2023/2/19
アドルフ・ヒトラーとの出会いは「我が闘争」だった。
私が出会ったアドルフ・ヒトラーの作品。
1925年 我が闘争
日記に綴られたヒトラーにまつわる思い。
1995年7月13日
アドルフ・ヒトラー「わが闘争(上)」を読む:彼は元々画家を目指していたという。言っていることが堅いのか、何を言っているのかすぐ分からない。しかし色々な角度から、自分の時代を分析しているところは結構勉強している感じがしたし、分からないでもない。ところがユダヤ人に対する記述が始まると有無を言わさぬ否定的な感じで始めは不愉快に感じた。ところが読み進むうちに、段々その気がしてくるところが恐ろしい。第1時世界大戦に敗戦して混乱し、沈んでいる国家を盛り上げていくあたりは感動的だった。
1995年7月22日
午後0時:眠くなってきてしまった。雨が止まずに昼だというのに夕方のようだ。アドルフ・ヒトラー「わが闘争(下)」に突入。選挙のために公約をでっち上げる政党・政治家に対する痛烈な批判がヒトラーの口から飛び出る。まさに今回の参議院選挙もかくごとしかなと言った気分だ。
1995年7月28日
午前9時:ようやくヒトラー「わが闘争(下)」を読み終わるほとんど今週一杯かかって読んだことになる。辛かった。一つの文章が長いうえに、肯定しているのか否定しているのか分かりずらいために同じところを何度も読み返してしまった。大方は何を言っているか分からなかった、何となく理屈っぽく理論的には見えるのだだが結局何が言いたいか分からなかった。仕方がないので歴史群像シリーズの「アドルフ・ヒトラー」を買って読んでみることにする。
1995年7月31日
ヒトラーの「わが闘争」にしても、トフラーの「第3の波」にしても、一般大衆がいかに盲目的であり、せつな的であるかを語っている。僕はその一般大衆でありながらいつもその枠から飛び出したいと思っているのだと思う。
1995年8月5日
トフラー「第3の波」読み終える:ヒトラー「わが闘争」同様読み終えるのに時間がかかる。なぜこの手の本は時間がかかるのだろう。
歴史群像シリーズの「アドルフ・ヒトラー」を買ったことは確かだが、読んだかどうかは定かでない。
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