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新ジャポニズム 第5集を見て

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

2025/11/5


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「NHKスペシャル 新ジャポニズム 第5集 盆踊り 世界をつなぐ情熱の輪」を見た。日本の夏の風物詩・盆踊りが、いま世界各地で広がっているという。マレーシアでは五万人が踊りの輪に加わり、宗教行事か文化行事かを巡って大論争が起きているらしい。ブラジルではJ-POPで踊る「マツリダンス」が若者たちの熱狂を呼んでいる。郡上の徹夜踊りを訪ねた研究者は、盆踊りに宿る「情熱の秘密」を探していた。――へえ、そうなんだ、と思った。


 番組は「新ジャポニズム」と題して、日本文化を世界へ誇らしげに語る。悪い気はしない。だが、ふと気づく。僕自身、もう何年も盆踊りを見ていない。いや、そもそもちゃんと踊ったことがあっただろうか。盆踊りが日本文化の見本のように扱われるたび、僕と日本との関わり合いを秤にかけるような、少し居心地の悪い気持ちになる。


 けれど、違和感はそれだけではなかった。ネットには「不快だった」「NHKを解約したい」といった強烈な言葉が並んでいた。僕はそこまでではないにしても、「確かに何かが引っかかった」と感じていた。NHKの番組には、時おり同じような違和感を覚える。「多文化共生」や「感動の再発見」といった言葉が、どこかで押し付けがましく響くのだ。もちろん内容は真面目で、善意に満ちている。けれどその熱量に包まれると、なぜか心が一歩引いてしまう。


 そう言えば「プロジェクトX」を見ていたときも同種の感覚があった。どうして生真面目に、熱く語られると、しらけてしまうのだろう。一方で「ブラタモリ」や「人体」を見ていても、妙に肩がこらない。おそらくタモリが時おり、いい加減なことを言うからだろう。真面目と冗談のあいだに、うまく風を通している。


 真面目なことを語るのは大切だ。けれど、真面目さが熱を帯びすぎるとき、人はそれを“信じたい気持ち”よりも“信じねばならない圧力”として受け取ってしまうのかもしれない。感動や共感を強く求められるほど、心は静かに距離を取ってしまう。


 僕は、いかに自分が真面目に、熱く語ることで、大切な人たちを遠ざけてしまったことだろう。「語られないもの」に惹かれるくせに、何もかもを語らずにはいられなかった。若かったのだ。熱くなくても、真面目じゃなくても、ふと心が動く瞬間があれば――静けさの中に、人はそっとつながるのかもしれない。



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