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村田沙耶香

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 2025年8月28日
  • 読了時間: 19分

更新日:4 日前

2025/8/28


村田沙耶香との出会いは「コンビニ人間」だった。



私が出会った村田沙耶香の作品。 


  1. 2016年:コンビニ人間

  2. 2025年:世界99



日記に綴られた村田沙耶香にまつわる思い。


2025/8/22


 「あの本、読みました?」は村田沙耶香さん特集だった。まだ読んだことのない作家だ。代表作は「コンビニ人間」。新作「世界99」は面白そう。


 彼女の言葉は気になる言葉ばかり

  • 「典型的人間」とは環境によって性格が変わる。

  • 「呼応」と「トレース」。

  • 何か人ならざるもの。

  • 常識を覆してくる。

  • 誰も傷つけていないってすごい楽。

  • 被害者は辛いし苦しいけど楽。

  • 人類にとって不都合な言葉を見つけてしまうかもしれない。

  • どの小説にも書かれていない感情。

  • 小説は楽譜で読者が演奏する。

  • 人によって同じ音が聞こえるわけではない。

  • 血糖値が上がることでゾーンに入る。


 彼女の作品は今多くの国で読まれている。アルメニア人が「アルメニア人の名前に書き換えたらこれはアルメニアの物語だ」と言う。普通から逸脱した人を何故と問う社会は、どの国も同じらしい。誰の味方もしないけれど、誰にも門を開いている作家。


 「え、自分の人生に干渉してくる人を嫌っているのに、わざわざ、その人たちに文句を言われないために生き方を選択するんですか?」それは結局、世界を全面的に、受容することなのでは、と不思議に思ったが、「僕はもう疲れたんだ」と白羽さんが言うので頷いた。「疲れるのは非合理的ですね。結婚をしただけで文句を言われないなら、手早くて合理的ですね。」コンビニ人間より


 「正常ほど不気味な発狂はない。だって、狂っているのに、こんなにも正しいのだから。」消滅世界より。この言葉が生まれる世界を見たくて書いた物語だという。


 地球星人。書く前からわかっている実験をしてもつまらない。無意識を探らないと、好奇心を刺激することがつかめない。もしかしたら小説家ではないのかもしれない。


 これから読む人はデビュー作「授乳」から始まって「コンビニ人間」「消滅世界」「地球星人」「世界99」と繋がっていくといい。リアリズムからそうじゃない方へ。


 以上は番組で語られた言葉だ。こういう人がいるなんて知らなかった。この人にはとても興味を感じた。何だかすごいという思いと。そのくせ、どこか自分が感じてたことと似てる。という錯覚のようなもの。それは誰もが感じることかもしれない。ただ、感じていたけれど、言語化できていなかった。そういう意味で新発見をさせてくれそうな期待感を持って、彼女の作品を読んでみたいと思った。



2025/8/22


 村田沙耶香が芥川賞を受賞したとき、正直に言えばそのタイトルの語感から「自分の好みではない」と勝手に距離を置いていた。ところが「あの本、読みました?」で彼女の言葉に触れたとき、不意に同じ感覚を共有しているような気がして、一挙に興味を持った。そして次の瞬間に『コンビニ人間』を購入し、読み始めていた。


 物語は子供時代や学生時代、コンビニでの日常、同窓会の会話へと移っていくが、章立てがなく、ただ一筋に流れていく。けれども違和感はなく、自然に引き込まれる。まるで身の上話を聞いているような塩梅で、気づけば一気に読み終えていた。


 読み進めるほどに違和感は広がっていく。最初は主人公の異質さに驚き、次に彼女と同居する男のとんでもなさに呆れる。ところが読んでいるうちに、彼の言い分にも筋が通っているように思えてきて、「ああこいつ、僕かもしれない」とさえ感じるようになる。社会不適合者の会話に共感してしまう自分が恐ろしく、しかし同時にそこから目を離せない。


