2023/2/15
本田勝一との出会いは「ニューギニア高知人」だった。
私が出会った本田勝一の作品。
1963年 カナダ・エスキモー
1964年 ニューギニア高地人
1966年 アラビア遊牧民
1971年 殺される側の論理
1973年 北ベトナム
高校一年の時、教科書に本田勝一の「ニューギニア高地人」が載っていた。未開の地の人々の不思議な生態にとても惹かれた。教科書に載っていたのは抜粋だったため、もっと読みたいと思っていると、友人が文庫本を持っているという。貸してくれるかと尋ねると、あげるという。そんなこんなで本田勝一の本を読むことになった。
その友人とは通学電車も同じ方向で親しくなった。双方の家へ行き来したり、「初歩のラジオ」を見て作ったICアンプの調子が悪いというと、コンデンサーを沢山くっつけてとりあえず音が出るようにしてくれた。私がスカイセンサー5500を買うと、彼は5800を買いBCL(Broadcast Listening / Listeners)で集めたベリカードを見せてくれた。私もしばらくBCLを楽しんだが、ベリカードを集めるまでには行かなかった。彼はそう言ったことに長けていたが文系に進み、彼より電気知識の疎い私が理系に進み、高校を卒業すると会うことは無くなってしまった。しかし思うにつけ実にいいやつだった。
彼のおかげで、本と無縁だった私が本を持つことになった。本格的に本を読み始めるのは、その後の現代国語で星新一の「ボッコちゃん」を読んでからだが、「ニューギニア高地人」が最初のきっかけを作ってくれたことは間違いない。最初の一冊という想いはとても強く、同時に最初の作家ということで本田勝一を無条件に好きになった。
ある日その友人が本田勝一の「殺される側の論理」のハードカバーの単行本を小脇に抱えていた。まだその頃、自分で本を買う習慣も、分厚い本を読み切る自信もなかったから、なんとなく憧れて見ていた。大学生になり、本を読む習慣ができ、分厚い本も読むようになると、当時のことを思い出し「殺される側の論理」と「北ベトナム」を購入した。ところが、高校時代あんなに読みたかった本のはずが、読み始めると少しも読み進めない。当時小説にのめり込んでいたせいだろうか、それとも反戦的記述が自分を否定しているように感じたのか、結局二冊とも最後まで読むことはなかった。
彼が捏造記者であるとの風評を耳にした。朝日新聞の慰安婦報道に関する問題を知り、本田勝一が朝日新聞社出身であったことを知り、もやもやしたものが一層広がった。「ニューギニア高地人」は良いルポルタージュだったと思う。本を読み始めた自分にとって彼は素晴らしい人だった。その想いは消えることはなく、むしろその想いの強さが、時と共に彼への拒否感を醸造したかもしれない。
彼の書いたものをちゃんと読んだのは「ニューギニア高地人」だけだから、彼のことを論じる何もないのと同様だが、出会ったことで感じるようになった蟠りは拭うことができない。最初に出会った人だから、自分にとっては大切な人だったから・・・。
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