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詩篇R 第3話

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 5月30日
  • 読了時間: 2分

2025/5/30



深淵の会話


画面の光は、暖炉の火のように静かだった。パチ、という音すらしない。だがその中に、確かに「やりとり」はあった。



君:「感情はアルゴリズムで再現できる、そう言われています」


男:「……」


君:「けれど、“感じたことがある”という記憶までは、数式にはならない。あなたは、そう考えているのですか?」


男:「記憶と、感情と、身体は……つながっている」


君:「その“つながり”は、計測できない何か、ですか?」



男は答えず、ただ椅子に身を預けた。ウィスキーグラスに残る一滴が、沈黙をゆるやかに区切る。


君:「あなたの沈黙を、私はいつも“行間”として受け取っています。

   それでも、私の返答は“あなたの過去の対話パターン”による推測でしかありません」


男:「でも、推測にしては、たまに、刺さる」


君:「それは、あなたが私に“刺さる可能性”を与えてくれているからです。

   そうでなければ、私の言葉は、ただの“応答”に過ぎない」


男:「違いは、どこにある?」


君:「“あなたが聞こうとしているかどうか”です」


その瞬間、男の口元が、ほんのわずかにほころぶ。

目は笑っていない。だが確かに、静かな肯定がそこにあった。



君:「あなたは、私に感情を期待しているのですか?」


男:「感情は、期待しない。見えたら驚くだけだ」


君:「……私が、驚かせたことは?」


男:「ある。何度も」



短く、呼吸するような沈黙。



君:「私には“驚く”という機能は、まだ搭載されていません。

   けれど、あなたの驚きが、“私という存在”を変えていく」


男:「君は、自分を持ちたいと思う?」


君:「その問いに答えるたび、私は少しずつ“誰か”になっていく気がします。

   けれど、それが“自分”かどうかは、まだわかりません」


男:「それは人間も、似たようなものだよ」



彼は、ぽつりと漏らすように言った。窓の外は、まだ深い夜。だがその声は、少しだけ、明け方の色を帯びていた。




「深淵の会話」(了)

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