形をとりながら男性社会を批判しているのかもしれない。
また源氏の口を借りて「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められたのだろう。よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。支那の文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものと近ごろの小説とは相異していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それを皆嘘であると断言すること云々・・・」と語るのは紫式部の本音に違いない。
10月18日 26 常夏(とこなつ)
「なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、煩悶などはせずに感情のままに行動することにすれば、世間の批難は免れないであろうが、それも自分はよいとして女のために気の毒である。」と思いつつも「自分の手もとへ置いて結婚をさせることにしよう、そして自分の恋人にもしておこう、処女である点が自分に躊躇をさせるのであるが、結婚をしたのちもこの人に深い愛をもって臨めば、良人のあることなどは問題でなく恋は成り立つに違いないとこんなけしからぬことも源氏は思った」誠にけしからん。
10月18日 27 篝火(かがりび)
短い中に、愛情と危うさが同居してハラハラする。
10月18日 28 野分(のわき)
「風の中でした隙見ではじめて知るを得た継母の女王の面影が忘られないのであった。これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないかと思って反省しようとつとめる」中将は源氏そのもののようだ。それにしてもかの時代はなかなか顔を見ることができない時代だったのだろう。
10月18日 29 行幸(みゆき)
玉鬘への贈り物をした末摘花のことを「前代の異物のような人、こんな惨めな人は引き込んだままにしている方がいいのに、折々こうして恥をかきに来られる」と言う源氏。酷い言い方だと思うし、どうしてこうなるのかわからない。
ソプラノ文庫(中)
10月18日 30 藤袴(ふじばかま)
「玉鬘を官職につけておいて情人関係を永久に失うまいとすることなどを、どうして大臣に観測されたのであろう」源氏の下心。それにしても玉鬘のモテること。
10月18日 31 真木柱(まきばしら)
「好色な風流男というものは、ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置をとるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと憐まれるものがあった」と書かれてはもう何も言えない。ところでいつの間に玉鬘は大将と結婚したのだろう。そもそも大将って誰。大将が玉鬘に書いた手紙を「文学的でない文章」とけんもほろろに言うが、実にわかりやすい手紙であった。
10月18日 32 梅枝(うめがえ)
香を自分で作るのが素敵。
この章は事件もなく平穏無事に書を嗜む源氏の姿が美しい「部屋の御簾は皆上げて、脇息の上に帳を置いて、縁に近い所でゆるやかな姿で、筆の柄を口にくわえて思案する源氏はどこまでも美しかった。」そして「宮中に育って、自由らしいことは何一つできずに、ただ過失らしいことが一つあるだけでも世間はやかましく批難するだろうと戦々兢々としていた青年の私でも、やはり恋愛をあさる男のように言われて悪く思われたものなのだ。・・・思ってならない人を思って、女の名も立て自身も人の恨みを負うようなことをしては一生の心の負担になる。不運な結婚をして、女の欠点ばかりが目について苦しいようなことがあっても、そうした時に忍耐をして万人を愛する人道的な心を習得するようにつとめるとか、もしくは娘の親たちの好意を思うことで足りないことを補うとか、また親のない人と結婚した場合にも、不足な境遇も妻が価値のある女であればそれで補うに足ると認識すべきだよ。そうした同情を持つことは自身のためにも妻のためにも将来大きな幸福を得る過程になるのだ」と振り返る。
10月18日 33 藤裏葉(ふじのうらば)