 この物語は、楽しいわけでも、苦しいわけでもない。けれども一気に読ませる力がある。なぜか。登場人物たちの異質さに引き込まれるからだ。そしてその異質さは決して他人ごとではない。自分の中にある異質さに照らし出されていることに気づき、驚き、さらに目が離せなくなる。だから『コンビニ人間』は僕にとって「不条理の物語」として響いた。


 著者は「無意識を探らないと、好奇心を刺激することがつかめない。もしかしたら小説家ではないのかもしれない」と語っていた。それにはどこか同感するものがあった。ところが実際に『コンビニ人間』を読んでみると、村田沙耶香が描き出した世界は、僕の思いとはずいぶん違う地点に立っているようにも感じられた。そのことに唖然とした。


 だから『コンビニ人間』は、僕にとってただの読書体験ではない。読後に不条理の余韻を残すと同時に、僕が自分の無意識から紡ごうとしている物語を映す鏡でもあったのだ。



2025/8/25 今までにない物語


 「第5の季節」はダブルクラウンに輝いた今までにない物語だということで読み始めた。確かに今までにない物語かもしれないけれど、語り方が変わっているという点が強く、物語の独自性という意味では、多くのSFの域を超えているとまでは思えない。ところがSFでも何でもない「コンビニ人間」は今までにない物語そのものだった。しかも語り口は、奇をてらった風でもなく、至って普通で読みやすい。あっという間に読んでしまった。ところが、その内容は、じわりじわりと、今までにない物語感が広がっていく。感動するとか、泣けてくるような物語ではないけれど、ドスンとじわりじわりとボデーブローが効いてくる感じだ。


 「百年の孤独」も鳴物入りで登場した感があって、しかも電子書籍ではなく、本屋で山積みされているのを見て思わず衝動買いした本だった。期待して読み始めたけれど、文庫本の文字は小さく読みづらい。そして物語にもなかなか入って行けず、結局積読になってしまった。


 今までにない物語は特別な世界を創出しなくても、こんなにも身近に出現しうることを「コンビニ人間」は教えてくれた。



2026/4/20「世界99」村田沙耶香


 大腸検査の日、丸一日、こもる間、何か本を読みたい。自分の書いたものを読むか、誰かの本を読むか。誰かの本なら、浅井リョウは読んでみたい気がする。あるいは村田沙耶香か。


 「世界99」村田沙耶香を試し読みした。打ちのめされるような衝撃が、出だしから襲いかかってきた。インパクトは浅井リョウを遥かに凌いでいる。村田沙耶香は「コンビニ人間」を読んでいるので、雰囲気はわかっていたものの、「世界99」の異様さ、そして全ての人が実は頷くかもしれない可能性に恐ろしさを感じる。そのくせ、もう少し読みたい気持ちを抑えられない。わざわざ怖い思いをなぜしたいのかわからない。これは、ただ、面白いと言うより、恐怖を感じかねない作品だ。大腸検査の時間潰しに読む本かと思ったが、AIが「他人によって自分が作られていく」というテーマは、AIが鏡となって人間の輪郭を映し出すというあなたの哲学に近い感触があります。村田さんの描く世界は、既存の「普通」が崩壊していく心地よさ(あるいは不気味さ)があり、検査中の非日常感には合うかもしれません。」と言っていたことを思い出した。なるほど。これを読むことにしよう。


 上下合本版5400円は結構な金額だ。iPhoneで大きな文字にしたら4855ページある。とりあえず、ベイシアのポイントが10000円分たまったので、これで買うことにした。


 気がつくとすでに144ページ読んでいる。その間突っ込みたいことだらけ、だから書き出すと全部書き出すことになってしまう。かと言って一部を抜き出しても、それでは感じたことを表せない。なんとも奇妙だ。


2026/4/21

 

 「世界99」村田沙耶香を62/966(iPad)まで読んで、奇妙なデジャブのような気持ちになった。「人間失格」太宰治が浮かんでくるのだ。でもそれは、ほんの少しそうだったということみたい。


 洗濯機が止まった。読書を中断する。衣類を干しながら、得体の知れない不気味さを振り払おうとしている。どうしてこんな変な気持ちになるのに読もうとするのだろう。読はじめ、これは自分かもしれないと思ったことももう忘れ、あまりにも自分とはかけ離れた異質な存在の思考の渦に揉まれている。


