2023/2/10
荒巻義雄との出会いは「時の葦舟」だった。
「時の葦舟」を最初に読んだ記録が見当たらない。初版(1979年2月15日発行)を手にしていることから、大学3年の春頃、山行きの車中で読もうと本屋を覗き、タイトルに惹かれて手にしたのではなかったかと思う。数年後に読み返し、その後概ね10年後に読み直し、次は30年後の最近と、都合4回読み直している。幾度も読み返した本は数えるほどしかなく、よほど気にいったということだ。
初回 1979/春頃
2回目 1981/10/14
3回目 1993/7/6
4回目 2023/2/8
お気にいりの本書だが、何度読んでもすぐにどんな物語だったか忘れてしまい、幻想的なイメージが残るばかり。
「時の葦舟」は4つの物語でできている。
白い環
性炎樹の花咲くとき
石機械
時の葦舟
日記に綴られた本書に関する記録は少ない。
1993/7/6
荒巻義雄「時の葦舟」を読み、幻想と現実のはざまで漂い、僕の中の幻想と現実を表現したいと思う。
太宰 治「佐渡」を読み、心象風景の押し売りもまた面白いと思い。
太宰 治「トカトントン」を読み、情熱につき動かされるままに動いたあとの虚しさ、突如として訪れる虚無、どうしようもない自分のこの癖のような生き様をどう受け取ったものかと思う。
ゲ−テ「若きウエルテルの悩み」を読み、こんなふうに思ったままを綴ることができたらどんなにかすばらしいだろうと思い。自分にもこのような思いがあることに気付き、それを書き残したいと思うのだ。
「時の葦舟」に触発されて四冊も読んでいるが感想はたった一行。これではどんな物語だったのかわからない。本書の解説を見ると、作者による「時の葦舟」の4つの物語に登場する人物の相関関係が示されている。
夢の構図
白い環 性炎樹の花咲くとき 石機械 時の葦舟
オルジー <ーーーーーーーーーーー> アジタ
エローズ <ーーーー> アフロデ
マニヤ <ーーーーーーーーーーー> ボーディ
アガ <ーーーー> 士官
時の旅人 王宮の出入り商人 東方の商人 アルハット
ゴルドバ <ーーーーーーーー> K
クリストファネス <ーーーー> セミラミス クリストファネス
セピア <ーーーーーーーー> 白髪の僧
これは物語を思い出す有力な情報だが、登場人物の名前を見ても、相関を見ても、物語を思い出せない。
何度も読み返しているのに、全く内容を思い出せず、それでいて、気になって仕方ないかから、もう一度読み返して、内容と感想を書き残すことにした。以下ネタバレである。しかし読んだことのない人が読んでもなんのことかわからないかもしれない。
2023/2/8 白い環:全てを写す鏡の街
巨大内海に流れ込む河が作った谷間の町ソルティは対岸が鏡になった不思議な街だ。水汲みを生業にしていたゴルドバは水汲みに満足できず狩人になる。占い師セビアと知り合い時の旅人の話を聞く。かつて賢者は「たとえ知ったところで、なんの意味があろう。真実とはそういう物だ。真実とは隠されているものなのだ。お前の足元に真相がある。時がくれば、一切が判明するだろう。が、その時お前たちは滅びるのだ。」と言った。ある日、憧れていた女性クリストファネスから呼び出され、白い環に行き蓮華船に書状を届けて欲しいと頼まれた。ゴルドバは白い環へ向かう。そこでもう一人の自分に出会い殺し合う。世界は一変しソルティアがあった谷は海に呑まれ、クリストファネスもセビアも町の住人も消えてしまう。
感想:ゴルドバとともに街が消えるとは、そもそもゴルドバの存在はなんだったのだ。対岸が鏡で街全体が映し出されるという不思議な街を諸星大二郎が描くとどんなだろう。
2023/2/9 性炎樹の花咲くとき:官能の匂いの街
緑色の浅い海に浮かぶ水蓮のような街エロータス。性炎樹と陰臭虫が放つ媚薬的なワギュームが漂いオムニガミイの祭りが始まる。エロータスは時の向こう側からやってきたこの世のものならぬ者が造った浮遊する自動都市。エロータスの真相を知ったアガは「世界の秘密」を「心の中の闇の世界に閉じ込められている何か。蓋をされ、厳重に封をされているもの・・・。忘却という、幾重もの箱で閉じ込めてあるそれらのもの」と言う。己れ個人を全体の中に埋没させ平等の愛を実現する事こそ、性の饗宴オムニガミイの祭だった。この呪縛から逃れたマニヤとオルジーは希望に胸を膨らませ白い壁を目指して船を出す。
感想:愛し合う若者の旅立ち。官能的な本能を刺激され、蕩けたこの気持ちをどこへ持っていったらいいのだろう。
2023/2/9 石機械:時の粉の街
石鐘楼の砂時計がある隠れ在る石の都アルセロナ。地上から切り出された石が、引き割られ、磨き上げられたりする時間のかかる緩やかな過程で出てくる石の粉の感じが時の表徴と似ている。存在の秘義を犯した者のみに科せられる最高刑“沈黙の刑”にかけられたK。おれは、“世界”の持つ秘密の何を垣間見たのか。何を盗んだのか。そして石機械が空を飛ぶ時、時は反転し、幻の花の、岩陰でひっそりと嘆き匂うていたようなアルセロナの街は消え失せる。
感想:町の風景が腑に落ちると、空気が粉っぽく感じられ、時間が粉であるような感覚に襲われる。時はすり減るものという感覚に共感。まさに石機械の発掘シーンこそ諸星大次郎の絵で見たことがある既視感がぬぐえない。異世界にどんどん引き込まれ、白い環が消滅したことが語られるなど、世界の秘密が解き明かされる予感が膨らみ、突如として話が見えなくなる。
