2025/2/2
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幼い頃から我が家の節分は、夕食を食べてから、無病息災を祈って、家族全員で豆をまき、年に一つ足した数の豆を食べた。その習慣は、一人暮らしをするようになっても、何となく続いていた。
恵方巻きを食べるようになったのは、いつ頃からだっただろう。大学時代、友人が家業を継いで寿司屋になった。節分が一年で最も忙しいと言う。巻き寿司が飛ぶように売れるらしい。節分の翌日、やっと休みが取れたと、彼はよく我が家に遊びに来た。お土産は決まって巻き寿司だった。あれからもう二十数年が経つ。突然の訃報を聞いたのは、そんな日々が続いていた矢先のことだった。
彼を偲んで節分に巻き寿司を食べるようになったのか、それとも世間が言うから食べるようになったのか——今ではもう曖昧になってしまった。
最近の節分は、恵方巻きを食べ、豆をまく日になった。そして毎年この日になると、旧友のことを思い出す。
節分の夜に
玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう。時計を見ると、もう夜の八時を回っている。ドアを開けると、そこに立っていたのは、懐かしい顔だった。
「よう。」
軽く片手を上げたその男は、二十年前に亡くなったはずの友人だった。
「……お前……?」
目の前にいるのは、間違いなく寿司屋を継いだあの友人。ジャンパーを羽織り、手には紙袋を持っている。
「節分だからな。巻き寿司、持ってきた。」
まるで、何もなかったかのように、当然のことのように言う。その声音も、仕草も、生前のままだった。
「でも、お前……」
言葉が続かない。頭が混乱する。友人はにやりと笑った。昔と変わらない笑い方だ。恐る恐る紙袋を受け取ると、海苔の香りがした。
「また来るわ。」
そう言い残し、彼は玄関の向こうへ消えていった。慌てて追いかけたが、すでにそこには誰もいなかった。家の中に戻り、紙袋を開ける。そこには、一本の巻き寿司が入っていた。今年の節分も、旧友のことを思い出しながら過ごした。でもまさか、いや、もしかしたら、これはただの夢なのかもしれない。巻き寿司はさっき買ってきたやつかもしれない。海苔の香りが現実と幻の境界を曖昧にしていた。
節分の夜に(終わり)
あとがき
節分の由来は、古代中国の陰陽道に基づく季節の変わり目の厄払いにある。
1. 節分とは何か
「節分」とは本来、季節の変わり目を指す言葉であり、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していた。しかし、特に立春は一年の始まりと考えられ、最も重要視されたため、次第に「節分」といえば立春の前日を指すようになった。
2. 厄払いとしての豆まき
平安時代には、宮中で「追儺(ついな)」という鬼払いの儀式が行われていた。これは、鬼に見立てた者を弓矢で追い払うもので、後に庶民の間で「鬼は外、福は内」と豆をまく風習へと変化した。豆には「魔を滅する(まめ)」という語呂合わせの意味も込められている。
3. 恵方巻きの由来
恵方巻きの習慣は、江戸時代から明治時代にかけて、大阪の商人の間で縁起担ぎとして行われていたとされる。具材を七福神に見立て、「福を巻き込む」という意味を持つ。昭和後期にコンビニ業界が広め、全国的な風習となった。
4. 節分の意味
本来の節分は、「新しい春を迎えるために、邪気を払い、福を呼び込む行事」として根付いた。現在も豆まきや恵方巻きを食べる風習が残り、形を変えながら受け継がれている。
今年の節分は2月2日である。ちょっと変な気がする。立春は太陽の動きによって決まり、毎年必ずしも同じ日とは限らない。 2025年の立春は2月3日となるため、節分はその前日の2月2日となるということらしい。これは地球の公転によるわずかなズレが影響している。 友人は日にちを間違わないかなと、おかしなことを心配していたら雨になった。
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