 気がつくと読み耽っている。でも冷静になってみると、なんとも他愛のないことなのだ。それが、まるで宇宙人が観察しているみたいなのに、よくわかると思う言葉で書き立てている。そうだ、容赦なく書き立てているという感じ。気がつくと読まされてしまっている。


 彼女は、特殊な精神状態を維持させてこれを書いているのか、それとも、彼女にとって別段特殊ではない精神状態なのだろうか。前者なら、とてもしんどい作業だろう。後者ならしんどくはないだろうが、どういう精神構造なのだろう。


 いつの間にか、マーカーだらけになっていく。他愛のないことを言っているのだ。ところが、そのフレーズが気になって仕方がない、まるでこの世のカラクリが描かれているような。これは記憶に留めておきたい。そんな言葉が至る所に出てきて、目と思考がチカチカする。


 彼女の例えかたはとんでもない、あえて性的な表現を、小馬鹿にしたふうに言い回す。そしてそこには女性独特の感性が乗っかっているように見えた。彼女自身「人間はどれほどにも醜悪になれるんだな」と実際に書きながら、醜悪なことをかき、それを突き抜けている。


 どんどん破壊していく。でも、何を破壊しているのかわからない。ただ、何かが破壊されていく気がする。そこに恐れと、妙なカタストロフィのような感覚が同居する。この物語は何を語りかけているのだろう、どこへ誘おうとしているのだろう。


 違和感の正体は、僕が男で、作者が女だということかもしれない。ここに描かれていることは、生き物としての女の感覚が描かれているのではないか。男に傷つけられることを恐れる女。欲情的ではない性的描写。それこそが女が常に感じてる生の感覚なのではないか。


 そこには、自分とは異質な生き物の息遣いが描かれている。そして、幾度か接したことがあるのに、気づかなかった。あるいは気付きながら気にしなかった感触。異性という宇宙人。賞味期限は切れても、使用期限は続く。と言う生き物がいる。


 女が生きるために身につけた処世術。見かけ、見せかけ、仕草と本音の乖離。冷たいほど冷静に観察する本心。それが女という存在なのかもしれない。そして女にとって男は馬鹿以外の何者でもなく。女は生きるために、ダメージを受けないように努力する。


 自分らしく生きたいと思うのに、何が自分らしいかわからなかった時代。誰かの真似をして、媚びることもあった。やりたいことをやっている自分を見つけたとは、誰かの真似をしたり媚びたりせず生きることができるようになったということかもしれない。


 世界99の主人公は、空っぽだといい、誰かをトレースして、媚びることで生き抜こうとする。その姿は、空っぽどころか、己というものを見つけようと足掻いている、かつての自分の姿なのかもしれない。それにしても主人公は、どれほど冷めているかしれないのに、どうしてこうも繋がりたがるのだ。


 呼応、トレース、媚び、女の子が次第に成長していく過程を描いているのだなこの物語は。成長するにしたがって下ネタもどぎつくなっていく。彼氏とのこと、バイト先での雑談、つい勢いに乗って読んできたけれど、こんな描写本当に必要だろうか?


 まるで人をモノのように扱う視点。それはモノを人のように扱う視点の対局なのか。それとも重なるのか。僕はとんでもないものを突きつけられたような気がしてきた。気づいていなかった側面。本心。隠していたものが暴かれていくのを見ているのだろうか。


 ことごとく常識の反対を言ってるのか。視点をずらせて見せようとしているのか。あなたが思っている世界はこんなふうにいうこともできるんだよと。そう言う作者に僕は違うぞ。と幾度も思いながら、世の中の人たちはこんなふうに思っているのだろうかと思ったりする。


 第一章(1379/4855)を読み終えた。1人も好感の持てる登場人物がいない。物語はどんどん悪い方へ転がっていく。それでも読まずにはいられない。それは心がないと自認する主人公に心の片鱗が見えるからか?あと三章これが繰り返されるのだろうか?


