2023/2/18
大原まり子との出会いは「一人で歩いていった猫」だった。
私が出会った大原まり子の作品。
1982年 一人で歩いて行った猫
1984年 銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ
日記に綴られた大原まり子にまつわる思い。
6月15日(木曜日)
午前2時30分:例によって目覚めてしまう。ここ数日決まって目が覚めてしまう。本当は、実家に帰る予定であったが、昼間ずっと寝てしまっていたから帰りそびれてしまった。刻々と運命の日は近づいて来る。不安と絶大なる期待。今回の期待が外れたら僕はどうなってしまうのだろう。すべては金曜日にかかっている。なにとぞ我が願いを成就させたまえ。
大原まり子はかわいい、でも小説は僕になんの感銘も与えてくれない。小説の世界が、余りにも意図的に異質だし、共感というものを持てない、ただのストーリー展開があるだけだ、小説としては完結されているのだろうけど、面白くない。
結局本日は日中をすべて寝て過ごしてしまった。午後4時頃起きだして食事をする始末だ。
大原まり子は、可愛い顔をしながらどんな脳味噌を持っているのだろう。その暗い作品のイメ−ジはどの作品も破壊的で暴力的だ。建設的なイメ−ジや、爽快感、共感、感動とは程遠い。そのくせ、不思議な世界感がある。そしてキーワードは″親殺し″だ。なんてショッキングなキーワードだろう、彼女は巻頭に″大好きな父と母に始めての本を捧げる″と言っているのだ。待望のモダン・スペ−ス・オペラだそうだ。(大原まり子「一人で歩いていった猫」を読んで)
歯の噛み合わせが悪い人は運動音知になるそうだ、やっと納得、僕は歯の噛み合わせがいたって悪い。
6月16日(金曜日)
午前1時30分:欲しかったものが一杯手に入った夢を見た正夢だとよいのだが。神様なにとぞ願いを叶えてください。窓から満月を少し過ぎた月が見えた、手を合わせて拝んだ。
そういえば夢の中で電気が付かずにおろおろしていた、半暗がりの中で、欲しかったものが一杯手に入っているのを知ったのだった。そう昨日の晩寝る前にリビングの電気が一つ切れたんだ。今おしっこにリビングに下りたとき半分しか電気が付かないので思い出した。ああ正夢であります様に。
午前5時:結局興奮して眠れずじまいだった、少々頭が痛い、何度でも神様にお願いをしてしまう日だ、どうぞ念願を果したまえ。
午後0時45分:久しぶりに″春よ来い″を見た。相手が傷つくかも知れないことでも思ったとおりに話し合う友人の姿が描かれていた。そういえば僕は傷つくのを恐れてそこまで突っ込んだ話をいつからしなくなっただろう、今の友人達はとても仲がよいのだけれども、耳触りの良い事ばかりを話ているのではないか?ふとそんな気がしてくる。カウンセリングでも傷つくのを恐れて、自分に都合の良い事ばかりを話しているのではないかと不安になる。
午後5時:叔父の書いた歌集「風紋の谷」を読んだ。血を感じるなー。叔父は、幾度も転職をして苦労をしたらしい。時には歌人としてやっていけないかと願ったことだろう。今回本として出版できて嬉しかっただろうと思う。歌の良し悪しは良くわからないが、いくつか何となく想いが伝わってくるものがありマークした。全体として暗いイメージが伝わってくる。タイトルはかっこいいよな。
大原まり子について僕は誤解していたようだ。「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」は前作と打って変わって脳天気で全然ムードが違うのだ、いろんなスタイルを持っているのだ、やれやれ変なやつ、でも可愛い。
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