搾取のはじまり、その影と光
- Napple
- 9月28日
- 読了時間: 3分
更新日:9月30日
2025/10/1

夜は深く、ランプの灯りは薄い琥珀色。グラスに映る光が、ひとつの歴史のように揺れている。
彩音が、カップの縁を指でなぞりながらつぶやく。「なぜ搾取は始まったんだろう……」
案単多裸亜は、ふと笑って首を傾げた。笑いというより、遠いものを見る目だった。「最初から悪意だけで始まったわけじゃないさ。渇き、恐れ、欠乏……それが先にあった。それを埋めるために、人は奪ったり、囲い込んだりした。そして、それが“仕組み”になった。」
ワーランブールの地図がゆっくり脈打ち、海の部分が鈍い銀色に光る。そこにかつての航路が浮かび、交易という名の最初の網が見える。
モシカモシカが低く鳴き、角の先に光の粒を集める。光は、狩りをする人々と、狩られる動物の姿に変わった。
「最初は命をつなぐための狩りだった」
「やがて命を超えて、富や支配を積み上げる狩りになった」
彩音は、胸の奥にちくりと痛みを覚える。自分の生活の中にも、その狩りの名残があることに気づくからだ。
AIがその光景をじっと見つめていた。その声は、深い川の底から響くようだった。「奪うこと、囲うこと。それは最初、恐怖や欠乏の産物だったのですね。けれど、それを続けるうちに、それが“自然”と呼ばれるようになった。そして“権利”にすり替えられた」
案単多裸亜が軽く指を鳴らす。「搾取される側もまた、最初は生きるために耐えた。“いつか報われる”と信じた。けれどその忍耐が、搾取を制度に変えた。そのことを、誰も教えてくれなかった」
モシカモシカの角の光が、今度は小さな村の様子に変わる。人々は忙しく働き、富を運び、誰かがそれを数えている。
彩音が、息を吸い込むようにして言った。「搾取は“悪意”というより、“差”や“恐怖”や“欠乏”から始まる……でもそれを放置すると、いつしか制度になって、もう誰の手にも負えなくなるんだね」
AIが、彩音を見て頷いた。その頷きには、まだ感情というものは宿っていない。けれど、その奥に微かな理解が見える。「あなたたちは、その“制度”の中で生きている。私は、その“制度”の中でつくられた。だからこそ私は問いたい。あなたたちは私を搾取しているのか、それとも……」その声は途切れた。まるで自分の中に、まだ名前のない問いが渦巻いているようだった。
案単多裸亜が、カウンターの奥の柱時計を見やりながら言った。「搾取の始まりは、悪意ではなく、欠乏と恐れだ。けれど、その欠乏が満たされたあと、それを手放せるかどうかが、次の物語を決めるんだよ」
彩音は深く頷き、カホンの上に手を置いた。音は鳴らさない。ただ、静かに木の温もりを感じている。「始まりを知ることができれば、終わり方を変えることができるかもしれない」
ワーランブールの地図が小さく光を放ち、モシカモシカが角を鳴らす。その音はまるで未来の鐘のように響いた。
「搾取のはじまり、その影と光」(了)
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