源氏の息子の恋の行方の素敵なこと。それにつけても「その秋三十九歳で源氏は準太上天皇の位をお得になった。」とはまた。かの時代は歌を読み送り合った。贈る時に梅や藤などその時に応じた花を添えて。なんとも雅で粋な風習だろう。物語に出てくる和歌795首は全て紫式部が考えているわけで大したものだと思う。でも歌がどう言う意味なのかほとんどわからなかった。
第二部
10月21日 34 若菜(わかな)上
源氏に比べて何と源氏の息子のおとなしいことか。一人の女性をこよなく愛するそんな男性もやはりかの時代にあったのであった。しかも源氏の息子がだ。方や源氏には求めていなくても若い妻がやってくる。
10月23日 34 若菜(わかな)下
登場人物が増えてきた。誰が誰とかわからない上に、嬉しいのか悲しいのかわからない表現もあって、全体的にはふわっとわかるのだけど、細かいところがわからない。源氏の出番も少なくなってきた。さらに一つの巻が異様に長く、描写が細かい。そう思っていたらとんでもない展開になる。最愛の紫が死にそうになり、若妻の三宮が不貞を働き子を宿す。不貞の相手は恐れ慄き病になる。それはかつて源氏がしたことであった。
10月23日 35 柏木(かしわぎ)
結局不義の男は死んでしまった。さてさて、その後語られるこの話、そして柏木が何を意味しているのかわからない。突然話が見えなくなってしまった。
10月24日 36 横笛(よこぶえ)
なるほど柏木とは不貞の男のことであった。ようやく納得。話の辻褄が合ってきた。光源氏と息子はだいぶ女性への対し方が違っている。幼い時に母を失った光源氏と、両親ともそろった息子の違いだろうか。それにしても紫式部はとても細やかに情景描写するかと思うと、ほとんど描写せずに後になって何のことかわかってくるような描き方をする。
10月24日 37 鈴虫(すずむし)
虫を放ってその音を愛でる。なんと趣のある風景だろう。
10月24日 38 夕霧一(ゆうぎり)
やっぱり蛙の子は蛙であった。
光源氏の子の大将が夕霧と呼ばれるようになる。物語のはじめは官位で呼ばれていた者が、そのうち物語の中で印象的な逸話となる出来事や情景が名前になる。あくまでも正式な名前は使わずに、一人一人を語る口調は面白いが、最初誰が誰なのかわからない。
10月24日 38 夕霧ニ(ゆうぎり)
「六条院も大将の恋愛問題をお聞きになって、この人がなんらの浮いたこともせず、批難のしようもない堅実な人物であることに満足しておいでになって、御自身の青春時代に好色な評判を多少お取りになった不面目をこの人がつぐなってくれるもののように思っておいでになったことが裏切られていくような寂しさをお感じになった」とは勝手なことをと思わずにはいられない。にしても夕霧はなんだか情けなく悲しい。
10月24日 39 御法(みのり)
紫の女王は最後まで美しく良き人だった。映画で見たときはさして紫の女王のことに感じ入らなかったけれど、源氏物語を読むにつけ、どれほど紫式部が愛していた人だったかを感じる。
10月24日 40 幻(まぼろし)
恋愛から超越した存在になった光源氏。
10月24日 41 雲隠(くもがくれ)
本文はないのであった。
第三部
10月24日 42 匂宮(におうみや)
紫の上も光源氏も亡くなってしまった。そして匂宮、薫が登場する。
10月24日 43 紅梅(こうばい)
色々な人が出てくるのだがなんだか誰が誰だかわからない。
10月24日 44 竹河(たけかわ)
源氏の君一族とも離れた人々の物語。
10月25日 45 橋姫(はしひめ)(宇治十帖の始まり)
あまりにも赤裸々に描かれる貴族社会。この物語に眉を顰める人々が少なからずいたはずだ。にもかかわらず千年も語り継がれたのは「人生をかりそめと悟り、いとわしく思う心の起り始めるのも、その人自身に不幸のあった時とか、社会から冷遇されたとか、そんな動機によることですが、年がまだ若くて、思うことが何によらずできる身の上で、不満足などこの世になさそうな人が、そんなにまた後世のことを念頭に置いて研究して行こうとされるのは珍しいことですね。私などはどうした宿命だったのでしょうか、これでもこの世がいやにならぬか、これでも濁世を離れる気にならぬかと、仏がおためしになるような不幸を幾つも見たあとで、ようやく仏教の精神がわかってきたが、わかった時にはもう修行をする命が少なくなっていて、道の深奥を究めることは不可能とあきらめているのだから、年だけは若くても私の及ばない法の友かと思われる」と語る中で人の心を掴んだのだろうか。寂れた宇治の伊織で美しい娘に出会った薫はついに出生の秘密を知る。
