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ゲーム

執筆者の写真: NappleNapple

更新日:2月2日

2025/1/28

私にとってゲームとは


1.どのように出会ったか?


 初めて出会ったゲームはなんだったろう? 幼い頃、親族会で父たちが麻雀を楽しむのを横目に見ながら、子供たちはトランプで遊んでいた。きっとそれが最初のゲームだったのだろう。学校に上がり友達ができると、メンコをよくした。たくさん集めたが、今ではどこへいってしまったのか分からない。石蹴りもやった。最初は平べったい石を探してやっていたが、どこかで拾ったワッシャを大事にしていた記憶がある。ビー玉も遊んだが、一人で玉突きのような遊び方をすることが多かった。だるまさんが転んだ、かくれんぼ、鬼ごっこ、陣取りゲームやハンカチ取りなど、道具を使わない遊びが主だった。友達との遊びは自然とゲームという形になっていたのだろう。野球盤や潜水艦ゲーム、人生ゲームもやってみたかったが、そういったものを持っていたのは金持ちの子だけだった。


2.どのように関わったか?


 大学時代になるとブロック崩しやインベーダーゲームが流行り、アーケードゲーム時代の幕開けに立ち会うことになった。アーケード街にはゲームセンターが乱立し、オールナイトで営業していた。御多分に洩れず、私も大阪駅から下宿までの帰路、阪急東商店街を無事通り抜けることは困難だった。いずれかの店に入り込み、小銭を叩いてゲームに興じた。しかし、上達する友人たちを尻目に、私は一向に上達せず、次第に興味は薄れていった。そんな時、Apple IIの『ウルティマIII』に出会い、ロールプレイングゲームの面白さを知ることになる。春には卒業して社会人になろうという頃だった。


 将棋やチェスや碁は盤面や駒に美しさを感じ、奥深さに惹かれるのだが、どうにもゲームとしては難しくて楽しめない。その点、将棋崩しや五目並べは楽しい。正当なゲームに面白みを見出せないことがどこか残念だ。パチンコも麻雀も嫌いではない。しかし賭けると途端に面白くなくなるのだった。


 社会人になって新たに覚えたのがボードゲームだった。親しくなった友人と夜を徹してボードゲームに興じた。また、退職後も友人たちとネットでゲームを楽しんだ。でも、そのうちついてゆけなくなった。


3.どうなったのか?


 若い頃、ゲームには勝敗に伴うヒリヒリ感を求めていた。勝利への高揚感が楽しかったのだ。しかし、同時に負けた時のストレスも味わうことになる。そして、勝つことで誰かが負けるという構図に整理のつかない感情を覚え、次第に対戦ゲームから離れていった。今では、勝ち負けのないゲームや、自分だけで完結するゲームに楽しみを見出している。


 今、日常的に楽しんでいるのはコンピューター相手のソリティア、麻雀、ビリヤードなどだ。中でもソリティアは、すでに2万回以上もプレイしている。負けたのはたった1回だけで、それも解けなかったのではなく、運悪くプログラムがクラッシュして負け判定になっただけだ。適度に難しく、それでいて解けるものが良いのだと思う。短時間で結果が出るゲームがいいようだ。


4.何を求めているのか?


 映画『スター・ウォーズ』に登場するホログラムのチェスで、ミニチュアの怪物たちが盤面を動き回るシーンに胸をときめかせた。ゲームのコマは大抵単純だが、精巧なミニチュアだと、魅了されてしまう。そこに「生き生きと動く世界」を見たいという願望から来ているようだ。そしてそれは、コンピューターゲームによって実現され、広大な異空間を自由に冒険することができるようになった。しかも、誰かと勝ち負けを争う必要もない。


5.今後どう関わりたいのか?


 友人が「同じ盤面を睨み、唸る空間を共有する体験が一番」と言ったことがある。その気持ちはよく分かるが、今の私は、日々の生活の中でリズムを整えるものとしてゲームと付き合っているのだと思う。そしてそれは、ゲームそのものを楽しむ以上に、「自分自身と向き合う時間」なのかもしれない。

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