2023/2/16
大江健三郎との出会いは「死者のおごり・飼育」だった。
私のであった大江健三郎の作品。
1958年 死者の奢り・飼育
1959年 われらの時代
日記に綴られた大江健三郎にまつわる思い。
1995年9月6日
午後2時10分:大江健三郎「死者のおごり・飼育」を読み終える。大江健三郎を読んだ理由は、ノーベル文学賞をもらう作家とはどのような作家か知りたかったからだ。そして最近の読書の癖となってしまった、後何ページでこの話は終わるのだろうということばかり気にしながら読んでいた。今の僕は読書を楽しんではいない。結局大江健三郎から学んだものは何だろう。言うならば、作品は、一つの一貫した主題を持つべきであること、時代の代弁者となること、が作家として成功する鍵であるだろう事だ。(当たり前と言えば当たり前の事かも知れない)彼の場合の一貫した主題は「監禁されている状態、閉ざされた壁の中に生きる状態を考えることで・・・時代的に言えば一種の閉塞状態であり、存在論的に言えば「社会的正義」の仮構を見抜いたものの一種の断絶感である」と言うことになる。「人間の羊」は正にこのことを端的に示した作品と言えるだろう。僕が漠然と抱いていた自分の作品について足らなかったものが何であったか分かったような気がする。つまり「第3の波」でも取り上げているように、現代は大きな波に覆われて新しい時代を迎え受けるべく、錯綜する時代となっている。その時代の波の中であるいはのほほんとしながらも、実はその波に飲まれまいとして誰もが踏ん張っている。その踏ん張り方が分からなくて多くの人々が餓え・苦しみ・悩んでいる。そんなことを一つの主題として折り込めれば現代を描くことになるだろう。
1995年10月21日
そして大江健三郎「われらの時代」を読み始めた。すると突然わけもなく12年前に別れた彼女との最後のセックスを思い出した。それは5月の連休で、彼女が浜松へ遊びに来たとき駅前のホテルでのことだった。僕は彼女と結婚することが決まったことから安心して、それまで必ず窒外射性をしていたのに、その日は彼女の中で射性したことを思い出した。そしてその後別れることになったからどうなったか分からないが、もしかしたら彼女は妊娠したかも知れない。もしかすると僕には10歳なんか月かの子供がいるかも知れない、突然そんなことを思ったのだ。もし妊娠したとしても彼女は子供を降ろしただろう、だからそんなことはありえない、でももしかしたらということもありうるような気がしたのだ。別れ話を出したのは彼女だったから、妊娠したことを僕に告げることができないまま生んでいるかも知れない。それを僕は呑気にも10数年間知らずにいると考えるとたまらない気がした。僕に子供がいるかもしれないという考えは、恐ろしい考えであると同時に、得体の知れない感動があった。阪神大震災を彼女は無事生き延びたのだろうか。それすら僕は知る手立てがないというのに。
1995年10/27
午前7時30分:大江健三郎「われらの時代」を読み終える。苦しい小説だった、読むのを辞めようかと思う小説だった。後書きを読むと、大江自信がこの作品のためにずいぶん消耗し、不眠症になったことが分かった。それでも彼はこの小説を愛し、書いた意義があったと語っている。「すなわち、僕自身、小説を書きながら、危機の感覚を持っていたいし、読者にも危機の感覚を喚起したいというわけだ」と言うことであり、「反・牧歌的な現実生活の研究を行なうことである」となる。確かに伝わってくる波動がある、ネガティブでダークなパワーを持って描くことによってのみ達せられる真実、僕もそのようなことを考えたことがある。でもやはり読んでみて、そのアンチテーゼによる技法よりも、ただダークな力が読者の心をむしばむことに耐えられない、そこには希望の光を見いだせない。彼が描いた姿は、現代に当てはまる所が多々ある、しかしそうだからと言って彼の描いた時代を、そんなものさと受け入れたくない。僕が書きたいものとは違うものだと思う。
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