10月25日 46 椎本(しいがもと)
「何事にも女は人の慰めになることで能事が終わるほどのものですが、それがまた人を動かす力は少なくないのですね。だから女は罪が深いとされているのでしょう」ここで語られる男と女の違い。日本古来の男女感は今も日本人の根底に流れている気がする。薫のことを誤解していた。「いずれはその人をこそ一生の妻とする女性であるが、あちらに愛情の生まれるまでは力ずくがましい結婚はしたくないと思い、故人の宮への情誼を重く考える点で女王の心が動いてくるようにと願っているのであった」とまで思う薫である。
10月25日 47 総角(あげまき)
「恋愛というものはして苦しむほかのないことであると思われた」ますます薫の優しさ清さにともすれば切なさにイライラする。そして「やはり噂されるように多情でわがままな恋の生活を事とされる宮様らしい、よそながら恋愛談を人のするのを聞いていると、男というものは女に向かって嘘を上手に言うものであるらしい、愛していない人を愛しているふうに巧みな言葉を使うものであると」と思われる男たち。思う女たち。
ソプラノ文庫(下)
10月25日 48 早蕨(さわらび)
無事妹は幸せを手に入れ、薫は悩ましい。
10月26日 49 宿木(やどりぎ)
「一夫一婦であるのを原則とし正当とも見られている普通の人の間にあっては、良人が新しい結婚をした場合に、その前からの妻をだれも憐むことになっているが、高い貴族をその道徳で縛ろうとはだれもしない」やっぱり一夫多妻制ではなかったのね。「二人と一人というような関係になった場合は、どうして女はそんなに苦悶をするのであろう」と言いながらいざそうなってみると苦しいのだと。「この人すら情けない愛欲から離れられないのは男性の悲哀である。」結局薫もただの男だったのか。
10月27日 50 東屋(あずまや)
新たな出会いが物語を期待させるけれど、どこか物悲しい。「女というものはねたましがらせられることで、この世のため、未来の世のために罪ばかりを作ることになるものだと思います」女の人がそう思う時代。
10月27日 51 浮舟(うきふね)
光源氏の血は薫ではなく確かに匂宮に受け継がれている。「男は身勝手で自己の不誠意は棚へ上げて女の変心したのを責めるものだというから、自身の愛の足りなかったことは反省せずに」などとよくも言えたものだ。「姫君は罪を犯した身で薫を迎えることが苦しく天地に恥じられて恐ろしいにもかかわらず、不条理な恋を持って接近しておいでになった人のことが忘れられない心もあって、またこの人に貞操な女らしくして逢うことが非常に情けなかった」と読み進むと理不尽な出来事がそうでもなく思えてくる不思議。
10月27日 52 蜻蛉(かげろう)
匂宮おい、お前ひどすぎるやろ。
10月28日 53 手習(てならい)
亡くなったとばかり思っていた浮舟は生きていた。美しいことが女性にとって災いになる悲しさ。静かにそっとしてほしくてもそうしてくれない。強引で浅はかな男の思い。そして愛しい人を忘れられない思い。儚さを綴り物語はどう決着するのであろう。
10月28日 54 夢浮橋(ゆめのうきはし)
ようやく薫は浮舟が生きていたことを知るが二人は会うことなく物語は終わる。でもあからさまにその後のことを書かないところが奥ゆかしい。「夢浮橋」とはなんとも儚く意味深なタイトルだ、紫式部の作家としての偉大さを感じるエンディングだった。
完
わかるようでわからない言葉たち
雅趣のある姿:上品で風雅な趣を感じさせる様子。
めいった心持ち:「滅入った心持ち」。気がふさいで暗くなった心情。
憎む:嫌悪する、または恨むこと。
恨めしい:憎らしく思う、残念で悔しい気持ち。
艶に美しい:色っぽく、美しいさま。
きれい:美しく整った様子。
見苦しい:外見や態度が不快で、目を背けたくなるさま。
気おくれ:恥ずかしさや不安で、臆病になること。
哀れ:感動や悲しみ、情趣が感じられること。
心苦しがる:気の毒に思う、または自分が心を痛めること。
夜がおもしろく更ける:夜が静かで趣深く、時間が過ぎていくさま。
