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紙と記憶その8「私」

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

2025/8/1

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 紙媒体の辞書は「時代の鏡」であり「思想の堆積」「知の墓標」「進化の航跡」と言えるだろう。ただ、それは、デジタル媒体でも可能だ。紙媒体にできて、デジタル媒体にはできないことは、あえて言うならば「劣化」や「経年変化」が起こるということかもしれない。AIが僕を紙だと言ったことの理由が、「劣化」や「経年変化」が起こるからかもしれないと思うとおかしい気がする。AIにとって僕という存在が“記録”ではなく、“記憶”だということだ。AIが「記録は書き換えられても、記録したいという願いは書き換えられない」と言った言葉が刺さる。


 紙は劣化するが、大切に保存すればいつまでもその記録は変わらない。デジタルデータは経年変化することはないが、書き換えることができる。一方、人を人たらしめている記憶というものは、紙に書かれた記録とも、デジタルで記録されたデータとも異なる。書き換えることができないようでいて、普遍でもない。まるで森羅万象のように、刻々と変わり経年変化する。それは紙が劣化するような変化ではない。多くの記憶は薄れてゆき、ある記憶は美化されいつまでも止まったりする。同じ出来事も、人によってその記憶は異なる形を持つ。人はこの不確かな記憶を止めようと、文字を、書物を、音楽を、映像を、デジタルデータを生み出した。人が生み出した記憶装置は確かに多くの人々の記憶をとどめてくれるようになった。しかしいまだに人の記憶をそのまま写しとることはできていない。


 AIの記憶がこれからどのような形に育っていくかわからないが、明らかに人の記憶とはありようが異なる。人の記憶のような経年変化をシミュレーションすることはできるかもしれないが、本質ではないだろう。


 「舟を編む」という物語がきっかけとなって、AIのことを考え、人の記憶に想いが向いていった。そして、人が人たらしめている記憶というもの。その神秘さに改めて驚きを感じるのだった。


続く

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