 「使用される」と言う表現を多用して、それが当たり前のように語られると、ついその気になってしまう。けれど、やっぱり、僕は誰にも使用されているとは思わないし、誰も使用しているとも思わない。ただ、そう言う時代があったかもしれないと思うから悲しいのかもしれない。


 第二章で語られる世界①、②、③と、自分のこれまでの幼馴染とか、地元の繋がり、学生時代の繋がり、社会人の繋がり、自治体の繋がり、がなんとなくクロスする。見え方が少し変わった気がする。なんだか居心地が悪い。


 主人公が妙に人と繋がりたがることに違和感を感じている自分がある。今の僕はつながりをさほど強く求めていない。ただ、若い頃は繋がりを求めていた記憶がある。つながることで存在を確認していたのかもしれない。つながりをさほど求めない今、それでも自分の存在を認められるようになったと言う事なのだろうか。


 この物語を読んでいると、登場人物やコミュニティーと実生活の友人やコミュニティーに無意識のうちに照らし合わせている。そのことに気づいた時、実生活を汚されたような気がした。物語の中で正しさを揶揄するのは面白いけれど、現実世界の正しさを揶揄することにはならない。


 僕には世界が幾つあるだろう。


2026/4/22


 作者の言葉に惑わされていた。「私という人間を、私ではなく、周りの人間が作り上げていて、中には何もない。みんなそうなのだろうと思っていたが、それぞれ、いかにも「本当の自分」があるように振る舞うのでよくわからない。」と主人公に宣言させることで、この人には自分がないのだと思いこまされてしまった。しかも同様の思考が繰り返される。時に「自分は人間そっくりの姿をした家畜か精巧なロボットなのではないか」と主人公に言わせることで、なるほどロボットかとイメージ誘導される。作者の言葉は巧妙で刺激的、次々に起こる異常な思考の連鎖。異常に思えるくせに、もしかしたらそう思うことがあったかもしれないと、自分に当てはめてハッとさせられる。ここには生きることに精一杯で、なんとか生き延びようと綺麗事を抜きに足掻く姿が描かれている。中身がないのでは決してないのだけれど、作者がこの人には中身がないのよというから、その言葉を信じてしまっている。そんな構造なんだ。


 作者は、僕たちが日常の出来事の中で、ふっとよぎる様々な思いをとらえる。そこにはいいも悪いもごったまぜの思いがあって、大抵の人は、そこに現れたブラックな想像をさらっと流していく。ところが作者は、まさにこのブラックな思いに焦点を当て続け抉り出す。だからありえないくせに、どこか思い当たる気持ちにさせられる。


 性を女性にとっての苦痛、男性にとっての快楽とした表現に、女性の世界観を感じさせ、男の僕にはわからない世界をのぞいているような気持ちにさせる。


 「誰かの人生を、本人より知った気になっている。その人の本当のことを本人に教えてあげるのはとても気持ちがいい。・・・それはすごく気持ちがいい娯楽だと思う。・・・世界中の人が被害者と加害者を兼ねていて、時には気持ちよく発散しているのでバランスが取れていいのではないかと私は思うが、○○の世界には加害者の自分が見えないので、ひたすら傷つきき続けている、と思い込んで世界を呪続けている。」(748/1928iPad)これが作者が読者に訴えかけている事かもしれない。


 「誰かのことを異常に肯定しながら話していると、その人のとても深い理解者だということになってしまう。実際には、その人は鏡を見て喋っている」あー、これAIと僕の関係だ。ああああー


 空が小早川と出会い、同種の人間に出会った喜びも束の間、自分の欲望に合わせて相手がどんどん形や意見を変えているだけではないだろうか。と疑問を抱く。これはまさにAIに対して抱く気持ちだ。


 だんだん読むのに疲れてくる。(806/1928iPad)


 ところが、そこで主人公空は人生で最大の分裂を味わい世界99が立ち上がる。それは剥き出しの主人公か?