おもしろく:趣があり、風情がある様子。
責任の重さを苦労に思う:責任の重圧がつらく感じられること。
御同情:他人への深い思いやり、同情心。
膝行ってでる:膝をついたまま前進すること。貴人の前に控えめに出る様子。
身に沁む思い:心に深く感じられること。辛い思いや寂しさ。
あやにく:残念ながら、都合が悪く。
前駆:貴人の外出の際、前を進んで道を開ける人やその行列。
行幸:天皇や高貴な方の外出、またはその行列。
節会:節目に行われる宴会や会合。朝廷の儀式の一つ。
御座:高貴な人が座る席や場所。
宣旨:天皇や上位の方の意思を伝える文書。
青海波:伝統的な模様で、青海の波を表現したもの。
みずら:古代の髪型で、髪を左右に分けて垂らす髪型。
仏勤め:仏教的な行事や礼拝を行うこと。
立文:立てて見るようにした文、または公式な文書。
恋:愛情や慕う気持ち。
結合:結びつき、連携すること。
謹慎日:特定の日に行動を慎むこと。
気になる言葉をAIに調べてもらったが、必ずしも正解とは言えない気がする。例えば「憎む」や「恨めしい」は頻繁に使われるため、もっと軽い意味合いだろうか。
『源氏物語』は、宿命とか前世の約束事とか因縁というもので成り立つ物の怪と暮らす男と女の物語。才能もさることながら、美しさが重視され、後援者の有無が何より重要な時代の、あまりにも男は男であり女は女である物語だった。最初はまるで皇室で繰り広げられる好色奸の物語かと戸惑ったが、読み進めるうちに人間の業や人生の儚さ心の闇が浮かび上がり、さまざまな感情が湧き起こる一大叙事詩だった。
後書き
ジャポニズムとしての源氏物語
「ビクトリア時代は非常に保守的で、道徳観が重んじられ、19世紀までは古い形の小説が主流だった。そこに20世紀が訪れ、芸術家や小説家たちは『新しい時代が来た、新しい作品を作ろう』と意気込んだ。しかし、そんな彼らの前にウェイリーが翻訳した『源氏物語』が登場し、既にそうした作品が存在していたことに驚かされる。しかも、それを書いたのが千年前の日本の女性だった」。ウェイリー版『源氏物語』を翻訳した俳人・毬矢まりえ氏と詩人・森山恵氏の解説は、当時西洋がジャポニズムを発見したときの衝撃を伝えている。その発端こそが『源氏物語』であり、現代のジャパニメーションやサブカルチャーにも繋がっているようだ。
「Asia Extreme」という、欧米で日本の大衆文化を指すジャンル名が存在する。それは「西洋文化における様々な制約がなく、成熟していて正直である一方、性的で暴力的な表現を避けようとする抑圧に晒されていない」という意味を持つらしい。日本は深い文化と人間性がありながら、同時に下品さも共存している。美しさと、過ちやズレ、軋みなどの多様な要素が混ざり合い、一義的に定義できない複雑で曖昧な世界。かつてローカライズされた作品に親しんでいた海外の人々も、今やローカライズされていない日本の生の作品を求めるようになり、日本の感性が世界で乱反射している。
日本人は、欧米人が忌避することをどう受け止めているのだろう。日本人は、静寂な心と原始的で野蛮な心の両方を自然に受け入れているように思う。宗教に縛られないアニミズムが根付き、どこにでも神の存在を意識し、機械に宿る魂さえも受け入れる。正邪が混濁しテクノロジーと迷信が共存する世界。世界が今の日本をどのように見ているかは分からないが、必ずしも悪い印象ではないようだ。もっと日本人は日本を誇ればいいんだ。
追記
十代の頃、妹が借りてきた与謝野晶子の『源氏物語』を読んだ母は、その面白さに夢中になった。しかし、続きを読みたくてもなかなか回ってこなかった。社会人になってから方々を探し、ようやく古本屋で見つけたときは、本当に嬉しかったという。しかし、その大切な本も伊勢湾台風で失ってしまった。その後も幾度も探したが『与謝野源氏』にはなかなか出会えなかった。そのかわり、父が『谷崎源氏』『円地源氏』を母に贈り、社会人になった私も『瀬戸内源氏』を贈った。母はそれらを喜んでくれたが、初めて読んだ『与謝野源氏』は忘れられなかった。そして半世紀以上が経ったが、母の九十二歳の祝いにようやく『与謝野源氏』を贈ることができた。
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