手ざわりの記憶
- Napple
- 5 日前
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2025/4/19

いや、これは正しくは“足ざわり”の記憶と言うべきかもしれない。手ではなく、足の感覚。あの頃の夏――畳の上に四角く広がった蚊帳の、その布の裾に、かゆい足を突っ込んで擦りつけた時の、あの気持ちよさを、私はふいに思い出す。
痒みを指で掻くのではなく、柔らかな網目の布地に押し当て、少しずつこすりつける。冷たくて、軽くて、すこしザラッとした、でも決して痛くないその感触。夏の夜の暑さや、うちわの風、外から聞こえる虫の声なんかが、その足ざわりと一緒に蘇ってくる。
子どもだった私は、痒みをただ和らげるためだけでなく、その感触そのものを楽しんでいたように思う。あれは、言葉のいらない小さなよろこび。あまりにささやかすぎて、いつの間にか忘れていたけれど、身体のどこかがずっと覚えていた。
だから今でも、無意識に足をどこかへすり寄せようとすることがある。痒い時だけでなく、心がなにかを探しているような時も。あの手ざわりを――いや、足ざわりを――求めているのかもしれない。
手ざわりや足ざわり、そうした触覚の記憶は、とても深いところで私たちと結びついている。音や匂いほど派手ではないけれど、暮らしの手触りを、確かにその人の奥底に残してゆく。
あの夏の足の裏が覚えている感触は、もうずっと蚊帳に触れていない私の中で、いまもひそかに生きている。
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