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鏡開き

執筆者の写真: NappleNapple

2025/1/11

 今日は「鏡開き」の日だ。お正月に神様へお供えした鏡餅を下げ、一年の無病息災を願いながら、母とおぜんざいにしていただいた。我が家は昔から11日に鏡開きを行い、15日に正月飾りを片付ける。


 「鏡餅」は銅鏡を模しているとか、武家社会の縁起かつぎから「鏡開き」というようになったなど、今更武士でもないし、誰もそんなことは気にしない。そもそも「鏡餅」や「鏡開き」の由来や意味合いも忘れ、形式を受け継いでいるばかり。


 だけれども、こうして、四季折々の風習を両親から受け継ぎ、繰り返すことに、何かしらしみじみとした味わいを感じる。胸の奥に眠っていた記憶の断片がそっと目を覚ます。懐かしさと、言葉にできない期待のようなものが静かに広がっていく。


 同じことの繰り返しの中で、音や匂いなどの些細なきっかけが、忘れていた感情を呼び覚ます。そのたびに、心の奥がふんわりと温かくなり、説明のつかない幸福感が胸を満たしていく。


 何かを始めようとしているわけでも、誰かを待っているわけでもない。ここでは何も起こらない──はずなのに。それでも、この胸騒ぎは、まるで何かが動き出す予感のように私を包み込む。

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