2025/2/21
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乾いた風が吹き抜ける広大な大地。そこには「音の民」と呼ばれる人々が住んでいた。彼らは言葉を多く持たず、音で会話をし、音で物語を紡ぐ。言葉を持たないわけではないが、重要なことは言葉よりも「音」で伝えるのが彼らの文化だった。
村の広場には、一つの古いカホンがあった。表面は手の跡で磨かれ、無数の傷が刻まれている。その横には、長老が吹くディジュリドゥ、子どもたちが弾くムックリ(口琴)、そして一族の大切な「音の記憶」が宿るリケンべが置かれている。
「音は消えない。人が生きる限り、記憶のように響き続ける」
そう語るのは、奇妙な姿をしたモシカモシカだった。鴨の頭に鹿の角を持ち、村のどこにでも現れては、不思議な言葉を残していく。誰も彼の正体を知らないが、昔からずっと、音の民のそばにいるらしい。
「モシカモシカ、音って、消えないの?」
そう尋ねたのは、ナニキャットだった。ナニキャットは、どこから来たのかわからない猫だった。村に住み着いたものの、音の民のように楽器を持たず、言葉もほとんど話さない。ただ、夜になると広場にやってきて、村人たちの演奏をじっと聞いていた。
「音が消えない? でも楽器が壊れたら? 音を知る者がいなくなったら?」
モシカモシカはリケンべをつま弾いた。そしてくるりと回り、風に向かって言った。
「風よ、教えておくれ。昔、この地で奏でられた音は、まだどこかにあるのかい?」
すると、風がふわりと吹き抜け、遠くの森から木々がそよぐ音が聞こえた。そこに、かすかにリケンべの響きが混ざっているような気がした。ナニキャットは耳をぴくりと動かし、じっと目を閉じた。モシカモシカは小さく笑って言った。
「音はね、消えたり、残ったりするものじゃない。聞こうとする者がいる限り、いつでもそこにあるのさ。」
その夜、ナニキャットは村の広場でカホンの前に座った。そして、静かに前足をのせた。
ぽん、ぽん……
猫の小さな足では大きな音は出ない。でも、広場にいた人々は皆、その音を聞いていた。すると、どこからかディジュリドゥの低い響きが重なり、子どもたちがムックリを鳴らした。それは、誰かがかつて奏でた音と似ていたが、同じではなかった。音は変わり続ける。でも、それを聞く者がいる限り、音楽は消えない。モシカモシカは満足げに頷くと、また風の向こうへと消えていった。ナニキャットは、もう一度カホンを叩いた。
音は、風に乗ってどこまでも響いていった。
あとがき
「音階があるようでないような楽器」とは、音の質感、響き、倍音、リズムなどを重視し、固定された音階に縛られない楽器のことだ。これらは、一般的な「調律された音階楽器」とは異なり、演奏者の奏法や環境によって音が変化する。
こうした楽器を分類するとすれば
可変音階楽器:音階の概念はあるが、演奏者が自由に音の高さを変えられる。
自然音程楽器:人工的な調律を施さず、自然のままの音を使用する。
倍音楽器:音の高さそのものではなく、倍音の響きを活かして演奏する。
こんな感じだろうか、具体的には
音階を持たない楽器を用いる人々は「曲」という概念を持つのだろうか?そもそも、「作曲」という考え方が存在するのだろうか?誰かが奏でた音の流れを、第三者が再現したり、時代を超えて受け継いだりすることはある。しかし、音階を持たない楽器の「曲」は、どのように継承されるのか?そんな疑問からこの物語が生まれた。
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