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執筆者の写真Napple

宮崎駿

 宮崎駿の文章に「一人の人間に構築できる世界なんてたかが知れているよ・・・」というのがあった。宮崎駿の世界は好きだし純粋な感じだけど彼自身はかなりの偏屈者らしい。

 宮崎駿の毒(狂気)について:彼の作品は爽やかで感動的である、そう上辺だけを見ればそのとおり。しかし彼の作品は人殺しが何とも簡単に行なわれる、それも少女が人を殺してさえ必然性を感じさせてしまうくらいの爽やかさだ。今まで僕は気がつかなかった、彼のインタヴュ−を読むまでは。彼のインタヴュ−で彼はとんでもない毒気を持った人間像を僕の前に示した。しかし彼の作品からはその毒気は臭ってこない。大抵がすばらしい感動・共感を与えてくれる、あの毒気を持った宮崎がいかにしてその毒気を感じさせないで我々に感動を与えてくれるのだろうか。何処に彼の狂気は隠されているのだろう。

 久しぶりに「風の谷のナウシカ(全7巻)」を読む。神秘な、神々しいまでのナウシカの姿が、1ペ−ジ事に悲しい、胸をしめあげて来る。最後の最後が物足りないけれども善くできた物語だった。宮崎駿の毒気は最終巻の7巻目にようやく発揮されてくる。今までナウシカが身体で感じてきた腐海の成り立ちは、地球を汚染してしまった先人達によって作られた生態系であること、さらにはその毒のある生態系に人類すら改良が加えられていたというショッキングな結末。結局彼らは清浄の地には住めないという逆説的な結果になる。欲と野望に満ちこの世の生成の謎を説くことを目的とした幾多の無残な戦闘はいったい何だったのか。細々と腐海のほとりに生きてきた辺境の氏族達の営みは何だったのか。「青き衣をまとい金色の野に降り立ち、蒼き清浄の地に導く」という伝承は何だったのか。すべてが虚しく悲しく思えてくる結末。最後まで読み通すと残酷な結果が待っていた事に気付き寂しくなる。しかし全編に流れる、勇敢で癒しの心を持った出来事の数々には幾度も胸を締め上げられ感動があった。閃光と虫笛だけでオ−ムを静めるシ−ン、テトと打ち解けるシ−ン、オ−ムの暴走を静めるシ−ン、しょう気を吸った兵隊を助けるシ−ン、単騎でドルクの兵をけ散らすシ−ン、敵だった皇帝を昇天させてしまうシ−ン、そしてユパの壮絶な最後など、涙無くしては読めない。常に彼女の行動は献身的で捨て身だ、それを見ていた周りの人々が「この人はただ物ではない」と語るあたりがうまく、ナウシカの魅力を倍増している。またかつて栄えた巨大産業文明が火の7日間で滅ぼされ、地上は有毒の障気を発する巨大菌類の森・腐海に覆われていたという状況設定・辺境諸属の風俗描写・ガンシップ・鳥馬・巨神兵の存在なども見事だ。腐海の描写や、各飛行艇のスタイルも独特なものがある。良く一人の力で異境の世界をここまで構築したと感心する。宮崎駿の世界はいつもドラマッチックでスリルングだ。映画の世界は簡潔でテ−マもストレ−トだ、でもコミックの「風の谷のナウシカ」のテ−マは意味深長で奥深い。単なる文明批判でもなければ、反戦物でもない。人間愛だろうか、何だろう。神話的趣がある。そして小説では味わえない映像美がある。




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