2023/2/19
山路忠彦は伯父だ「風紋の谷」を書いた。
日記に綴られた山路忠彦にまつわる思い。
1995年6月16日
午後5時:叔父の書いた歌集「風紋の谷」を読んだ。血を感じるなー。叔父は、幾度も転職をして苦労をしたらしい。時には歌人としてやっていけないかと願ったことだろう。今回本として出版できて嬉しかっただろうと思う。歌の良し悪しは良くわからないが、いくつか何となく想いが伝わってくるものがありマークした。全体として暗いイメージが伝わってくる。タイトルはかっこいいよな。
2002年10月21日
忠彦叔父さんへ、お久しぶりです。お元気でしょうか。先日、踏み切りを渡ろうとした時、幼い頃、忠彦叔父さんが線路の上で写真を撮ってくれたことを思い出しました。電車が来るのじゃないかとどきどきした気持ちまでよみがえってきました。くしくもそのことを両親に話すと、忠彦叔父さんも先日来られた時にそのことを思い出されたとか、うれしく思い出します。家を建てた時に頂いた絵は今も部屋に飾っています。鳥の形の置物も使ってます。僕も小説家になるんだと豪語しながら、いまだに一冊も世に出せません。「風紋の谷」読ませていただきました。タイトルがなんともいいです。とにかく、本を出されたということがすごいことだと思います。このたびも、素敵な帆船を2艘も頂きありがとうございます。カティーサ−ク飾らせてもらいます。子供の頃、忠彦叔父さんの家に遊びに行った時、大きな木製の軍艦の模型があったでしょ。そのときの記憶も鮮明に残っていて、「すごいなー、僕もいつか作るんだ」と思ったものでした。その後も船の模型を見るたびに、忠彦叔父さんのあの船よりすごいのはまだであったことがないなとおもったものです。あの日、忠彦叔父さんは、ダイキャストでできた英国の巡洋艦をくれました。まだ家に飾ってあります。いつの頃か、忠彦叔父さんのあだ名は「夢見る夢雄さん」と言うのだと知ってから、友人たちに、僕の叔父さんには「夢見る夢雄さん」と言う人がいるんだ。と自慢したものです。僕もよく両親に「おまえは獏だね、夢みたいなことばっか言っている」と言っては忠彦叔父さんの話が出たものでした。そしてそう言われることが嬉しかった僕です。忠彦叔父さんは館山寺に思い出がおありとのこと。館山寺周辺の案内を集めてまいりましたのでお送りいたします。本当にありがとうございました。当日はお会いするのを楽しみにしております、お気をつけてお越しください。またぜひ我が家にもお越しくださいね。
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