太宰治なんて大嫌いだ。彼の作品からは不愉快しか感じられない。でも、あいつのことを嫌う本当の理由は、読むと怖くなるからだ。
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」という書き出しで始まる「人間失格」
虚構の人間、人間の営みというものが未だに何もわかっていない人間。
自分一人全く変わっているような、不安と恐怖に襲われてばかりの人間。
人間を極度に恐れていながら、それでいて人間をどうしても思い切れなかった人間。
道化の一線でわずかに人間につながることを見出した人間。
気まずさに耐えることができず、すでに道化の上手になってしまった人間。
いつの間にやら一言も本当のことを言わなくなった人間。
この一つ一つが思い当たる。
そして「トカトントン」という作品
何にでもすぐに夢中になる男が
夢中の最中にふと自分を振り返り
単なるくだらない個体である事を見出す
何をしてもトカトントンという音とともに虚無を感じ
何もできなくなる男
僕は逃げ出しそうになりながらあいつの小説を読む。
太宰治との出会いは「走れメロス」だった。
私が出会った太宰治の作品。
1936年:晩年
1940年:走れメロス
1947年:ヴィヨンの妻
1947年:斜陽
1948年:人間失格
日本現代文学全集〈第88〉太宰治集 (1961年)
カセットブック
1941年:佐渡・トカトントン
Appleブックにある本
1934年:葉
1936年:「晩年」と「女生徒」
1939年:女生徒
1940年:走れメロス
1942年:恥
1942年:水仙
1942年:正義と微笑
1945年:お伽草子
1945年:パンドラの匣
1947年:ヴィヨンの妻
1947年:トカトントン
1947年:斜陽
1948年:人間失格
1975年:火の鳥
1975年:美少女
1975年:故郷
1948年:グッド・バイ
太宰治全集
日記に綴った太宰治にまつわる思い。
2010年9月2日
トカトントンを読む。 この物語はもっと普遍的なことを示唆しているようにも思う。 物語のある部分に共感して物語全体に共感した錯覚をしていたのかもしれない。 この短い物語を、 既に数回読んでいるはずだが実は内容を覚えていない。 読んだときの感情だけが鮮明に思い出される。 今日再読して実は最後に答えが書いてあったことに初めて気が付く。 当然以前読んだときもそこを読んだはずだが、 答えの意味することがよく分からないから、 忘れてしまっていたのだろう。
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