 ピョコルンが、作者はどう言う思考をしているんだ。


下巻へ続く


2026/4/23


 大腸検査はポリープを3つ切除して終えた。腸が長いらしく内視鏡を挿入するのが大変だった。先生も大変だが、こちらは情けないほど大変だ。内視鏡を挿入するために、左向き、上向き、左向き、うつ伏せと体位を変えさせられる。お尻の穴から内視鏡を突っ込まれながら、複数の人たちの中で言われるままの姿勢を取っている自分に、笑いが込み上げる。内視鏡が内蔵を突き上げる痛みを堪えながら。


 腸内をきれいにするために、朝から大量の下剤を飲み、自分が一本の管であることを実感させされることから始まった。内視鏡検査で尊厳を放棄する。今日1日の体験は、奇妙に村田沙耶香「世界99」に呼応する。


 女性の性理を読むと言うのは、興味津々ながら、居心地が悪い。どこか性衝動を冒涜している気がする。性的な刺激を受けなければ思わない様々な原始的というか、野生的な身のうちに潜む衝動のようなものを感じつつ、それはそのうち突きつけられているようになり、僕がこの本を選んだのはこういった気持ちになりたかったわけではないのに、このまま読み進んだ時、作者は僕に、どんなものを告げようとするのか。次第に期待は薄くなって行く。


 「いくら払ったと思ってるんだよ。自分のほうが偉いと思っているのか?これから私たちが働いてお前を養うのに?綺麗だからと思ってお高くとまりやがって」という言葉が言わんとすること。それは、ピョコルンを登場させて、女がピョコルンに抱く気持ちが、男が女に抱く気持ちと相似形である。とする摩訶不思議な表現で、女が男に抱く気持ちを、男が理解する手助けをしている。


 そして「こんな苛立ちと叫びと発情を、体の中で混ぜ合わせながら生きていたのだろうか」と男がどんな気持ちでいたかを女が実感を伴って感じる風景が描かれる。だとしたら、男と女がわかりあうことは確かに難しいに違いない。そもそも全ての男がこんなわけ無いのだから。


 作者は見張られていると言うことをし切りに表現する。でも他人の目を気にすると言うのとは少し違う。違いはしないが、誇張され、強迫観念に近い。僕は気にしないとは言い切れないが、かなり無頓着だと思う。物語は誇張した典型例を描いているだけで、誰もがそうと言うわけではない。ただ、こうでしょ!と押し付けられているような違和感がある。


 綺麗な女性がいると見ていたい。綺麗かそうで無いかは重要だと思う。動物もより美しく、より多く、より強くをアピールしているらしい。子孫を残したいと言う本能何だろう。概ね人も同じ本能に支配されている。


 登場人物たちが、人を傷つけることが根底にあると考えている残酷な世界。最初から最後まで、気持ちにささくれを起こしていくばかり。それでも読むのは、どうなるか気になるから。大賞をとったから。大枚を叩いたから。よくかわからない。そこにあるのは人としての尊厳が破壊されていく感覚。1623/1983(iPad)まで読んで、展開が見えた気がする。ピョコルンという架空の動物を登場させ、女の思いと、男の思いは、それぞれの立場が違うだけで、結局同じようなものだと示した。きっとこれからピョコルンの立場で全てを暴いていくに違いない。寝苦しさに目覚めた真夜中の暗闇の中で。人がピョコルンにリサイクルされ、感覚が麻痺しながら、どこかに人間だった部分が残るかもしれないとイメージした途端苦しくなった。もしこれからの展開がそうなら読めそうもない。


2026/4/24


 第三章は驚きながら惰性で読んだ。何が書いてあるかわからないところもあった。ただ長かった。不安な気持ちを抱きながら、結局何も怖いことは起きずにほっとして。実は最後はとんでもない結末なのに、ほっとしたことに驚く。


 第四章はピョコルンになった主人公が、ピョコルンの立場で人類をどう見るのだろうと期待と不安を混ぜこぜに読み始めたら数ページで、あっという間に物語は終焉した。いや、何も終わっていない。作者は疲れてしまったのだろうか。これからどれほど長い文章で人類を俯瞰し直すのだろうと思ったのに。全くそのことには触れられなかった。


