top of page

壊れてなお

執筆者の写真: NappleNapple

2025/2/27



 暮らしの中には、いつの間にか増えていく道具がある。お気に入りのものばかりだ。私は道具が好きで、いや、好きというより、それなしでは暮らせぬ性分なのだろう。何かを始めるために道具を揃えるのではなく、道具が先にあり、それを手にしたことがきっかけで何かが始まる。


 そうして使い込むうちに、手に馴染むものもあれば、どうにも肌に合わぬものもある。それでも構わない。道具というのは、ただ実用のためにあるのではなく、そこに触れることそのものが大切なのだから。


 長く使ってきた道具が壊れると、しばらくはどうにも手がつかない。ただ眺めたり、ぼんやりしたりするうちに、惜しいような、残念なような、何とも言えない気持ちがこみ上げてくる。しかし、そうしているうちに、さてどうしたものかと考え始める。


 直すべきか、新しくするべきか。思案しているうちに、気がつけば以前と変わらぬ環境が整っていたり、あるいは少しばかり良いものに変わっていたりする。これを機に手放すこともあるかもしれない。そうして、またいつもの日々が続いていく。


 こんなことがあった。スマートホームというものを試してみようと思った。照明をiPhoneで操作できるようにしたら、さぞ便利だろう。けれど、そのためにはルーターを買い替えなければならなかった。今使っているものは古く、セキュリティにも不安があったが、Apple製でバックアップ機能もついていたから、長らく手放せずにいた。いつの間にかバックアップは機能しなくなったが、それでもWi-Fiが繋がるうちはと、そのままにしていた。


 それが、ある日とうとうWi-Fiまで繋がらなくなった。仕方がないから、新しいルーターを手に入れることにした。切り替えには二ヶ月ほどかかったが、その間の不便さを思えば、もう少し早く決断してもよかったのかもしれない。結局、新しいルーターにしてみると、セキュリティも向上し、スマートホーム化もすんなり進んだ。


 道具に限らず、こういうことは案外どこにでもあるものだ。人との関係や、日々の習慣にも、似たようなことが言えるのかもしれない。壊れるというのは、たしかに厄介だし、少しばかり痛みを伴う。けれど、壊れたからこそ訪れる変化もあるし、壊れなければ踏み出せない一歩もある。


 そう思えば、壊れることをそれほど恐れることもないのかもしれない。それは、もしかすると、新しい何かが始まる合図なのだから。



 

あとがき


 これは、先輩との何気ない会話から生まれた駄文である。初めは「量子」の話をしていたはずが、いつの間にか「道具」のことになり、さらには「壊れる」ことについて語っていた。そんなふうに取り留めもなく話しているうちに、ふと、常々思っていたことが形を持ちはじめた。


 
 
 

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page