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タガを外す

執筆者の写真: NappleNapple

更新日:2月1日

2025/1/7


 生真面目で抑制的な日本人が、漫画においてなぜこれほど自由奔放でいられるのか。長らく不思議に思っていた。


 「NHKスペシャル「新ジャポニズム」第1集 MANGA わたしを解き放つ物語」や「世界サブカルチャー史欲望の系譜」の考察は面白い。なぜ、アジアの島国・日本から生まれたマンガが、これほどまでに世界の人びとに刺さるのか?そんなことを考察している。


 そもそもなぜこうもタガが外れてしまうのか。そこが気になって仕方がなかった。そして、ようやく自分なりの回答に思い至った。


 そもそもジャポニズムってなんだろう。社会の抑圧から開放されたいという状況は多くの文化で見られ、日本でも原動力となってきた。あえてジャポニズムと命名するからには、他の文化と違いがあるはずだ。それを日本独特の社会的規範に見出せると考えた。思うに他国の文化は厳格な宗教による罰や戒律的社会に感ずる。その点日本は、戒律的には緩いが、無意識のうちにありとあらゆるものに神の存在を感じる生活文化を形成している。その結果ごく自然の成り行きとして道徳心や倫理観を育む内面的な「監視システム」を獲得した。社会全体の雰囲気が生真面目で抑制的なわけで、それに染まらないはずがない。ところが人間としての本質はそこにとどめられるようなおとなしいものではない。いつ爆発してもおかしくないエネルギーをうちに秘めて大人しくしている。それが日本人なのではないか。その結果、直接的な表現を避け曖昧さと余韻に想いを託すようになる。それこそが日本人お得意の表現方法となっていく。それは『源氏物語』をはじめとする作品に多く垣間見ることができる、心の揺らぎを描写し、余白を残す描き方を好んできた。さらに面白いことは、外国ウケなど狙っていない。純日本人的な思考で物語を紡ぐ、これこそガラパゴス的という状況が誕生する。ところが、そこを世界は面白がっているようだ。まさにこれが西欧が言うジャポニズムなのではないだろうか。


 抑圧と解放のバランス、八百万の神々の柔軟な倫理観、曖昧さと余韻の美意識といった要素が、自由奔放で大胆な表現を内面に蓄積させていく。通常これは表に出てこず、お行儀の良さと悪さが交錯する曖昧な均衡が保たれている。ところが実際はこれを解放する場所を求めている。芸術表現はそれを放出するのにもってこいの場の一つなのだろう。タガが外れるのである。日本文化に特有の緊張感と自由さの起源はここにある気がする。


 ジャポニズムは、抑圧と解放、秩序と混沌、曖昧さと余韻といった普遍的な人間心理に根ざしつつ、それを独自に昇華させた「ガラパゴス的進化」の結果として発展を遂げた。そして、こうした要素の絡み合いの爆発が、世界の人々を惹きつける魅力となっているに違いない。

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