2024/12/18
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物心がついた頃には、我が家にはすでにテレビがあった。叔父が作ったテレビで、よく壊れては叔父が修理に来たという。そのたびに母は食事の支度や雑事に追われ、忙しかったと語っていた。カラーテレビの導入も比較的早かったと思う。そのため、子供時代はテレビと共に過ごした。
しかし、大学生になって下宿を始めると、テレビのない生活が始まった。気がつけば、社会人になってもテレビはなかった。ようやくテレビを見るようになったのは結婚してからのことだ。
下宿時代には、先輩からもらった白黒テレビや、応募して当たったSONYの「ウォッチマン」があった。Apple IIやMacintoshが登場すると、モニター画面が部屋に居座るようになり、SONYのプロフィール・モニターとレーザーディスクを導入した頃には、見た目だけは「テレビがある」状態だった。だが、テレビは見なかったため、NHKの聴取料の集金人を軽くからかうこともできた。レーザーディスクは手に入れたものの、ビデオデッキには長い間手を出さなかった。
ある時期、有線放送に加入したこともあった。音だけで楽しんでいたが、やがてゲームがやりたくなり、SONYのプレイステーションを手に入れた。『鬼武者』や『ファイナルファンタジーX』に熱中し、プレイステーションのおかげでDVDも観るようになった。
時代はさらに進み、テレビがないままでもスカパーに加入し、ビデオレコーダーを活用するようになった。巷のドラマは相変わらず見なかったが、日本映画チャンネルやスターチャンネル、アニマックス、チャンネルNECOといった専門チャンネルで、昔のドラマや映画を堪能した。レンタル店にも通い、映像ライブラリは広がった。しかし、レーザーディスクもモニターも寿命を迎えつつあった。
結婚後もしばらくはテレビのない生活が続いていた。だが、地上波デジタル放送が始まり、モニターも壊れてしまったのを機に、ついに46インチのハイビジョン液晶テレビとブルーレイレコーダーを導入することになった。録画は劇的に楽になり、CMを抜いてディスクに焼く作業に熱中した。最終的に焼いたディスクは1000枚を超えた。
それもやがて終わりを迎える。サブスクの登場で録画をディスクに落とし込むこともなくなり、世の中は4K、8Kの大型画面時代へと移っていた。そして46インチのテレビも壊れ、我が家にも4Kの75インチテレビがやってきた。目を見張る美しい画質。
テレビのなかった時代、なくてもどうということはなかった。だが、一度あったものが失われると、途端に寂しさが募る。結局、私は元々テレビっ子だったのだ。
一人暮らしを始めた頃、テレビを持たなかったことで、マスコミの過剰な情報から距離を置き、多感な青年時代を過ごせた気がする。そして、再びテレビを享受し、ドラマや映画を楽しんでいる。今は、ニュースからは目が離せなくなった。
情報の流れは新聞・テレビという媒体から、ネットやSNSへと移りつつある。その変化を最も感じているのは、他ならぬマスコミ自身なのだろう。その言葉が、興味深い。
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