2020/9/19
ミヒャエル・エンデ「モモ」再読100分de名著を見る。昔この物語に感動したことを思い出す。何かの集まりで年配の方と本の話になった時にこの本の名前を挙げると、「子供の本だね」と軽く流す人と、「私も読みましたあれには痛く感動しました」と言う人がいた。気心が通じたことが嬉しくて、暫くモモのことを語り合った。これこそ我が生き方だと思ったほどの出会いだったのに、気がつくと読んだことさえ忘れていた。
日記を紐解くと1995年鬱病になり会社を退職する時に出会っていた。
1995年9月18日
ミヒャエル・エンデがガンで亡くなった。(8月28日)今度は彼の作品を読んでみよう「モモ」「ネバーエンディングストーリー」など。彼は死に際に「こちらの世界はもう私を必要としない、あちらの世界へ行きたい」と言ったという。そして「自然に対する高貴な気持ちを忘れ、人々は貧しい心になっていってしまう」と語ったという。現実から逃げ出すためのファンタジーではなく、夢を叶えるためのファンタジーを描きたかったのだと言う。
1995年10月6日午後3時30分:ミヒャエル・エンデ「モモ」を読み始める。空も雲ってきたし、洗濯物も乾いたようなので取り込む。今日は一日穏やかないい天気だった。明日へやの掃除をしよう。
10月9日午後9時:ミヒャエル・エンデ「モモ」はすごい童話だ。人間の「成功したい、ひとかどの人間になりたい、お金持ちになりたい」という心に見事なまでの警告を与えている。正にそうした事を願いながら会社を辞めた今、この本に巡り合えたのは運命としか言い様がないものを感じる。そして友人の大切さを教えてくれる。その有り難さを大切にしなければならないと感じる。もし今日「モモ」を読まずに、時間泥棒達のこうかつな手段と、彼に対持したモモの姿を知らなければ、僕はとんでもないうかつ者になっていたかも知れない。
10月10日午後9時30分:ミヒャエル・エンデ「モモ」(時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語)を読み終える。面白かった、沢山の啓示があった。この本を読んで心から良かったと思う。人間として生きる上での喜びとは何か、生きている証とは何か、また欲望に目がくらみやすい現代人の陥りやすいわなとは何か、友達をいかに大切にすべきか、などが宝石をちりばめたように書かれてあった。″パパラギ″に劣らない目から鱗が落ちる思いの本だった。こういう人間の本質を問う物語と、トフラ−の様に、現代の時代がどう動いているかを問う物語は、時として矛盾を提起するけれども、いずれも見失ってはならないものだと思う。そしてもう一つ、仕事は心をこめて誇りをもってすることだということ。そう、それはどんなに素晴らしい事だろう。このことをどのようにして人に伝えたらよいだろう。頭の中で言葉にしてみた、でもうまく伝えられそうもなかった。僕はもう一つのエンデの作品「はてしない物語」を読み始めた。
10月15日「モモ」を読んで思う。世の中いいことばかりでもない代わりに悪いことばかりでもないのだ。なすがまま、あるがままの自分を受け入れること、同じように他人を受け入れることが、生きていくためのコツだった。自分や、他人を愛する方法だった。それこそがここ数日なすがままに身を任せて実感したことだった。感情が水のように高いところから低いところへ流れていった。逆らわなければ余計な心配をする必要は一切なかった。そしてとても楽に人に接することができた。そこには偽りはなく、素直な自分と、素直な他人があった。それはこの先のことで心配することでもなく、すでに起こったことを悔やむことでもない、今を実感できることだった。
10月16日午前5時:ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」を読み終える。あるがままの自分を愛することその大切さを語った物語だった。この数日の出来事こそ、僕にとってのはてしない物語の冒険だったような気がする。そして現実の世界へ戻ってきた。あるがままの自分を、人を愛せそうな気持ちを抱いて。
今でもこの時の気持ちを思い出すことができる。とても大切にしている思いだ。面白いことは、ここから更なる私の黒歴史が始まったという事実だ。今ようやく冷静に思い返すことができる。人生何が起きるかわからない。だからこそ面白い。
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