2023/2/17
マイケル・クライトンとの出会いは「ジュラシック・パーク」だった。
私が出会ったマイケル・クライトンの作品。
1990年 ジュラシック・パーク 上下
1995年 ロスト・ワールド ジュラシック・パーク2 上下
日記に綴られたマイケル・クライトンにまつわる思い。
1995年12月11日(月曜日)
午後5時20分:カウンセリングが始まった。「どうですか」と問われて、ここ2週間に起きたことを話した。先生ははっきり言ってどう言っていいかわからないといって困っていた。僕は正直に気持ちを話した、わかって欲しいと思ったが、先生は傷つき腹を立てているようだった。そして「もう来なくていいです」と言われた。「私にはあなたがどう変わるか興味有りません」と。もう患者と医師の会話ではなかった。この日健保の補助をもらうための書類を出していた。僕にとってこの医者に通い続けることが生活費を得る唯一の活動だったが、先生のこの言葉でもう僕はここに通うことによる補助の受理ができなくなったと思った。診察の終わりに「どうしても困ったら、来てください、ぼくにも何かできるかもしれません、ですから次回の予約は決めません、お薬はどうしましょうか」と言われた。僕は「実はもう薬を飲んでいないのです、ですからもういりません」と答えた。それは決別の言葉となった。待合室で本を読んでいるとまた呼び出しがかかった。今度はカウンセリングの先生ではなく診察の先生だった。それは健保へ出す書類作成のためだった。そして面接は終わった。僕は良くなったからもう来なくなってもよくなったのではない、先生を怒らせてしまって、もう来なくても良いと言われてしまったのだ。どうしたら言いのだろうと途方にくれた気分だった。見捨てられた子供のように心細くなってしまった。
家に帰ると夕食時だった、健保の資料をどこ宛に出せばよいかを確認するために、電話をしたが不在だった。何だか異常に肩や、首が凝って仕方がない。今日は食事を一食しかしていない。何となく空腹感を感じながら、これといって食べ物がないまま本を読んだ。電話を待ちながら、11時マイケル・クライトンの「ザロストワールド(ジュラシックパーク2)」を読み終える。さすがに前作を超えるのは難しいらしい、何となく不満足のままに読み終えた感じだ。前半のミステリータッチの進行は、ほとんど前作を読んでいるものにとっては当然の内容で、まだろっこしかった。ようやく恐竜の島に着くと息も切らせない恐竜との格闘が展開する。あっという間に読み進んでしまう、ここら辺はさすがという感じだが、読み終えてよく考えると、なぜああ言った展開になってしまったのだろうと言う感じが強く残った。それに問題はなにも解決されていない、登場人物達の大半が無事脱出できてよかったと言ったところだろうか。はたしてあの恐竜がうようよしている島はこの後どうなるのか。もとインゲンの社員達は島のことを知っているはずで、今回の登場人物達だけが知っている分けではない、ではその人達がこの後この島に付いてどんな動きをし出すだろうかなど。さらには絶滅に関するクライトン独自の見解が示されるが、どうもよくわからないまま「生きてることはいいものだ」という台詞で終わってしまった物足りなさがあった。でももうクライトンは続編は書かないといっている。
今日一日ばたばたといろいろなことが起きた。僕は精一杯それをこなした、しかし、実はなにも考えることができない状況にある。今の予感では僕の38年間の人生の出来事のなかでも飛び切り重大なことが起こるような気がしている。その今をなにも考えられない自分で良いのだろうかと思ったりする。また必然的にそういう状況になっている気もする。両親はとりあえず許してくれた、しかし心底僕がかかわろうとしていることを信じてはいない、ただ僕が息子であるという現実があきらめに似た状況でいるに過ぎない。カウンセリングの先生は怒ってしまった。きっと友人達に話してもわかってくれないだろう。だから僕がなそうとしていることを他の誰一人として話すことができない。親しい人に話すこともできないことに僕は身をさらそうとしているのだ。本当にそんなことが素晴しい結果をもたらすだろうか。そのくせ、これで僕は今までのどうしようもなかったジレンマから解放されて、本当に喜びに満ちた生き方ができるだろうと思っている。でもそれは誰かに頼って実現するものではない、自分自身で勝ち取るものなのだ。
ロスト・ワールドを読み終えた日、黒歴史へ突入した。
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