2023/2/16
山田風太郎との出会いは「伊賀忍法帖」だった。
私が出会った山田風太郎の作品。
1961年 くノ一忍法帖
1967年 伊賀忍法帖
1978年 人間臨終図鑑 上下巻
日記に綴られた山田風太郎の作品にまつわる思い。
1987年7月15日
今日は 完ぺきなずるやすみである講習会もないし これと言った取り急ぎのこともない 昼まで横になり 学生のように 本を読んだ 山田風太郎の「人間臨終図鑑 上巻」 いろんな著名人の死に様を年令別に集めた不思議な本だ 常なら 人の死に様など さほど興味も持たないだろうに 最近の僕は こんな本を面白く読んでしまう。
40歳以前に死んだ人というのは不幸な死に方をした人が多い 特に 昭和初期の 作家達は 貧困と病気に苦しめられ ほとんど発狂するように死んでいる 叉 生前はその才能すら認められていない人が多い 死して後というか 死ぬことによってその才能を知られ 惜しまれている なんともはかないことだろう。
時折死を感じる僕は 今認められるような才能の 発路があるだろうか 時折やってくる 狂おしい空しさ 生きることのめんどくささを 何とか ごまかしている 最近だが このまま死んでは あまりに たかだか30年そこそこではあれ なんのために生きてきたのかわからない 何か 世の人々を感動させる事をなしておきたい 僕という人間が生きていた証がほしい と 多くの人の死に様を知るに付け思うことである。
とにかくこのままボ−ッとしていては ただ健康を害し 歳を取ってしまうだけだ 人生の目的を持つべし 目的もなく生きる男の どこに魅力があるだろう 在りはしない 魅力のある男になりたい 底の深い人間になりたいとせつに思う かつて まだ なんの実力もなく 裏付けもないころ 得体の知れない 全く理由のない自信 いつか僕は何かをする という思いがあった この思いは 僕の 生命力のすべてでもあり 活力の 源だった そして どうやら 裏付けらしい物を持ち始めた此頃 かつての いわれのない自信は影を潜め 突然 自分はなんのために生きているのかという疑問に似た思いが訪れ 同時に かつての生命力の源を見失ってしまったのだ。
これは一体どういうことなのだろう 日記を読み返してみるがいい 欲しいものが手に入るようになり とにかく 望んでいた仕事を手に入れることができ どちらかといえば 有頂点になっていたようだ ただ その間もどこかに落とし穴があるのではないかと 不安を持ちながらも 気持ちの良さにあぐらをかいていたようだ そんなある日 上司から 仕事の仕方について意見をされ それは自分の才能に対しての 疑問として降りかかってきた 技術者に対する憧れと とにかく技術者の端くれに成れたことに対する喜びと このまま技術者としてやって行けるだろうかという不安 さらには 良き技術者に成らんとする渇望と 少しもよいアイデアの沸かない 基礎知識の足らない自分に対する苛立ち。
そして もう一つ認めなくてはならないのはかつて愛した女(ひと)が立ち去っていったということ 彼女は僕に魅力がなくなったと言った しかも6年の長きにわたり付き会い 僕がいつまでたっても社会人になれないだめなときは傍に寄り添っていたのに 望みの仕事につき これからというときに 僕の元を立ち去っていった 僕の本質的な底の浅さに気がついたのだろう そして 僕自身 生きていることにすら目的のない自分を発見し 底の深い何物もないことを実感したのだ 世の どれだけの人達が目的を持って生きているかは分からない しかし 他人がどうであれ自分は目的を持っていなければならない。
さて では 何が 我が生きる目的足りえるのだろうか。
一番苦しい時代に出会った本が「人間臨終図鑑」というのは面白い。確かにあの頃は苦しかったけれど、無意味なことは一つもなかった。全部必要だった。こうしたことがあってこそ、今があるのだとつくづく思う。あの頃の自分に焦るなといってやりたい。
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