2023/2/9 時の葦舟:壁画の街
アカニシュタの樹という世界樹のある神話的、世界の外れの街。素朴な疑問を忘れてしまうことが、大人になった証拠であるように、自分を取り巻いているさまざまな事柄を、疑いもせず当然として受け入れる人々。大人になりかけのボーディは、子供だけが持っている直感が嗅ぎつけることのできる”世界”の秘密が喉元まで出ているのにつかえて出てこない。ボーディは夢の中で”蓮華の街”を訪れる。そこでアガに出会い「お前はきっと時空を超えて漂い流れる夢の船”時の葦舟”に乗ってこの街に流れ着いたに違いない」と言われる。ボーディとアジタが見つめる4つの壁画に、白い環・性炎樹の花咲くとき・石機械で語られた世界が描かれ、世界樹の街も描かれている。二人がこれは何を意味するのだろうと物語を追体験してゆく。マニヤとオルジーがめざした白い壁は世界樹のある村だったこともわかってくるのだが。村人が寝静まると・・・全てが消えてしまった。
感想:第5の壁画も現れ、物語は繋がるかに見えたのだが・・・これは現実か誰かの夢かという言葉が飛び交い、ああー、分かりかけていたのに、全て消えてしまった。
考察
物語は不思議な世界を見せてくれる。でもそこで持ち上がった謎の答えはなく、有耶無耶に終わる。だからしばらくすると物語の中身を忘れてしまって、得体の知れない感情だけが残る。それは理性ではどうしようもない本能的で官能的なものだ。村上春樹を読み終えた時も似た感じがあった。とても共感したのに、何か足りない満たされない思い。
読んでいるときに何か気づいた気がする。そうだ、たくさんの気づきがあった。でも読み終わるとその気づきはどこかへ行ってしまう。そこにはとても大切なものがあったのだ、それこそ、この世の秘密、当たり前の中に隠されたカラクリを暴いたのだ。でも読み終えるとその知識が失われてしまう。
物語の章が変わるたびに冒頭をなん度も読み返してしまう。異世界の姿が思い描けないのだ。うん?どうなってるの?と。しばし読み返し、ついに飲み込めてくると、ふっと、その世界に入り込みずんずん読み進む。そして問題の箇所に差し掛かる。突然この世の秘密に関わることに触れるのだ。足踏みするうちに意識が遠のいてゆく。
恋焦がれる若者の苦悩。手の届かないところへ行ってしまう片割れ。あきらめの気持ち。でも諦めきれずに、取り戻しにゆく。愛がいつまでも続かないことを知って萎んでいた自分にも、かつてそう言った純粋な気持ちがあった記憶が蘇り、官能的な刺激と愛への渇望でやるせなくなる。
夢見るものが目覚める場所はどこか。夢の中に夢があるという思いつきがもたらす、夢の連続体。この世も夢かもしれないという認識。それがこの物語の構造で、不思議な出来事は実はなんでもいいのかもしれない。しかし記憶に残るのは、そうしたカラクリではなく、荒俣さんが創造した鏡に映る街、淫靡な街、石の街、世界樹の街だった。
読み終えて1日が経ち、すでに物語の全容は薄れ始めている。今回は忘れないように物語の概要と感想を書き残している。だから10年後に読みたくなった時、この記録を見ると読んだ気になって再読しないかもしれない。でも不思議な街を彷徨い歩きたいと切望した時は、きっとまた読み始めるに違いない。
かくして、この物語には、確かに「この世の秘密」が解き明かされている。残念なことは、読んでいる時はわかっていることが、読み終わると共に失われてしまうことだ。とても不思議なことだが、こうした技法というものが存在している。何度読んでも物語の中身を忘れてしまう物語。
何度読んでも忘れてしまう物語とは、実は中身がないということになりそうだが、どうしてもまた物語世界に彷徨いこみたいという思いが湧いてくる。何もないならそんな気持ちは湧かないだろう。ここにこそ「この世の秘密」「隠されたカラクリ」が潜んでいるのだが、それを言葉にすることができないことにジレンマする。
追記
山野浩一氏によると”「神聖代」はこの「時の葦舟」以上の存在への背徳の物語である。”という。また”作品の中に夢が扱われていたり、夢に近い結末がつけられているものには傑作が幾つもある。それはレムの「ソラリス」やディックの「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」”だと言う。「ソラリス」は本棚にあるが、内容を思い出せないところを見ると、「時の葦舟」のような手法で語られていたのかもしれない。「神聖代」「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」は気になっていた作品で読んでみたい。
以前から深く読み込みたいと思っていた「時の葦舟」。ようやくその望みは叶ったのだが、本書に関してはもう一つ望みがある「時の葦舟」世界を諸星大次郎的映像世界で見てみたいのである。この夢を叶える代案として、自分で描くことができないだろうか。そんな夢想に浸って今回は筆を置こう。
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