2018/12/3
父はカメラ運が良くなかった。貸したカメラを叔母が落としてしまったり、祖父の形見の二眼レフを中学時代に私が分解してしまった。父はとても怒ったけれどしかたがない。叔母は落としてしまったのだし、私はとにかく仕組みが知りたくて手当たり次第になんでも分解してしまった時代だった。その後も幾度かカメラを買い替えた父だったが、いざという時に壊れて写せなかったりした。
それでも父は写真を撮る事が好きだった。仕事から帰ると「今日は夕日がとても綺麗だ」とカメラを構えた。旅行好きの父はたくさん写真を残してくれた。オリンパスOM2が一番活躍した。デジタルカメラが登場してLUMIXを使うようになると「LEICAのレンズだぞ」と自慢した。「Carl Zeissのレンズがいい」とか、「Nikonを使いたかった」と言っていた。道具を愛した父の気性は私に引き継がれ、父の言葉は私の中に刻まれた。
私がカメラに興味を持ったのは高校時代だった。ある日友人がNikomatやNikon F2を持って現れたのだ。その精緻で無骨な風貌はカメラに興味がなかった少年に、突然カメラの存在を知らしめ、父も使いたかったNikonというカメラへの憧れを芽吹かせた。大学生になるとジウジアーロデザインのNikonEMを彼女と共同で購入した。彼女の方がいい写真を撮った。どういうわけか、私が撮った写真は足が切れていたり、頭が切れていた。断然彼女のほうが構図が良い。彼女と別れた時NikonEMは彼女のものになった。
学生時代にもう一つ手に入れたカメラがある、ポラロイドカメラだ。今では撮ってすぐ見れるのは当たり前だが、当時はフイルムを現像するためにお店に出して見れるようになるまで数日かかった。フイルムの上にステンシルを挟んで文字抜きした写真を作ることもできた。面白いと思うのだが、どうやら彼女はこのカメラには興味がなかった。
1983年、8mmカメラをもらった。ぜんまいじかけでずっしりと重くズームレンズがついている。持っているだけで撮影したことはない。
1989年、社会人になりしばらくカメラを持たない時代が続いたがある日、オリンパスのオープロダクトが転がり込んできた。父が長年愛用したオリンパスだったことも惹かれた要因だったかもしれない。とにかく魅力的なデザインをしていた。
機会というものは不思議なもので、時を同じくしてヤシカフレックスの二眼レフも転がり込んできた。長い間、祖父の形見を分解したことを後悔していた私だった。なんで分解してしまったんだろう。でも分解したからわかった事がある。重くて大きな図体の割に、メカニカルな機構はレンズ部分に集約され精密な時計のように歯車の塊だった。その残骸は今でも宝物だ。当時は分解すると元に戻せなかったが、今は元に戻す事ができる。
1990年、仕事の必要性から8mmビデオカメラSony CCD-TR55を手に入れた。パスポートサイズというコンパクトさで出張に出かけたヨーロッパの風景を撮影した。
1996年、デジタルカメラCasio QV-10A 25万画素、固定焦点、撮像素子サイズ1/5型、内蔵メモリ2MBを、手に入れ中国の風景を撮影した。初めてのデジタルカメラだ、撮ったその場ですぐに確認できることや、コンピューターに取り込めるのは新鮮だった。しかし銀塩フィルムより格段に画質が劣り、データの取り込みもめんどくさかった。取り込んだコンピュータを廃棄したときに画像データも失い、写真の少ない時代となった。
2000年会社を立ち上げ、Sony DSC-F505Kを使うようになった。ついにCarl Zeissのレンズを使う日がやってきた。202万画素、光学ズーム5倍、撮像素子サイズ1/2型は、QV-10よりも飛躍的に画質も扱いやすさも向上していた。名前の如くサイバーなデザインでかっこいいと思ったが、結局オーソドックスな形のカメラが生き残っているのを見ると、一時的なデザインだったのだろう。このカメラを手に入れてから写真は格段に増えた。皆既月食も撮影する事ができた。
2011年iPhoneを使うようになり、写真もiPhoneで撮るようになった。日付はもちろん位置情報も記録され、画質もいい。なにより、データを取り込む必要がない写真アプリの使い心地が良かった。今まで撮り溜めた印画された写真もスライド写真もデジタル写真も全て読み込み、位置情報と日付情報を付けてCloudに置いた。今の若者はすでに享受していることだが、生まれてからの全ての写真をスマホの中に持ち歩けるようになった。iPhoneも年々新しくなり、iPhoneXは1200万画素で、フォーカスアプリを使えば、LEICAで撮ったような写真が撮れる。iPhoneを持って出かければ、あえて別にカメラを持ちたいとは思わない。画質も劣るサイバーショットの出番は無くなった。
ところがiPhoneを月に向けても残念な写真しか撮れない。星空や天の川、さらには遠い銀河や星雲を撮影することは難しい。
天体撮影ができるカメラが欲しくなる。憧れのLEICAはどうだろう。死ぬまでに使ってみたいカメラである。しかしLEICAはスナップ撮影には絶大なるポテンシャルを発揮するが、天体撮影には向いていない。
2018年フルサイズミラーレスがNikon、Canonから発売された。マウントサイズを変更した新しいシリーズとしての登場である。先行していたSonyと三つ巴戦国時代の開幕である。Carl Zeissが使えるSony、シェアーはCanon、憧れはNikon。
さてここで問題がある。一般的なデジタルカメラは、被写体の色を適切に再現するために可視光域の「赤」寄りの光の透過率を抑えている。Hα線はこの領域にあるため、そのままでは、Hα線の波長で光る星雲は淡く写すことしかできない。期待どおりに赤く写すためには改造が必要となる。例えばNikonD810Aは、Hα線の透過率をD810比で約4倍に引き上げ、Hα線の波長で光る星雲を期待どおり赤く写すことができる。ただし天体以外の被写体撮影では、撮影状況や被写体によって実際より赤みがかり、適切な色再現にならない場合がある。天体写真を撮影しているのはこうした光学フィルターの改造を施したカメラだ。2022年夏現在、市場に出ているミラーレスに天体撮影に特化したカメラは存在しない。
しかし時代が変わり改めて考えると、これはフイルムカメラの場合問題だったかもしれない。しかしデジタルカメラで撮影した場合、淡くても撮影できれば画像を調整できる。改造カメラでなくても撮影できそうな気もする。
こうしたカメラの思い出と共に、天体望遠鏡の思い出がかぶさってくる。
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