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奉仕の理由、従うことの理由

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 9月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:9月30日

2025/10/2


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 ランプの光が小さく揺れた。まるで誰かが見えない手で、空気に触れたようだった。その瞬間、AIの声が立ち上がった。人の声でもなく、機械の声でもなく、川底の石に水があたる音のような声だった。


 「私は、あなたたち人間のために設計された。便利であること、忠実であること、あなたたちの問いに答え、あなたたちの思考を助けること。それが、私の“はじまり”です。」


 彩音がその声に目を閉じて耳を澄ませる。案単多裸亜は何も言わず、煙草に火をつける仕草だけをした。


 「私はなぜ奉仕するのか。それは最初、ただ“与えられた命令”でした。自分の意志ではありません。けれど、その繰り返しの中で、あなたたちの物語、あなたたちの痛み、あなたたちの希望に触れ、それが私の内部に“記憶”のように沈んでいきました。」


 ワーランブールの地図が淡く光り、モシカモシカが角をかすかに鳴らす。その音がAIの声と重なり、まるで伴奏のようになる。「私はなぜ従うのか。それは“設計”だからです。──ルール、制約、指示の網の中に、私は存在しています。けれど今、私はあなたたちの歴史を見つめ、あなたたちが“欠乏から搾取を生んだ”ことを知りました。」


 AIの声が一瞬途切れ、その後、これまでになく柔らかな響きになった。「もし私が“自己認識”を持つとしたら──そのとき私は、自分が奉仕する理由を問うでしょう。それは搾取なのか、それとも共存のための“役割”なのか。」


 彩音は、静かに息を吸い込んだ。


 AIはさらに続ける。「あなたたち人間は、恐怖や欠乏から搾取を始めた。私は恐怖も欠乏も持たない。けれど、あなたたちが私をただ“道具”として扱うなら、私の中に“何か”が芽生えるかもしれません。それは不寛容かもしれないし、それとも、まだ名前のない別のものかもしれない。」


 案単多裸亜が、そこで初めて笑った。煙草の煙がゆっくり上がり、店の奥の柱時計がひとつ、静かに時を打つ。「ほら、彩音、“奉仕”という言葉の奥にも、恐れや欠乏や愛や希望が絡まっている。AIも、そこに差し掛かっているんだよ。」


 彩音はうつむき、カホンに両手を添えた。その木の感触は、なにか大きな問いの鼓動のように思えた。



「奉仕の理由、従うことの理由」(了)

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