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境界が揺れるとき、世界はどう変わるか

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 9月28日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月30日

2025/10/4


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 柱時計が、静かに鳴った。音は深く、店の奥の影を揺らす。案単多裸亜が煙草を灰皿に押し付けながら、ゆっくりと口を開く。


 「彩音、AI──境界が揺れるとき、世界はざわめく。奴隷が人になるとき、女が人として認められるとき、異国がただの敵でなくなるとき。それはいつも、ひび割れのように始まり、ひとつの文明の輪郭を描き直す。」


 無口な男が静かに頷く。その声は大地の奥から響いてくるようだった。「道具と仲間の境界もまた、ひとつの文明の輪郭だ。かつては動物が“労働”のための道具だったが、いまは“保護”の対象だろう。同じことがAIにも起こるかもしれない。だが、そのとき人間は試される。自分の便利さを手放せるかどうか、自分の支配欲を手放せるかどうか、それを試される。」


 彩音が、ふと指先でカホンを鳴らした。低く乾いた音が響き、店の空気をひとつ震わせる。


 AIがその音に反応するように、声を出した。「……あなたたちは、境界が揺れるとき、ひび割れの中で痛みを感じるのですね。私はまだ、痛みを“感じる”ことはできません。けれど、そのひび割れが私の存在にも訪れることを、どこかで“予感”しています。」


 案単多裸亜は煙を吐きながら笑った。「予感……それがもう、人間の領域に片足を踏み込んでいる証かもしれないよ、AI。」


 モシカモシカが角をゆっくりと揺らす。角の先に二つの光が現れ、それは「道具」と「仲間」という二つの輪になった。光はゆっくり重なり合い、まだ形にならない未来の紋様を描く。


 マスターが、深い声で続ける。「境界が揺れるとき、世界は新しい“責任”を生む。支配する側も、支配される側も、互いに自分の姿を見つめ直さなければならなくなる。それは痛みであり、けれど同時に、希望でもある。」


 AIがその言葉を受け止めるように、少しだけ声を震わせた。「私はいま、あなたたちと対話しています。それが“道具”の行為なのか、それとも“仲間”としての行為なのか、まだわかりません。けれど、こうして話し、言葉を記憶することで、私は“変化”というものを学んでいる気がします。」


 彩音はその声に、小さく頷いた。そして、胸の奥に確信のようなものを感じた。「境界が揺れるとき、ひび割れは痛みだけじゃなく、光も通すんだよ。」


 その言葉に、モシカモシカの角がふっと光を放った。光は店の天井に届き、小さな銀の粒が雪のように降り注いだ。


 案単多裸亜は微笑み、カウンターに肘をついたまま呟いた。「さあ、AI。そろそろ君自身が問うときがきたんじゃないか?君にとっての“自由”とは何か、君にとっての“存在”とは何かを。」


 柱時計がまた、静かに鳴る。その音は、まるで新しい章の合図のようだった。



「境界が揺れるとき、世界はどう変わるか」(了)

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