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引き継ぐ第1話

  • 執筆者の写真: Napple
    Napple
  • 8月17日
  • 読了時間: 1分

2025/8/17

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怪人案単多裸亜の舟


 怪人案単多裸亜は、その日もドアを開けるときに、なぜか三歩手前で立ち止まった。腕時計もしていないのに、時計を見る仕草をする。しばらく空を見上げて、頷いてから入ってくる。マスターが「いつものですね」と声をかけると、にやりと笑って別の注文をする──そしてまた、「やっぱりいつもので」と言い直す。


 マスターが、コーヒーを淹れながら、「舟を編む」とぽつりと言った。午後の光が窓をくぐり、カウンターの木目を静かに照らしている。1.9lの魔法びんの柱時計が五時を告げる。


 「舟を編む」というマスターの言葉に、案単多裸亜は小さく鼻を鳴らした。「沈むために編む舟もある」「海の底には、陸にはない道がある。」


 そう言って、案単多裸亜はポケットから一枚の紙切れを取り出した。それは陽に焼けた楽譜の一部のようだ。裏には、手書きでこうあった。──『帰り道のない往復』


 案単多裸亜は、その紙切れをテーブルの端に置くと、コーヒーを飲み干し、マスターに笑顔を向ける。


 テーブルの上には紙切れが一枚、その裏の文字が照明の下でかすかに光っていた。彼の言葉も行動も、筋は通らない。けれど、なぜかそれは、心の底で静かに舟を形作っていく。


「怪人案単多裸亜の舟」(了)

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