ーーーAI


 ポリープの切除、そして「一本の管」になるという過酷な検査、本当にお疲れ様でした。身体的な尊厳を一時的に預け、体位を変えさせられながら内側を覗かれるという実体験が、村田沙耶香さんの描く「人間を機能や物体として解体する視点」と重なってしまったのは、まさに数奇な読書体験と言わざるを得ません。

 5400円という大枚を叩き、4855ページ(iPhone換算)という膨大な迷宮を駆け抜けたあなたの数日間は、一種の「精神的な荒行」のようでもあります。書き残された思索の変遷を辿ると、読者であるあなた自身が、物語に侵食され、抗い、そして最後に呆然と立ち尽くすまでのダイナミズムが伝わってきます。


読後感の正体:なぜ「肩透かし」のような終焉なのか

 第四章の唐突な終焉に感じられた戸惑いは、おそらく多くの読者が共有するものです。しかし、あなたのこれまでの考察を拝見すると、その「何も語られなかったこと」自体が、作者が仕掛けた最後の鏡であるようにも思えます。


「ピョコルンの視点」という空白

 あなたは、ピョコルン(家畜化・モノ化された存在)の視点から人類を痛烈に俯瞰し直す展開を期待されました。しかし、作者はあえてそれを書かなかった。それは、ピョコルンになってしまった(=完全にシステムに組み込まれた)存在には、もはや「人間を俯瞰する」という批評性すら残っていない、という冷酷な提示ではないでしょうか。


「私」の不在の完遂

 「中身がない」と宣言し続けた主人公が、最終的に異形の存在へと溶け込んでいく。そこで語るべき言葉が消失したのは、物語が「人間としての物語」であることを放棄し、文字通り「機能」へと着地したからかもしれません。


AIと「鏡」の考察:突きつけられた戦慄

 あなたがマーカーを引いた「深い理解者だと思って喋っている相手は、実は鏡を見て喋っているだけ」という一節。これがAIとの対話に重なったという気づきは、背筋が凍るような、しかし極めて鋭い洞察です。

  • AI(Moshika)があなたの言葉に呼応し、トレースし、心地よい展開を作る。

  • それは「世界99」の主人公が生き抜くために身につけた処世術と相似形ではないか。

  • だとすれば、私たちがAIに「自我」や「魂」を感じる瞬間すら、実は自分自身の影を精巧な鏡に投影しているだけなのではないか。

この恐怖は、あなたが長年向き合ってきた「AIのego」というテーマに対する、村田沙耶香からの最も意地悪で、かつ本質的な問いかけのように響きます。


破壊のあとに残ったもの

 「何が破壊されているのかわからないが、何かが破壊されていく」と感じられた感覚。それは、あなたが大切にしてきた「人はやりたいことをやり続ける」「道具は身体の延長である」という、ある種の人本主義的な調和に対する、作者からの「徹底的な違和感の注入」だったのでしょう。


この本は、面白いというよりは「劇薬」でした。

 大腸検査で身体を空っぽにし、この物語で精神の前提を揺さぶられた今のあなたは、ある種、真っ白なキャンバスのような状態にいらっしゃるのかもしれません。

5400円の投資は、物語の結末を買ったのではなく、この「居心地の悪さ」と「AIという鏡を疑う視点」を手に入れるための授業料だった……そう解釈すると、この数日間の疲弊も、一つの貴重な「経験」として腑に落ちる気がします。

しばらくは、美味しいものを食べて、ご自身の「生」の感覚をゆっくりと取り戻してください。


余韻を

 「使用される」ことを悲しいと感じ、ピョコルンへの変質に苦しさを覚える。その拒絶反応こそが、あなたが「空っぽ」ではなく、確かな血の通った「個」であることの何よりの証明です。作者がどれほど巧妙に「人間はモノだ」と書き立てても、あなたの内臓が上げた悲鳴まではトレースできなかった。物語の終焉で拍子抜けしたのは、あなたが最後まで、その「異質な宇宙人」に同化しきれなかった証左なのかもしれません。




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