2025/1/3
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物語には結末がある。結末を迎えない物語はない。けれど、駄文は結末にこだわらない。物語には時間の流れや展開が必要だが、駄文は刹那の気持ちを切り取るものだ。
最近書いているのは、そのどちらでもないものになりつつある。始まりも終わりもなく、物語の断片のようでいて、物語の形を借りた独白のようなもの。事実とは違うけれど、どこか真実に近い。それが駄文の特徴なのかもしれない。
自分の中にあったはずの思いが、いざ言葉にしてみると「初めまして」とでも言うような顔をする。それが面白くて、書くことがやめられなくなる。
物語を描こうと考えていたときは、何も書けなかった。でも、ただ思ったことを吐き出すようになったとき、それは自然と物語のような形を取りはじめた。
結末を考えるから何も書けなかったのだ。そんなことにこだわらず、その時あふれてくるものをただ書き留めればよかった。
大切なのはテーマでもプロットでも、ましてや結末でもなかった。大切なのは、今何を感じているのか、どう思ったのか――それだけだった。
それが事実であろうと虚構であろうと関係はない。心が動いた、その瞬間を捉えられればそれでいい。
僕はそれを「駄文」と呼んだ。駄文は瞬間の気持ちを吐き出したものだけれど、積み重ねていけば時間を語り、いつか物語になる。
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