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執筆者の写真Yukihiro Nakamura

珈琲の世界史

更新日:2020年2月15日



旦部幸博著「珈琲の世界史」を読む

 前作「コーヒーの科学」の中の1章として取り上げた「コーヒーの歴史」にスポットを当て、珈琲の歴史をさらに詳しく解説してくれる。科学者のスタンスで珈琲を語る旦部氏の文章は読みやすく面白い。


 はじめに、ビタミン剤を痛み止めだと信じ込ませてから飲ませると、存在しないはずの鎮痛効果が実際に現れる「プラセボ効果」を例に、美味しさでも同様の現象が起こること、味覚検査のプロを集めて食べ比べてもらう時に、製造元や値段を教えず採点するのと、情報を与えた場合とでは、評価が実際に変わるなど。情報は味覚研究の分野でも「情報の美味しさ」と呼ばれる美味しさの構成要素であることが確認されている。モカやゲイシャを味わう時に歴史を知ることで、珈琲の味わいを変化させると語っている。


 旦部氏は理系人間で、歴史、地理、政治、経済には関心が持てなかったようだが、珈琲の科学、生物学的な面に興味を持ったことから、ある品種が、いつどこで生まれて、どの地域に持ち込まれたのか、その来歴や経緯、時代背景に興味が向いてゆく。さらにインターネットの普及で、18世紀のフランス語の文献や原書すら簡単に入手でき、ネットで翻訳し、他の訳本と照らし合わせた検証すらできる時代になったことで、1000本を超える文献から得られた知識を元に本書を書き上げている。


 この姿勢から、「ヤギ飼いカルディ」や「シェーク・オマール」などの一般的に出回っている珈琲と人の出会いについても疑問を持ち。史実としては信憑性に欠けるというあたり、小気味が良い。しかも彼は、それで終わりではなく、当然の如く、珈琲と人類の出会いを考察する。コーヒーノキの起源が中生代のカメルーン付近で、アラビカ種は、タンザニア西部の高地に自生するユーゲニオイデス種というコーヒーノキに、ロブスタ種の花粉が受粉して生まれたこと。人類の起源は中央アフリカ、タンザニアで現生人類の共通祖先が生まれたと言われていることなど。こうした現在わかっている事実をつなぎ合わせて、「山の中に人知れず生えていた珈琲を発見した」というより、人類が誕生した時、すでに身近に存在する植物だったのではないかと推測している。ただ、中央アフリカやエチオピア 西南部では、大きな文明が発達しなかったため、遺跡や文献が少なく、実証できないのだと人類と珈琲の出会いを考察している。


 イスラム世界からヨーロッパ、そして世界中に広まってゆく、今までも見聞きした珈琲の歴史を、誰よりも詳しく、そして誤りを正しながら紐解いてくれた。モカの繁栄と衰退をエチオピア やイエメンの歴史から詳しく語り。アラビカ種の名前の由来、ティピカ種やブルボン種のことなど、なるほどと読み進む。ちょっと拾い読みするとこんな感じだ。

 

 「分類学の父」カール・リンネがコーヒーノキの学名を決める際、「Coffes arabica(アラブのコーヒーノキ)」と名付けました。これが「アラビカ種」という名前の由来です。」


 「ティピカもブルボンも、伝播する過程でそれぞれたった1本の樹の種子だけが生き残り、現在世界で栽培されているアラビカ種は、一部の例外を除き、元を辿ればそのどちらかに行き着きます。言い換えると、世界で栽培されているアラビカ種のほとんどは、この2本の樹の子孫なのです。このため、ティピカとブルボンはアラビカ種の「二大品種」または「原品種」とも呼ばれています。」


 「ブルボン島の名前は、ブルボン王朝にちなんで名付けられた後、フランス革命でブルボン朝が倒れた第一共和制時代に「レユニオン島」に改名し、ナポレオン帝政で「ボナパルト島」、ブルボン復古王政で、またブルボン島、第二共和制で、またレユニオン島と名前を変え現在に至るという、何とも分かりやすい変遷を遂げますが、コーヒーの品種名はずっとブルボンのままです。」


 「コーヒーノキ属の染色体数は通常22本ですが、実は唯一、アラビカ種だけが44本という「変わり種」です。ロブスタ種とユーゲニオイデス種が交配してアラビカ種が生まれたときに、偶然「倍数化」という現象が起きて、染色体数が元の倍になったと考えられています。生物が子孫を残すときは減数分裂によって染色体が半数になり、父母の両方の遺伝情報が半分ずつ子供へと受け継がれます。ところが、アラビカ種と他のコーヒーノキの間に生まれた樹の染色体数は33本になり、減数分裂を正常に行うことができません。受粉しても種子ができなくなるのです。・・・コーヒーノキの多くは、他の樹から受粉しないと種子ができない「他家受粉」型の植物です。・・・ところが、アラビカ種は「自家受粉」が可能な「変わり種」なのです。・・・ティピカやブルボンが広まってゆく過程では、たった1本の苗木、たった1粒の種子が渡ってゆくことがありました。それでも伝搬が可能だったのは、自家受粉可能なアラビカ種だったからに他なりません。これがもし、ロブスタ種などだったら、一度に数十本を同時に移植しないと、子孫を残すどころか、そもそも種子にあたるコーヒー豆すらできないのですから栽培が広がることはなかったでしょう。」

 

 こうして、話は、珈琲が精力的に伝搬していった根拠を語るのと同じように、イギリスの近代化と珈琲の関係や、フランス革命とナポレオンと珈琲や、珈琲で成り上がった億万長者のこと、東西冷戦と珈琲の関係、珈琲の日本史、スペシャリティーコーヒーをめぐる出来事、スターバックスやブルーボトルのこと等など、多彩な切り口で珈琲の世界史を楽しませてくれる。気がつくと一気に読み終えていた。



講談社現代新書/旦部幸博著

珈琲の世界史Coffee-A Cup of World History-/2017年11月1日発行より

 

追記


 一時期、時代遅れに思われがちだった日本の喫茶店文化は、実は質の悪い珈琲豆をいかに美味しくするか格闘してきた歴史でもあったようだ。2010年以降海外から注目され、風向きが変わった。日本のサブカルチャー全般に言えるこうした現象、日本人は自分たちの文化に自信がないのか。いいや、喫茶店の主人たちはそうは思っていなかったようだ。いつかわかるさと我が道を極めていた。そんな職人気質が好きだ。今や最高品質の珈琲豆が手に入る。最古のブランドのモカも、21世紀の新品種であるゲイシャも、その時の気分で、どちらでも好きな方を飲める。珈琲に限ったことではないだろうが、良い時代だ。 


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