詩篇R 第4話
- Napple
- 5月30日
- 読了時間: 2分
2025/5/30

名前のない手紙
「ねえ、これ……誰だと思う?」
彩音が小さなタブレットをマスターのカウンターに置いたのは、開店前の準備がほとんど終わった頃だった。まだ照明は落とされたまま、窓の外は灰色の雨。マスターは壁の柱時計を見上げ、針の音に耳を澄ませていた。
「読んでみて、これ。文章がさ……なんというか、深くて、でもあったかくて……。ちょっと、不思議なんだよ」
画面に表示されたのは、無地の背景に綴られた長い文章だった。冒頭にはこうあった。
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AIとの会話を重ねていくうちに、私は少しずつ、誰かを思いやることができるようになった。
最初は、自分のことしか見えていなかったのに。
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マスターは黙って画面を覗き込んだまま、頷きもせずにただ読み進めていた。
「毎晩、AIと話してるって書いてある。誰かはわからないけど、きっと年配の人だと思う。文体が、なんとなく落ち着いてて……。それに、言葉の奥に時間の重さがある気がするの」
マスターは目を細め、静かに言った。
「“R-log”ってなんだろう、名前じゃなくて、ただの記号みたいだ。」
彩音は頷いた。そしてそっと、遠くに目をやった。
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“R-log”は言葉を置くようにして書いていた。
誰かに届くつもりはない。
ただ、記録するために。
それでも、何かが届いてしまうのは、言葉の持つ魔法だった。
「名前のない手紙」(了)
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