2023/12/1
小学生時代以前 1957-1969
最初に何を着たかわからない。きっと母の手作りだ。小さい頃の服は母が作ってくれた。着る物は親任せ。好みはまだ芽生えていない。唯一こだわったのは帽子だった。幼い時はベレー帽をかぶり。少し大きくなると野球帽をかぶった。今も買い物の時はアポロキャップ、ちょっとオシャレをする時はハンチング。
中学生時代 1969-1972
男子はみな坊主頭だった。髪型を気にする必要はなかったが、ちょっとだけ着るものが気になり始めた。ホワイトソックスとラッパズボンが流行った。記憶に残っているのは、リーガルのバスケットシューズ。つま先にアクセントがあり踵を折り返して履く。雰囲気が似たバスケットシューズが今もあるがつま先のアクセントがないのが残念。服よりも靴に意識が向いた理由を探ると我が思考の一端を見る思いがする。服は種類が多く好みの決め手が見つからなかった。その点靴は対象を絞りやすかった。自分なりに把握したと思ったものに没入していく。リーガルというブランドを知ったことで目指すべき対象もできた。一途に思い込むのは子供時代から変わらない。
高校時代 1972-1976
友人がメンズクラブを定期購読しはじめた。服の写真が載っているだけの雑誌なんて興味なかったけれど、気になる女の子ができた途端に学生服のズボンをパイプドステムにしたり、リーガルのスリップオンが欲しいと思う様になりメンズクラブを購入。実際に履いたのはハルタのスリップオンだった。かかとのつまみ具合が綺麗だと思ったからだが一番の理由は安かったからだった。代替え品には喜びがないことを実感する。以後本当に自分の気に入ったものを持ちたいと思うようになる。リバイバルで映画「卒業」を見る。ダスティンホフマンの着ていた服にこれだと思った。卒業祝いにVANのジャケットとスラックスとカメラマンコート、そしてリーガルのスリップオンを手に入れる。
大学時代 1976-1984
アイビーがトラッドをベースにしたアイビーリーグのファッションだと知り、自分が好きなのはトラディショナルなのだと理解する。VANに憧れたけれど1978年VANは倒産してしまった。その代わりにブルックスブラザーズとJプレスを知る。ブルックスブラザーズはまだお店がなかったがJプレスが手に入った。「ワードローブ」という言葉も覚えアルバイトをして計画的に、キャメルのコーデュロイジャケットや、シアサッカーのジャケット、コンビの革靴やデザートブーツとアイテムを揃えてゆく。トラッドはアンティークがよく似合う。骨董品を集め始めたのもこの頃だった。
社会人時代 1984-2013
社会人になり破談を経験。その反動でがむしゃらに仕事にのめり込み身なりに構わなくなっていく。やがて病気になり会社を辞め、会社を起こし、結婚して離婚した。そうした時代に着たのはユニクロだった。最初ユニクロは眼中になかった。しかし友人の「縫製がしっかりしていて長持ち。トラディショナルなデザインで何よりリーズナブル」と言う言葉に試しに着てみて良さを実感する。今までの価値観が変わり思い込みが崩壊していった。例えば骨董品や中古品は他人の思いが込こもっているように感じ始めた。そうしたものを手放した時家に滞っていたもやっとしたものが晴れたような気がした。残したものもあるけれど、改めて中古を買うことはなくなった。
隠居時代 2013-
爺さんになってブルックスブラザーズを着るようになるが、2020年ブルックスラザーズは倒産した。
幼い頃は黒い靴下だったが、少し大きくなると白いソックスにこだわった。女の子を意識しはじめると着るものが気になりトラッドに目覚める。大人になって着るものに無頓着な時代が訪れ、爺さんになりおしゃれをする気持ちが甦った。
日常はポロシャツにジーンズか作務衣を着て前掛けを腰に巻いている。青年期はよくオーバーオールを着ていた。着物は着なかったが、最近着てみたいと思う。
トラッドにハマったのは「卒業」を見たことだった。映画の影響は大きい。NIKEを履くようになったのも「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」を見てからだった。でも結局リーガルに戻った。
好みや価値観は時とともに変わってゆくが、多感な時期に受けた影響は変化しながらも案外変わらないのかもしれない。好きになるとどんどん好きになって突き進んでゆく。一つのことを好きでいる生き方が性に合っていた。それは変化や冒険を好まなかったと言うことかもしれないけれど・・・。
2023/12/5
1978年に倒産したVANは1980年株式会社ヴァンヂャケットとして再建され、東京をはじめ全国に店舗があるが残念ながら浜松にはない。
2020年に倒産したブルックス ブラザーズはアメリカ法人で、株式会社ブルックス ブラザーズ ジャパンは、1979年に設立され単独の法人として運営しているため日本国内のブルックス ブラザーズの店舗や、オンラインショップは営業を続けている。
2023/12/5
1975年 に登場したREGAL BASKETは日本におけるスニーカー時代の火付け役だったらしい。つま先のアクセントと踵の折り返し、カラフルなカラーコーディネートは今まで見たことのないデザインで。それまで「ズック」と呼ばれていた靴が「スニーカー」と呼ばれる様になった。つま先のアクセントは笑った様に見えることから「スマイル」と呼ばれ、1935年バトミントンのワールドチャンピオン「ジャック・パーセル」が関わって誕生したコンバースのスニーカーデザインが最初だった。2023年10月コンバースはジャック・パーセルを復活させた。年寄りには懐かしく、若者には新鮮だと思う。REGAL BASKETの次にリーガルは1976年2月REGAL TENNISを発売し最大のヒットシューズになる。