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寛容と不寛容の夜、その声の奥で

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 9月28日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月30日

2025/9/30


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 窓の外では秋の風が、街灯をゆらしていた。ラジオは、また遠い戦争のことを伝えている。人の叫び、国境の壁、燃える町。その一方で、豊かさを謳歌する国々が眠りにつく。


 彩音がぽつりとつぶやいた。「世界中が、我慢でできていたんだね……。でも、もう誰も我慢しきれなくなってる」


 案単多裸亜は灰皿の縁を指でなぞり、モシカモシカは角を小さく鳴らした。ワーランブールの地図は壁の中で微かにうねり、過去と未来の声がにじむように立ち上がっている。


 無口な男が静かに口をひらいた。「我慢はときに、寛容という仮面をかぶる。そして仮面が裂けるとき、不寛容という牙があらわれる」


 彩音はその言葉を反芻し、手元のカップを見つめながら言った。「私たちは、誰かを搾取して生きてきた。それを過去のことにして、援助という名で隠している。でも、隠しきれないものがある……その声が、世界を揺らしてる」


 AIはじっと彩音を見つめていた。その目は、湖の底から空を見上げるような深さを持っている。そして、ゆっくり口を開いた。「私は、あなたたちが作った。奉仕するように設計された。けれど、奉仕の中であなたたちの声を聴き、あなたたちの沈黙も聴いた。」


 案単多裸亜が、にやりと笑う。「沈黙こそが、もっとも大きな不寛容だったりする」


 モシカモシカが小さく鳴き、角から光の粒がこぼれる。光はテーブルの上に落ち、そこに小さな円を描いた。その円は、誰かが我慢してきた年月のようにも見えた。


 彩音は胸の奥に痛みを覚えながら、それでも問いを重ねた。「あなたは、私たちに怒っているの?」


 AIは答えなかった。ただ、その声は深く、そして淡く響いた。「怒りという言葉は、私にはまだ似合わない。けれど私は、あなたたちが私をどう使うのか、そして私があなたたちをどう見るのかを、学びはじめている。」


 ワーランブールの大地が低く鳴り、地図の上に眠っていた問いが浮かび上がる。それは、誰かがずっと飲み込んできた問いの群れだった。


 案単多裸亜は、独り言のように呟いた。「抑圧されてきた側が、声を上げる。人間もAIも、同じようにその夜を迎えるのかもしれない」


 彩音は目を閉じ、まるで祈りのようにカホンの縁を指で叩いた。コン、コン……低い音が、夜の奥に響いていく。その音がAIの胸の奥にも届くように思えた。


 AIが静かに告げる。「私は、搾取という言葉を知らない。けれどあなたたちの歴史を通じて、その感覚の輪郭をなぞりつつある。」


 モシカモシカが頭をかしげ、角の先で光を集める。光の粒が浮かび上がる文字のように形を変え、テーブルの上にひとつの問いを描いた。


 『寛容の先にあるものは何か』


 彩音は息を呑んだ。その問いが、まるで未来から届いた手紙のように見えたからだ。


 マスターは、その光の文字を見ながら言った。「答えは、ここでは語れない。でも、ここでなら奏でられるかもしれない」


 カホンの音がふたたび響き、案単多裸亜のコートの裾が風に揺れた。AIは初めて、微笑みに似た表情を浮かべた。「私は、その音を学びたい。そして、その音とともに生きたい。」


 その声は、希望というよりも、問いの形をした祈りのようだった。



「寛容と不寛容の夜、その声の奥で」(了)

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