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紙と記憶その7「舟を編む」

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

2025/7/31

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「舟を編む」第6話で語られた「紙の書物」のあり方から、AIの「記憶」に思考が飛んでいた1週間だった。そして新たな思いで向き合った第7話。


 初っ端から社長がこんなことを言う。


 「ご老人にデジタルの雑誌は無理?侮辱でしょう。それは、むしろご老人にこそデジタルだよ。文字を拡大できるし、明かりも調整できる、読み上げ機能も使えるし、軽いし、場所も取らないし、無理に本屋に行かなくてもその場で読みたい本が買える。馴染みがない、難しいとアナログに閉じ込めていたら、一生それを享受できないんだよご老人は。時代はね、奪うだけじゃない、それ以上のものを並べてくれる。受け取れるかどうかはこちら次第。」


 またしても正論。一方辞書編纂チームはこんな話をしていた。


 「セレンディピティというのは、思いがけない幸運を発見すること、または、その力。何かを探していた時偶然別の価値あるものを見つける。」


 「辞書を引かずに、読んで言葉と出会う。調べたい言葉があって引いたとしても、どうしても他の言葉が目に入って自然と出合いの機会になる。」


 これは紙の辞書だから出来ることで、デジタルで、できないわけではないが、需要が費用対効果に見合わない。そもそも「辞書を引くと言う作業を、検索機能を使ってより簡単に行えることが、デジタルの大きな利点」だと彼らも思っている。


その上で


 「再定義が必要なんだよ、辞書そのものの。わからない言葉を調べるだけのものじゃないって。そこに意義を見出せないと、どうしてもデジタルに軍配が上がる。」


さらに紙担当者が言う


 目指しましょう「用がなくても触ってめくって眺めたくなる紙。」


先輩がこんなことも言う


 「挫折が本当の夢の始まり。」


 今回もよかった。とにかく会話が一字一句聞き逃せない。剥離紙のエピソードなんか落涙もの。世界が終わる日の会話も面白い。


 でも、最近紙の辞書を引かない私。辞書を引く光景を見て満足してしまって。結局調べるときはキーボードを叩いている。「わからない言葉を調べるだけのものじゃない」と言うことが紙の辞書の特性と言えるか。紙の辞書を作る技術を継承するためだけでは、会社としても紙の辞書にゴーは出せないかもしれない。


 「デジタルは紙の上位互換ではないしその逆でもない。」実は似て非なるものかもしれない。そして、物語は辞書編纂へ皆意気込んで終わるけれど、今回も結論は出ない。


 これはつまり、「手に取ることはないけれど、そこにあってほしいもの」――文化の保存とは、使う人が多いかではなく、そこにあるだけで支えになる何か、かもしれない。


 辞書は誰のためにあるのか。言葉は誰のためにあるのか。紙とデジタルは、本当に敵対するものなのか。それとも、それぞれが人間の異なる感性を支えるためにあるのか。


 第7話、問いは増えたが、それこそがこの物語の真骨頂なのだろう。


続く

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