2023/1/12
「珈琲本のネタ元? 幻の名著40年ぶりの復刻」ということで昨年秋(2022/9/25)に本書を紐解いた。面白いのだが、文体が古いためになかなか読み進めず、飛ばし飛ばしでようやく読み終えた。
いつ珈琲が日本に伝わり広まったのか。世界の珈琲発見伝説や珈琲の表記一覧、日本初の珈琲店の話など、とても資料性の高い内容だった。
本書の原本は1973年に旭屋出版から刊行された「珈琲遍歴」で、著者奥山義八郎は1907年山形県に生まれ、版画画家としてニッカウヰスキーの版画や、珈琲の表記を一覧にした「かうひい異名塾字一覧」など多数の作品を残した昭和期の日本を代表する珈琲研究家の一人。
序によせて 古波蔵保好
一、珈琲の始まり
二、世界の珈琲
三、日本の珈琲の始まり
四、珈琲研究に手掛かりを与えた人々
五、日本の珈琲文献
六、珈琲異名熟字ほか
七、日本への渡航者と珈琲
八、海外漂流者の珈琲記事
九、海外渡航者の珈琲記事
十、新日本と珈琲
十一、その後の日本の珈琲
十二、珈琲の栽培
あとがき
解説 旦部幸博
本書は2022年9月講談社学術文庫から刊行され2022年10月1日に発行された電子書籍。解説は『コーヒーの科学』『珈琲の世界史』の著者旦部幸博氏。
つまみぐい
日本で初めて珈琲を飲んでその味について感想を述べた文化年間の大田蜀山人が次のように記したという。「紅毛船にてこうひいというものをのんだ。焦げ臭くて味ふるにたえんものだ。」・・もし二度目の機会に巡り合って、コーヒーを味わい直したら、考えが変わったのではなかろうか。コーヒーの苦い味には魔力があり、この魔力に捉えられたが最後、ついに一生、逃げられなくなる。(序によせてより)
どうせ珈琲店というものは、儲かる商売ではなく、自分の好きな珈琲を客に供して、自分も楽しみつつ日々を送ればいいと言った考えで、店を開いた人が多かったし、また芸術の道を志した人が、生活上の事情で、あまり気苦労のないコーヒー店を始めると言った例も多かった。(序によせてより)
珈琲はすっかり家庭飲料となり、妻に珈琲を十分に与えないことが離婚の理由となり、結婚に先立って夫は妻に珈琲を不自由させないことを誓言しなければならなかった。(珈琲の始まりより)
初期の英国珈琲店は単に飲み物を売るところというだけではなく、それは公衆が自由に会合して、政治や文芸、学問上の意見を交換したり、商売の取引をする場所として利用されたところに特色がある。それは日本の喫茶店が単に娯楽のため、あるいはいかがわしき漁色の場所として出発したのとは大いに異なっている。(世界の珈琲より)
遊女がいないと出島のオランダ人は全く侍者を失い、長い寒い冬の夜などは一杯のコーヒーを飲むにも自らお湯をわかさねばならぬ・・・。(日本の珈琲の始まりより)
慶応三年徳川昭武公が仏国に赴いて一ヶ年余在留した時、渋沢栄一が随行した。明治四年「航西日誌」全六冊を出した。・・正月十二日・・食後カッフェーという豆を煎じたる湯を出す。砂糖牛乳を和して、これを飲む。頗る胸中を爽やかにす。(海外渡航者の珈琲記事より)
大正十四年十一月十二日読売新聞に「珈琲店通」なる記事あり。「カフェーなる看板を現代人の好奇心に初めてお目見えせるは、明治四十四年三月にして、京橋日吉町にカフェ・プランタンという字が、その白壁にくっきり現れた時なり。店主は洋画家松山省三なり。(その後の日本の珈琲より)
明治十五年一月十一日西海新聞「長崎雑報欄」に「近年洋食が盛んに行われるにつき、珈琲の輸入も多額なれば、是を内地にて製造せんと勧農局にて、西洋より苗木を取り寄せ小笠原に植え付けられしに気候と土性が相応したと見え追々成木して今年は花を開いたという。(珈琲の栽培より)
本書は、オランダ商館医シーボルトがその普及を推奨し、遣欧使節や渋沢栄一が楽しみ、日本初のコーヒー店が誕生するといった膨大な記録を集め、その知られざる歴史を描いている。日本珈琲史の元祖であり、関連書の隠れた「種本」ともいわれているらしい。
追記
著書は珈琲異名塾字一覧を作るにあたり、静岡の葵文庫に、旧幕府時代の徳川家楓山御文書や蕃書調書や開成所所蔵の外国時書類が数多くあり参照したとのこと。英文字または蘭語にどの漢字を当てたかを調べたものらしい。機会があれば訪れてみたいところである。
さて、珈琲を飲みながら珈琲談義をする際に、何か思い出せれば洒落たことも言えるのだが、どうやらそんな時には思い出せない気がする。
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